夢境の中の影法師

















大きな手のひらが、やや不器用な手つきで己の頭へと乗せられる。

その手のひらはおずおずと控えめな雰囲気で己の頭を撫でた。

自分はそんな温もりが大好きで、にっこりと満面の笑みを作る。

そんな己を見て、上下に動いていた手がぴたりと止まった。


「・・・・・・昌浩」


呟くように、その手のひらの持ち主は己の名を呼んだ。

とても耳障りのいい、低く落ち着いた声が耳朶をくすぐる。


「――――」


きっとその手のひらの持ち主の名であろうそれを、自分の唇が紡ぐ。

しかし、己が彼のことを何と呼んだのかはわからない。


「・・・・なんだ?昌浩」


とても柔らかな口調で、彼は己を覗き込んでくる。

そんな彼に自分は言葉を返すことなく、ただ笑って彼の首周りに抱きついた。

突然の自分の行動に彼は一瞬だけ身体を強張らせたが、しかし次の瞬間には苦笑を零していた。


「甘えん坊だな、昌浩は・・・・・・」


彼はそう言って彼自身も抱き返してくれた。






視界の端に鮮やかな紅が見えた――――――――。







                        *    *    *







穏やかな風が部屋の中へと吹き込んでくる。

肌にも心地よい風が、部屋の中で昼寝をしていた子どもの髪をさらりと撫ぜていった。
その風に誘われてか、眠っていた子どもの意識が現(うつつ)へと戻ってきた。


「―――・・・・ぅ、ん・・・・・?」


寝ぼけ眼で子どもは周囲へと視線を走らせる。
ふいに、部屋の出口に一番近い柱に紅い人影が見えた。
と思って瞬きをした次の瞬間には、その紅い幻影は掻き消えていた。


「!・・・・・ぁっ!」


消えてしまった赤の残影に、子どもは思わず声を出しかけたが、それは音として形成されることなく子どもの喉の奥へと消えていった。
無意識のうちに伸ばされていた子どもの手が、あてもなく宙を彷徨った。
子どもはしばらくの間、その柱を食い入るように眺めていたが何かを決心したように頷くと足に力を込めて立ち上がった。
そして紅の幻影を求めるようにその部屋を後にしたのであった。








「じいさま〜」


拙い口調とともにぱたぱたと足音が晴明の耳に届いた。
聞こえてきた声に、晴明は書物へと落としていた視線を上へと上げた。
と、その視線はこちらへと駆け寄ってくる末孫の姿を捉えた。
晴明は子どもの姿を目に捉えると、自然とその目元を綻ばせた。


「どうしたのだ?昌浩・・・・・・・・・」

「えっとねぇ、あのね・・・・じいさまに、ききたいことがあって・・・・・・・・」

「聞きたいこと・・・・・・?」


晴明は首を軽く傾げて昌浩へと聞き返す。
昌浩はそれに大きく頷くと、必死にその聞きたいことを話し始めた。

曰く、記憶にもほとんど残っていないのだが、それでも確かに覚えている紅い人はどこにいるのか?という質問であった。
紅い人・・・・・言うまでもなく晴明の下へとついた十二神将・騰蛇のことである。
彼は一年前、昌浩が見鬼の才を封じられてしまうその日まで昌浩とともにいた。今、昌浩はその姿を見ることは叶わないのであるが、どうやら朧げながらに覚えていたらしい。
それが何かが誘因剤となって、今回強く表へと出てきたようなのであった。
昌浩の話し振りからすると、彼がつい先ほどまで見ていた夢に彼の神将が現れたようである。
子どもはその紅い人がどこの誰なのかは覚えていないようであるが、それでもこうして晴明の許へと尋ねてくるということは気になったのだろう。

晴明は昌浩の言葉に相槌を打ちながら、心の中でそう思った。


「――でね、ははうえやあにうえたちにきいてみたんだけどいないって。だから、じいさまならしってるかなぁっておもって・・・・・・・・・」


どうやら、晴明に聞きに来る道すがらに露樹や成親達にも尋ねたようであった。
露樹はともかくとして、成親達は『紅い人』に思い当たるところがあっただろうに、そのことを昌浩に教えなかったところを見ると晴明に判断を仰いだ方がいいと考えたのだろう。

そうかそうかと頷いた晴明は、言い聞かすようにゆっくりとした口調で話し始めた。


「そうだなぁ・・・・確かに、じい様にはその紅い人に覚えがあるぞ?」

「ほんとっ!?いまどこにいるの?すぐにあえる??」

「まぁ、落ち着きなさい。そうさなぁ・・・・・今は会えぬな」

「え・・・・・」


紅い人を知っているという言葉に顔を輝かせた昌浩であったが、続けられた晴明の言葉に途端に顔を曇らせた。
今にも泣き出しそうな顔をする末孫を、晴明は慰めるように頭を撫でた。
昌浩は悲しそうに顔を歪めて、眉を八の字に垂れ下げる。


「もう、あえないの・・・・・・?」


昌浩は潤む瞳で晴明を必死に見上げて問う。


「いやいや。今は、と言うたじゃろうて。二度とは会えぬなんてことはあらんよ」

「・・・・じゃあ、いつだったらあえるの?」

「そうじゃのぅ・・・・・・。昌浩が、じい様の仕事を手伝えるくらいに大きくなったら、会えるかもしれん」

「じいさまの、しごと?おんみょうじの・・・・?それができるくらいにまさひろがおっきくなったら、またあえる?」


期待を込めた瞳で、昌浩は晴明を見つめる。
晴明はそれに笑って頷き返した。


「あぁ。きっとその頃には、その紅い人とも再び会えるじゃろうて」

「ほんと?」

「本当だとも。昌浩、じい様が昌浩に嘘をついたことなどあったか?」

「ううん、ないよ!」


昌浩は晴明の言葉を首を横に振って否定する。
そうだ、この目の前の祖父は自分に嘘をついたことなど、一度としてない。
それでは本当に自分が今よりもずっと大きくなれば、またあの紅い人に出会えるのだろうか。
昌浩は遠い未来に思いを馳せる。


「そうじゃろう?じゃから昌浩はそれまで陰陽師の勉強をうんとして、その紅い人を驚かしてやろうな」

「うん!」

「いい返事じゃ」


にっこりと笑い合う二人。
その時、遠くで露樹が昌浩を呼ぶ声が聞こえてきた。


「ほれほれ。露樹が呼んでいるようじゃ、早く行ってあげなさい」

「うん!それじゃあまたあとでね、じいさま」


昌浩はそう言うと、来た時と同じ様にぱたぱたと足音を響かせて晴明の部屋を去っていった。
晴明は広げた扇で口元を隠し、それを愉しそうに見送ると、誰ともなしに話しかけた。


「全く、愛されておるのぅ・・・・・・なぁ?紅蓮よ」


晴明の言葉に、彼の背後の空間が歪みを生じさせる。
そこに顕れたのは、つい先ほどまで話題に上がっていた紅い人こと十二神将・騰蛇であった。
顕現した紅蓮は、子どもの走り去った方向を切なそうに見遣り、改めて目の前の主人へと視線を向けた。


「一年か・・・・随分あっという間に感じられるようで、でもまだそれしか経っていないのだな・・・・・・・」

「あれが大きくなることが待ち遠しいか?」

「あぁ、待ち遠しいな。俺はいつでもあいつの傍にいることはできるが、しかしあいつの目に俺は映らない。正直言ってもどかしいさ」

「・・・・仕方がなかったのじゃ。あの子が持っている見鬼の才は強すぎる。ある程度成長してからならまだしも、今の幼いあの子には過ぎたる力じゃ」

「わかっている・・・・・・・」


そう、わかっているのだ。わかっているけれども、あの笑顔が己へと決して向けられることがないという事実が、とても切なかった。
ぐれん、と。あの子ども特有の高い声が呼んでくれないことが、こんなにも寂しいことであったとは知らなかったのだ。
思慕に細められる金眼を、晴明は静かに見返した。


「あの子が元服するまでの辛抱じゃ。その頃にはあの子に眼も還そう」

「・・・・・あぁ、楽しみに待っているさ」


紅蓮は苦笑に近い笑みを零し、そう言い残すと異界へと帰っていった。
そして再び一人となった晴明は、外へとその視線を移した。


「そう、子どもの成長など、あっという間じゃろうて・・・・・・・・・・・」


さわりと、風が通り抜ける。








それは昌浩が見鬼の才を封じられてから、丁度一年後の日のことであった――――――――。















※言い訳
はい、文中でも書きましたが、このお話は昌浩が見鬼の才が封じられてから一年後のものとなります。この時、昌浩はまだ薄っすらと紅蓮のことを覚えております。普通、この時期の子どもならそんなに長く顔を会わせていない人のことなど覚えていないでしょうけど・・・・・。今回はほのぼの・・・・と言いますか、しっとりとしたお話が出来上がったと思います。昌浩が見鬼の才を取り戻すことを誰よりも心待ちにしていたのは紅蓮じゃないかと思います。だって、妖が見えない昌浩用にもっくんの姿まで考案したんですから(笑)
このお話はフリー配布なので、気に入りましたらどうぞご自由にお持ち帰りください。



2007/7/21