其は水を統べる神祇なり |
しとしとと、天より無数の水滴が降り注ぐ。 ここ、平安京で雨が降るようになってから早二十日以上経っていた。 ざあざあと地を叩くような激しい雨こそ降らないが、それでもこの二十日間、一度も止むことなく降り注がれればいい加減嫌気が差すというものだ。 「はぁ・・・。雨、ここのところずっと降りっぱなしだよ」 墨を磨る手を止め、ちらりと外へ視線を向けた昌浩は浅く息を吐き出した。 隣でその呟きを聞いていた物の怪は、ぴくりと長い耳を動かし、閉じていた目を薄く開けて言葉を返した。 「そうだな。前に日の光を見たのはいつだったか・・・・・こうどんよりと曇られると、気分まで暗くなる」 「だよねぇ。おまけに雨はずっと降りっぱなしだから雨具が乾く暇がないし、そのお陰で雨具を着てても服はしっとりと水気を含んでて気持ちが悪いし・・・・良いこと無しだよ、ほんと」 昌浩はそう言いつつ、水気を含んでひんやりとしている己の服へと視線を落とした。 直衣の色は基本暗色なので濡れているのがわかりずらい。乾くまでほっといても他の人に咎められることはないが、それでもその乾くまでに時間が大層かかる。何せ外は雨が降っていて、その所為で空気自体がしめり気を帯びているのだから当然と言えよう。 不快そうな顔をして己の衣の裾をぱたぱたと扇ぐ昌浩を、物の怪は呆れたように眺めやった。 「だから言っただろ?玄武あたりにでも頼み込んで、雨除けをしてもらえって。そんな生乾きでいると絶対に風邪を引くぞ」 「いーや!そんなくだらない理由でなんて頼めないよ。確かに、玄武だったら頼み込めば溜息一つ吐いて了承してくれそうだけど・・・・・」 「あぁ、晴明に雨除けを頼まれた時はそんな感じだったぞ」 「じい様ぁ〜」 物の怪の返答に、昌浩は思わず頭を抱えたくなった。 いくら近しい者とはいえ、十二神将だって神様なのだ。それを個人の都合――しかも雨に濡れたくない理由だけで、その神様に雨具代わりの働きかけをさせるとは・・・・図々しいにもほどがある。 そりゃあ、じい様だったら雨に濡れないという怪奇現象が起きても「流石は晴明様!」で済むだろうが、だからと言ってその横着振りは如何なものだろうか? 「晴明の信条は『使えるものはとことん使え』だからなぁ。お前もそうしろとは言わんが、遠慮してて風邪をこじらせていたら話にならんだろ?もう少し上手く立ち回れるようになれ」 「んな無茶な・・・・・」 自分には祖父のような狡賢さなどないのだ、そんなところは祖父に似てないと喜ぶべきか喜ばざるべきなのか判断はつけにくい。つけにくいが、とにかく自分は人の目を欺いてこそこそと物事を進めることができるほど器用ではないので、土台無理な話だろう。 そう諦めにも似た心境で深い溜息を吐きつつ、改めて外へと視線を向ける。 地面へと吸収しきれなくなった分の雨水が、そこらかしこで大きな水溜りを成している。 「けど、本当に止まないよねぇ・・・・。高於の神の機嫌が悪いのかな?・・・・なんて」 「おいおい、流石にそれはないだろう。・・・・と言いたいが、あの神も気分屋だからなぁ。絶対ありえんとは言えん」 神妙な顔でそう語る物の怪を見て、昌浩はおかしそうに笑った。 「もっくんこそ酷い物言いだよ?・・・・・・・でも、そろそろ本当に雨が止まないとまずいと思うんだけど」 「そうだな。このままだと川が氾濫しかねないしな。作物だって水をやり過ぎれば駄目になる」 「そう言えば、頭がじい様に雨止みの祈祷をお願いするって言ってた気が・・・・・」 「あ?なんで晴明に依頼するんだ?そういうのは貴船んとこの宮司に依頼するものだろうが」 怪訝そうに顔をしかめてそう言う物の怪に、「だよねぇ〜」と昌浩も頷いて同意した。そしてその後に「でも・・・」と言葉を続けた。 「何かね、貴船の御社までの道のりが土砂崩れで完全に塞がれちゃったらしいんだ。だから貴船の人に依頼することができないってことで、じい様の方に話が回ってきたみたい」 「あ〜、そりゃまた難儀な話だな。・・・で、その祈祷は何処でやるって?」 「あ、それはここでやるらしいよ」 「ここぉ?!って、陰陽寮でか??」 「うん。大広間の方が慌しかったから、多分そこでやるんじゃないかな?」 「おいおい。こんなところで祈祷したって、あの天上天下唯我独尊な神に通じるわけがないだろうが・・・・」 昌浩の言葉に、物の怪は呆れきった表情で溜息を落とす。 物の怪の言葉に同意を示さなかった昌浩だが、その心情としては祈祷の効果はあまり期待できないのでは・・・?と思っている。 いくら晴明が稀代の大陰陽師であったとしても、彼の龍神が坐す貴船から遠く離れたこの場所からでは、祈りの声が正しく耳に届くか定かではない。 まぁ、そこは祖父のことなので距離など関係なく、彼の神の元へと届けてしまいそうだ。 そう思い直しつつ、昌浩は改めて己の手を動かし始める。 しゃこしゃこと、耳障りの良い音が雨音に混じってその空間に広がる。 無駄口もこれにて終了だと悟った物の怪も、その目を再び閉じた。 さぁー・・・・・ さぁー・・・・・ 雨が地へと降り注ぐ音が空間を満たしていく。 「――――っ!?」 「んなっ?!」 それまで静かに雑務を行っていた昌浩と、浅い眠りについていた物の怪は、ありえない気配を察知して驚愕の表情で虚空を仰いだ。 それは水気にも似た、玲瓏かつ甚大な神気―――――。 「な、なんで・・・・」 「馬鹿なっ!いくら祈祷しているとはいえ、わざわざこの場に姿を現すか?!――高おかみの神!!」 瞬間、陰陽寮の一角に、清冽な神気の持ち主が降り立った――――。 * * * 「謹請し奉る・・・・・・・・」 晴明は陰陽寮で一番広い部屋にて、祝詞を朗々と紡いでいく。 雨止みの祈祷をしてくれと、陰陽寮から依頼があったのはつい昨日のこと。 そんなものは自分達でなんとかしてくれと言いたかったが、貴船にてそれを行うことができないのだと泣きつかれてしまえば断るに断れなかった。 ただでさえ気難しい神なのだ。それが神の坐す場所よりこんな離れた所からの祈りでは、果たして聞き届けてくれるかどうか怪しいものである。 さりとて、ここ二十日以上も続いている雨天を顧みればそう悠長なことも言ってはいられず、焼け石に水とは思いながらも彼の神が聞き届けてくれることを願って、こうして祈りの詞を捧げている。 「伏して願わくば―――っ!?」 祈祷を始めてからしばらくしてのことである。 晴明は陰陽寮上空に顕れた清浄な神気を察知して、驚愕に目を瞠った。 (なん、じゃと―――?!) 上空に現れた神気はその場に止まるどころか、あまつさえ陰陽寮の一角へと降り立ったのだ! 「・・・・晴明様、如何なされました?」 唐突に祝詞を紡ぐことを止めた晴明を訝しく思った者の一人が、恐る恐る晴明へと言葉をかける。 しかし晴明はそれに対して返事を返すことなく、ある方向へと視線を固定したまま身動きを完全に止めていた。 違和感を察知した感覚が鋭い者が数名ほど、晴明同様に同じ方角へと視線を向けたまま呆然とした様子を見せていた。 ざわざわと、異変を察知できないその他大勢の者が騒ぎ始める。 そんな中、陰陽寮の一角へと顕現した神気は徐々にこちらへと向かって近づいてきた。 その神気がすぐそこまでとやって来た所で、晴明ははっと我に帰る。 晴明は僅かな動揺を押さえ込みながら、その場に伏した。 晴明の行動を見て、すぐそこまで近づいてきている『何か』を察した数名の者達も慌てて彼と同じようにその場に伏せる。 そんな彼らの行動を理解できない大勢の者達は、彼らをひたすらに困惑顔で見つめていた。が、それも数瞬後までのことであった。 いやに張り詰めた空気の中、神気の主はその場に姿を現した。 「え・・・・安倍殿?」 その場に現れたのは、皆がよく知る直丁その人であった。 しかし、その直丁の姿を見て、その場にいた者全員がはっと息を呑んだ。 見慣れているはずの直丁は、その髪の色を白へ、瞳の色を深い蒼へと変えていた。そしてその身に纏うは隠しても隠し切れぬ清涼な神気――――。 神気が目と鼻の先ほどの距離までやって来て初めて、事情を悟れぬ多くの者達はその神気を明瞭に肌で感じ取ることができた。 誰もがその神気に気圧され、または中てられて意識を途絶えさせる中、最高峰と謳われる陰陽師は徐に口を開いた。 「かような場所に、ようこそお出で下さいました―――高おかみの神」 つい先ほどまで祈りを捧げていた相手の名が紡がれた途端、その場は水を打ったように僅かなささめき声も無くして静まり返った。 深々と頭を下げている晴明を見て、昌浩――に憑依している高於はくつりと喉の奥で笑った。 「今日はまた随分と殊勝な態度なのだな?晴明」 「つい先ほどまで御身に祈りを捧げていた身で、どうして尊大な態度が取れましょうか?」 「ふっ、それもそうか・・・・・と納得しておこう」 晴明の言葉を聞いた高於は、すっとその眼差しを細めた。 「まぁよい。――それより面を上げよ。・・・・若干名、礼儀知らずもいるようだがな」 頭を垂れそこなった者達は、その冴々たる視線を受けて完全に硬直する。 そんな者達の様子を鼻白んだように眺め遣った高於は、許しを貰って頭を上げた晴明へと改めて視線を向けた。 「・・・さて、晴明。お前の祈りの声は届いた。我はその声に応えてここにいる」 「わざわざ、姿をお見せ下さった理由を問うても、宜しいでしょうか?」 「くどい。理由は先に述べたとおりだ・・・・と言ってもお前は納得しないのであろうな。まぁ、その考えも間違いではない。我が応えたのはほんの気紛れだ。近頃は平穏そのものであったからな、たまには違うことをしてみるのも一興と思ったまでよ」 「然様でございますか。・・・・・我が孫を寄り代としているのは―――」 「それこそ愚問だな。この場に我を寄り付かせて無事でいられる者など、お前を抜いてこれしかおらぬ。それがわからないお前ではないだろう?」 そんな高於の言葉に、その場にいたほどんどの者が驚きに息を呑んで直丁へと視線を集中させた。 高於はそんな彼らの視線を受けて、ひょいとその眉を動かした。 その表情は若干の呆れを滲ませている。 「なんだ、この者達はこれが大器であることを知らぬのか?」 「・・・はい。まだ時機ではないと思い、秘するようにとそれにも言い聞かせておりました」 「何とも惜しい真似をしているのだな。早めに咲かせておかぬと、蕾のうちに刈り取られてしまうぞ?何せ花を守る囲いは随分と老朽化しているようだからな」 「・・・・・・・。お気遣い、ありがとうございます」 多分に含みを持たせた言葉に、晴明は僅かに周りにはわからない程度の苦笑を零す。 そんな二人の遣り取りに、事情を知らぬ者達は目を白黒とさせている。 「さて、だいぶ退屈しのぎにはなったな。我もそろそろ本来の持ち場へと帰るとしよう・・・・・」 「はい・・・・」 一体何しにこの場に現れたんだ!?と突っ込むなかれ。 神とはえてして理不尽な存在であることの方が多いのである。 徐に外へと視線を流した高於は、唐突にぽつりと晴明の名を呼んだ。 「晴明」 「はっ、何でございましょう?」 「雨は数日中には止む。何分、今年の土は水分の浸透が悪くてな。故にこのような長雨となった」 「はい、土壌も潤えば作物も十二分に育ちましょう」 「後で美味い酒を持ってこさせろ」 「承知致しました―――」 晴明の返答を聞き、満足そうに頷いた高於は寄り代としてた器から抜け出すべく、すっと眼を閉じた。 「・・・・そうだ、晴明」 「はい?」 「ここまで来る最中、何人かが我の気に中てられて倒れていたぞ」 「―――は?」 それは・・・・と問う間もなく、彼の龍神は器から抜け出し、天へと昇っていった。 後には呆然と空を仰ぐ者数名と、彼の神の気に中てられて昏倒している者が大勢取り残されたのであった。 このことにより晴明は一つの誓いを立てた。 もう、陰陽寮で水に関する祈祷は決してすまいと―――――。 ※言い訳 はい、今回高於の神の気紛れで一番被害を受けたのは誰でしょう? @矢面に立って高於と会話を交わさなければならなかった晴明。 A知らぬ間に自分の実力について勝手にカミングアウトされていた昌浩。 B高於の神気に中てられて昏倒する羽目となった陰陽寮の人々。 答えは・・・・・皆さんのご想像にお任せします。 話中に出ていた雨止みの祈祷についてですが・・・・これは紫陽が勝手に作らせて頂きました(爆)。 雨乞いがあるんですから、その逆だってあるはずです。身近なものだとてるてる坊主ですね!(何か違う) 祈祷の際に唱えられていた祝詞も適当です。(ヲイ;;)だって、資料が見つからなかったし・・・・ごにょごにょ。 高於の神が随分と昌浩のことを気に掛けてるような文章に・・・・原作だとここまではいかないだろうなと思いつつ、キーをと打ち込んでいました。 最後に、もっくんはどこいったー!?というのもスルーの方向でお願いします。 さて!これはフリー小説ですので、もし気に入っていただけたらどうぞご自由にお持ち帰りください。 2008/2/27 |