手を伸ばせば・・・ |
舞い踊る炎の紅。 冷然とした鋼の銀。 憎々しげに向けられた瞳の金。 そして、浄化の炎の白―――。 どれもが己の罪を示唆する色。 あの日、「神殺し」の名を背負ったあの時の光景が、その罪の重さを知らしめるかのように己の視界に映り、流れていく。ゆっくりと、はっきりと、その光景を刻み付けるかのように・・・・・・。 ふっと、あの時の映像が掻き消えた。 あたり一体が漆黒の闇に包まれる。 はっとなって視線を上げた先には、白き影が一つ。ぽつりと佇んでいる。 すっと、夕焼け色の見慣れた瞳が細く眇められた。 夕焼け色の瞳に浮かんだ感情は、憂愁―――。 そして白き影は一言呟いた。 『なぜ――・・・・・?』 と・・・・・・。 その物の怪の足元には赤の水溜りが広がっていた―――――。 ぱっ!と、唐突に瞑っていた目を開ける。 暗闇に慣れぬ目を何度か瞬かせた後、改めて周囲へと視線を巡らせる。 と、あることに気づいた。 物の怪の姿が見当たらない・・・・・・。 確かに、寝る前までは傍らにその姿はあったのに―――。 物の怪がいたであろう場所に、そっと手を伸ばす。 冷たい・・・・。そこはとうに熱を失い、そこにいたであろう物の怪の不在の長さを知らせる。 とうに温もりを失ったそこを何度か撫で、そっと溜めていた息を吐き出した。 諦めたように緩く首を振った後、その褥を抜け出し、簀子へと出る。 辺りはしんと静まりかえり、風の微かなざわめきの声しか耳に届かない。 猫の爪のように細い月が、その月影で周囲を微弱に照らし出していた。 「・・・・・眠れないのか?」 前触れも無く掛けられた声。しかし昌浩は驚くこともなく、ゆっくりと声のした方へと視線を向けた。 視線を向けた先には、柱に背を預け、斜に構えてこちらへと顔を向けている十二神将・勾陳の姿があった。 昌浩はそんな勾陳に、緩く首を横に振って返した。 「違うよ。・・・・ちょっと、目が覚めただけ・・・・・・」 「・・・・・その『ちょっと目が覚めただけ』の状況が、毎晩続けば十分な睡眠を取れているとは言えないだろうが」 「・・・・・・・」 はぁ・・・・。と呆れたように息を吐く勾陳に、昌浩は困ったような、何ともいえない微笑を口元に浮かべた。 勾陳は昌浩の表情に僅かばかりの翳りを見つけ、目の前の子どもに気づかれないようにそれとなく細めた。 「最後まで見たのか?」 夢を―――。 そう含んだ物言いをする勾陳に、昌浩は微かに首を縦に振った。 もう、幾度となく同じ夢を見ている。 あの時の遣り取りから始まり、物の怪の問いの言葉で終わる夢を―――。 そして勾陳はそのことを知る、当人以外では唯一の人物だ。 子どもの傍に常にいる物の怪は、子どもが毎晩夢見の悪さに魘されていることは知っていても、その夢の内容までは知らない。 大体、物の怪が子どもの傍らにいる時はその悪夢が始まって直ぐのうちに子どもを起こすので、それほど魘されることもない。 夢を最初から最後まで見る時、それは必ず物の怪が子どもの傍から離れていない時だ。 そして夢を最後まで見た子どもは今回のように褥から起き出し、物の怪が帰ってくるまでか、再び眠気が襲ってくるかまでこうして簀子に佇んでいるのだ。 ふと、意識を己の思考に沈めていた勾陳の耳に、子どもの声が届いた。 「・・・・わかってるんだ。あんな夢を見るのは、俺自身があの時のことを欠片なりとも納得していない所為だからって・・・・・・・・」 ふと、己の手のひらを見下ろす。 そこには何にも汚れていない白い手のひらがある。けれども昌浩にはその手のひらが赤に濡れているようにしか見えない。それが幻とわかっていても、罪の意識がそうありもしないものを見せるのだ。 だから夢を見る。 自身が自身を断罪し、糾弾するための夢を。何度も、何度も・・・・・・。 「・・・・・・・・・・・」 勾陳はそんな子どもに言葉を返さない。 それは違うと、言う事は容易くできる。しかし当の本人がそれを頑ななに認めないだろう。 故に、勾陳は言葉を返す代わりに、子どもの頭をくしゃくしゃと彼女にしては些か乱暴に撫でた。 「・・・・お前は、お前自身の思いを信じろ」 「勾陳・・・・・?」 「お前がお前らしくあることが、何よりもあれの救いになる」 勾陳の言っている言葉の意味がよくわからず、困惑げな表情を浮かべている昌浩に、彼女は僅かばかり笑みを零した。 * * * 「騰蛇・・・・・・」 「!勾か・・・・・・」 屋根の上で物思いに耽っていた物の怪は、同胞の呼びかけによって意識を現へと引き戻した。 「何か用か?」 「・・・・・・・・」 「?勾??」 「昌浩が・・・また魘されていたようだ。先程起きてきた・・・・・・」 「!そうか・・・・・様子は?」 「特には・・・。少し風に当たった後、また自室に戻った」 自分が席を外している間に昌浩が魘されていたことを聞き、物の怪はその眼に心配げな光を浮かべる。 そして、その後直ぐに顔を俯かせた。 「・・・・毎晩魘されている」 「そうだな・・・・」 「勾、お前はあいつが見ている夢の内容は知っているか?」 「・・・・・・・・・・」 勾陳は物の怪の問いに返答を返さない。しかし、返答を返さないそれこそが何よりもの肯定でもあった。 物の怪はそんな勾陳の反応を見て、尚更その肩を悄然と落とした。 ぱたり・・・と白い尾が力なく揺れる。 「・・・多分、俺が夢の内容を尋ねても、あいつは答えないのだろうなと思う。それ以前に、俺はあいつとの距離のとり方がわからなくなっている・・・・・今、あいつの胸の内に踏み込めるほどの勇気を、持ち合わせてはいない・・・・・・」 子どもとの距離が、わからない。 道反しの一件が起こる以前は、どのくらいの距離にいて、どのくらいの頻度で触れ合っていたのか、それが思い出せない・・・・・・。ましてそのことを覚えていたとしても、以前どおりの態度など、どの面をさげてとれるだろうか? わからない。近くにいていいのか、もっと距離を置いた方がいいのか・・・・。 「俺は・・・・・・どうしたらいい?」 「・・・・・さぁな。しかし、傍からお前達の様子を見ている身としては、一つだけ言えることがある」 「・・・・・?」 「お前のその距離の置き方は、酷く中途半端だということさ」 「!それは・・・・・」 図星だ。自分は今、子どものとの距離を測るために近くもなく、遠くもない距離を意図的に保っている。 見えない一線を、踏み越すことができないでいる。 それを勾陳は指摘しているのだろう。 益々俯いてしまう同胞の頭を、勾陳は無言でべしっと叩いた。 「っ、何をする!」 「そう、気落ちするな、ということだ。・・・・・私は、己の大事な存在を己自身で手酷く痛みつけたことはないし、だからそうした遣り取りがあった後も尚、その存在の傍に居続けて生じる複雑な思いも知ることはできない」 「勾・・・・」 「だがな、それでもあの子は望んだのだろう?お前を、今の『騰蛇』を―――。そしてお前も望んだはずだ、あの子どもの傍にいることを――――」 「!!」 勾陳の言葉に、物の怪ははっとして顔を上げた。 そうだ、己が今この場に存在するのも、全ては子どもが己の見鬼の才を代価に払ってまで望んだことだからだ。 『――俺の眼になってよ・・・・・・』 存在を求める言葉が、鮮やかに蘇ってくる。 「望んでも尚、手の届くか届かないかという距離にしかいないお前に、不安を募らせても仕方がないと言えよう?」 「お、れは・・・・・」 「騰蛇、お前の思いは?そのように思い悩んでいても、あの子どもの傍を離れない理由はどこにある??」 「理由・・・・・」 物の怪は天を仰ぎ、その視線を遠くへと馳せた。 初めて己に向けられた笑顔。 必死に伸ばされた、紅葉のように小さな手のひら。 舌ったらずながらも、己の名を呼ぶ声。 そして交わした”約束”―――。 その全てが、自分が子どもの傍に居る理由であり、決意の根本であった。 己の思いを再確認し、物の怪は改めて同胞へと視線を向けた。 勾陳は改めて向けられた物の怪の視線が意味するところに気づき、くすりと笑んだ。 「どうやら、思い出したようだな・・・・・・」 「あぁ・・・・すまない、勾」 「いや?何てことはないさ」 軽く肩を竦める勾陳に、物の怪は苦笑を漏らす。 全く、この神将には敵わないな・・・・・。 「気づいたなら、さっさとあれの元へと戻ることだな。・・・・・・・お前を待っている」 「あぁ・・・・」 物の怪は軽く頷いて返すと、ひらりとその身を翻した。 いまだ眠りの中へと戻れぬ子どもの元へと向かって・・・・・・・。 物の怪を見送った勾陳は、やれやれと浅く息を吐いた。 「全く、世話のかかる奴らだな・・・・・・」 彼女の言葉に同意するかのように、風が一陣吹き抜けていった――――。 * * * 眠れない――――。 勾陳と別れた後、再び褥へと戻った昌浩であったが、一向にやって来ない睡魔に諦めにも似た心情で息を吐いた。 明日も出仕しないといけないというのに、このままでは夜明けがやって来てしまう。 睡眠不足で倒れた。なんて洒落にもならないな〜と、心内で苦笑いを零す。 ふと、空気が動いた気がした。 疑問に思って目を開けるのと、白い何かがぺしりと己の頬に当たるのはほぼ同時であった。 白―――そう、それは・・・・・。 「もっ・・・・くん?」 「はぁ・・・。いつまで夜更かしをしているんだ、・・・・・・晴明の孫」 呆れたように溜息を吐いて、そう言葉を返してきたのは紛れもない物の怪であった。 「・・・ぁ・・・・・・」 白い体躯と、夕焼け色の瞳が、直ぐ目の前にある・・・・・・。 今までの手を伸ばして届くか届かないか位の微妙な距離ではなく、それこそ昌浩が袿の中から少し手を出せば触れる位に近い位置に。 「明日も早いんだ、もう寝ろ。俺も傍にいるから・・・・・・」 物の怪はそう言うと、さっさとくるりと丸まってしまう。昌浩の頭の直ぐ横で――――。 ほれ、さっさと寝ろと急き立てるように、その白い尾がぺしぺしと昌浩の肩を叩いた。 物の怪の行動にぽかんとした表情を浮かべていた昌浩であったが、しばらくしても動く気配のない物の怪を見て、くしゃりと表情を崩した。 「うん・・・・・おやすみ、もっくん」 その口元には到底隠すことができないほどの鮮やかな笑みが浮かんでいた。 そうしてしばらくたった後、昌浩の口は微かな寝息を立て始める。 それ以降、悪夢が子どもを苛むことはなくなった――――――。 ※言い訳 な、なんかずどーんと重い話になってしまったような気が・・・・;;い、いや!シリアスだから大丈夫、のはず。 わけのわからん話になってしまったようで、申し訳ないです。はい・・・。 今回のコンセプト!もっくんとの間に微妙な距離が生まれてしまっていることに気づいている昌浩。内心の不安が徐々に罪悪感へとすり変わり、それを悪夢として形作って見てしまう。です・・・・う〜ん、わかり難い?でもこんな感じです。 今回のお話、何故か勾陳の姉御がかなり出張っていた・・・。あれ?昌浩ともっくんがメインのつもりで書いたお話なのに・・・なんでだろ??あ、勾陳ともっくんとの遣り取りは完・全!私見です。姉御があんな物言いをするはずがない・・・・・。これはお話の進行上仕方なく・・・・ごにょごにょ。 さて!これはフリー小説ですので、もし気に入っていただけたらどうぞご自由にお持ち帰りください。 |