満月

「ふぁぁあ〜」
「なんだ、昌浩。欠伸なんかして。真面目に仕事しろよな」
「うるさい、物の怪」
「も、物の怪ちがう!」

男たちは今日もまだ陽のあがらない路を仕事場である内裏へ向けて歩いていく。
…まあ歩くといっても、
自身の足で歩くものより牛車などで行くもののほうが多いのだが…
そんな中を二人…いや、一人と一匹は
当然のように自らの足で歩き続けていた。

「女の怨霊の調伏に、ここ20日間残業ばかり。
今日なんか一睡もできなかった」
「だからって仕事場で欠伸でもしようものなら
ここぞとばかりに責められるぞ」
「分かってるよ。だから今してんだろ」
「………そ、そうだな」

ここのところ、昌浩は本当に忙しい。
現在陰陽寮では雨乞いに奉納など、様々な行事の準備に追われている。
もちろんそれは直丁である昌浩も例外ではない。
それどころかモロに雑用に借り出され、最近の仕事量は半端ではない。
加えていつもの夜警に最近都を騒がせていた女の怨霊退治
きっと今この都でもっとも体を酷使しているのは昌浩だろう
おかげでここ二日ほど昌浩の機嫌はすこぶる悪い。
本っっっ当に悪い。

出来るならいっそ物忌みでもなんでもなってもらって
機嫌がよくなるまで部屋に閉じ込もっていてもらいたいほどに…

「おやおやこれは安倍の末殿。こんな刻限に独り言とは…
なにか憑き物でもあるのではと思われてしまいますよ?」

このえらくごてごてとした牛車にのっているふざけているのか?と
一瞬目を疑うほど毒々しい派手な直衣を着た男は昌浩と同じ年で、
2年先に出仕しだした男、小野之長だ。

ちなみに幼いころ昌浩に心無い態度をとった餓鬼の一人でもある。
一体何度、自分の姿の見えないこの餓鬼に鉄拳制裁を加えたことか

「之長殿もお元気そうで。」
「いやいや、最近は色々と大変でね。
昨日も頭の邸にて行われた歌合せで締めをさせていただいたんだが、
良い返しの歌が浮かばなくてね。おかげで寝不足だよ」



     ピキ



な、なんだ?今背中に異様な冷気が・・・
や、発生源は分かっているんです。
むしろ見たくないというか…
つかたかだか1日寝なかったくらいで寝不足だとかぬかすんじゃない!

「それはそれは。大変だったようですね」
「ははは。私は直丁殿と違い色々と責任ある仕事をやらねばならぬからね
おっと、このように話し込んでいては仕事に支障をきたしてしまうかな」




   ピキ  ピキ




嗚呼……お前、お前というやつはなんッでそう…

「作用ですね」
「いや、それにしてもうらやましい」
「はい?」
「貴方のように見鬼があるというだけで
ろくな仕事をせずとも俸禄がいただけるなんて」



    ・・・ーーごごごごごごごご

「うらやましい限りだよ。私も見鬼とやらがほしいね」



















    ま、まさひろ・・・・・・・?
先ほどまであたりに充満していたあの身の毛立つ冷気が突如姿を潜めた。
普段なら変わりやすい機嫌が直ったのかと喜ぶところかもしれないが、
今までの流れから見てそれはありえない。

「そういえば今宵は満月でしたね」
「ん?そうだね。今宵も私は宴に招かれているのだよ」
「でしたら帰路はご注意ください」
「?」
「月は陰、満月は魔の気が強まる日でありますれば、
いかな怪異が起こるやも知れませんので」
「ははは
それはまた。注意しておきましょう。
しかし、満月に見る怪異とは。それもまた一興ですな」
「・・・・・・・・・くす」
満月の夜
妖が跋扈するこの平安の都に一人
宴からの帰りであろうか、すでに人通りもない路に
毒々しいとさえ思えるほどの絢爛豪華な牛車が掛けていく。

「遅くなったか、早く戻らねば」
彼らが急ぐのには理由がある。
今宵は満月。
風流であるとも言われるが、それ以上に恐ろしい
満月は魔、陰といったものの力を強めてしまうのだから。
それはつまり、妖との遭遇率がうなぎのぼりになるということ。
まして朝方のあの一言がある。
気はせくばかりで・・・・・・

ふと、車の外に何かの気配を感じた。
しかしそれはありえない
牛車を引く牛はかなりの駿牛、
たとえ横につけたとしても蹄や嘶きがあるだろうに
しかし確かにおろされた御簾の向こうに音もなく走るなにかがいる。
牛はもちろん、馬でも、人でもない。
恐る恐るあげた御簾の向こうにいたもの
満月の光が雲を裂いて路を煌々と照らし出されたそこには



「ひっ!!」



男が声を上げるよりも早く、牛はその異様さを感じ取り、
先ほどとは比べ物にならないほどの速さで路を駆けていく。
しかしそれでものその気配は一向に車から離れることはなく


「ひいいいいいいいいいいいいいいい!!!!」



ところ変わってここは朱雀門の前
昌浩と俺はいつものように夜警に来ていた。
しかしいつもと違うことも一つ
さすがにここ連日の酷使に周りにいる俺の精神が限界を向かえ、
昌浩の唯一の式である車の輔にのってここまできたのだ。
今日は満月、しかも天気にも恵まれた中秋の名月だ。
月見もかねて車に揺られてきたわけだが、おかげさまで
この大門の前に着いたときには昌浩の機嫌も直り、それどころか
上機嫌で鼻歌なんぞ歌っている。

「昌浩、なんで車の輔を先に返したんだ?乗って帰ればいいだろ?」
「ん?今日はせっかくの満月だろ?車の輔にも楽しんでもらいたくてさ」

そう、昌浩は着くなり車の輔を返してしまったのだ。 まあ時間はかかるかもしれないが、歩けない距離ではないし、
本来の目的であった昌浩の機嫌取りも果たせた。 別段問題はないが、なるほど。そういう理由からか
この辺りには町外れ。
まして今は草木も眠る丑三つ時
確かに出歩く人もいない刻限であるし、
屋敷に戻るまで走るのにも十分な距離があった。
車の輔も久方ぶりに羽を伸ばして走り回れることだろう
式思いというか、なんとも昌浩らしい考えだ。

「ふ〜〜ん、なら俺も楽しませてくれよ」

にやりと不適に笑うその物の怪の笑顔に気づかないのか、
彼はくすくすと笑って空を見上げて囁く
「ん?ウサギ小屋?それとも猫屋敷でもさがそうか?」
「なんでだよ!!」
「さ、そろそろ帰ろう。もっくん」
「ああ」






『ね、車の輔知ってる?この先の大路を行くと中将の屋敷があるんだけど
今日その宴に来ている中に街道一の速さ自慢の牛車があるんだって。』

『もちろん、お前の方が速いよな?』






終幕