―――――今日は機嫌が最悪だった



―――――いつに無いほど、それはもう本当に最悪だった







『孫、黒孫になる』





朝、自分の邸を出て出仕しようとしている少年―――



彼は今、機嫌が良くなかった


隣にいる物の怪が先ほどから何故機嫌が悪いのか聞いてくる



「なぁ、昌浩。いい加減どうして機嫌が悪いのか教えろよ」



聞かれてくる度に、今、自分の機嫌が悪い原因を思い出し
嫌な顔をする昌浩
聞いても全然答えが返って来ず、痺れを切らしかけている物の怪

昌浩は今まで閉ざしていたその口を開いた



「今日の夢見が物凄く嫌な物だったんだ」
「夢見?どんな夢だ?」



物の怪が夢見の質問をすると昌浩は更に眉根を寄せた



「5歳の時の貴船に置き去りにされた夢」
「あぁ・・・・・」



昌浩がそう答えると物の怪は納得がいった返事をした
あの貴船に朝までずっと暗闇の中、誰かが丑の刻参りをしているのか、どこからともなく響く釘を打つ音
そんな中、晴明の帰りを待ち続けた幼い頃の記憶



だがその夢は前にも見た筈だ

その時自分は昌浩に思いっきり殴られたという痛い記憶もある


その事を言おうとしたが止めた
(今、昌浩に何か言えば自分の身に何が起こるか分からない;;)






仕事をしている間も人と話をするときは笑顔だが、自分の見間違えのせいかその笑顔が黒く見えた


その日の陰陽寮で起きたことは昌浩の機嫌を悪くする拍車を掛けていった



今日は3人の陰陽生達がたくさん仕事を押し付け、嫌味を言いに来た
そしていつものように物の怪がその陰陽生達を蹴り倒しに行こうとしていた
話をしている間は、昌浩は物の怪を押さえている
そしていつもなら陰陽生達が帰った後、昌浩は物の怪をなだめるのだが、今日は違った



「もっくん・・・・・行け」
「!?わ、分かった;;」



いつもはそんな事を絶対に言わず、物の怪が蹴りを入れようとするのを絶対に許可しなかった昌浩が、
自分から『行け』と言った

驚いて昌浩を見ると、満面の笑顔
そしてその周りに纏わり付く黒い影


(朝より相当やばくなってきてないか?;;)
そう思いながらも昌浩に言われたことを実行しに駆けて行った


昌浩の元から去っていった陰陽生達はそのあと次々と、後ろから蹴り倒されるように転んだらしい

そして、その3人の陰陽生達はこれから1週間、原因不明の悪夢にうなされ、とうとう体調を崩し、出仕できなくなったそうだ






戌の刻―――――



あれから様々な陰陽生達の仕事の妨害を受けた昌浩の仕事が終わったのはいつもより遅い時刻だった



「昌浩、今日は夜警は止めておけよ」
「うん、そうするよ。じゃないと明日は何をするか分らないからね」

(俺は明日じゃなくて、今日何をしだすのかひやひやしたぞ)

「もっくん何か言った?」
「!?い、いや、何も言ってないぞ!」


物の怪は、俺口に出して言ってたか?言ってないよな?などと邸に着くまでずっと考えていた











「昌浩」


自分の部屋で、寝るまで書物を読んでいた昌浩に太陰が声を掛けた



「あ、太陰、玄武。どうしたんだ?」
「昌浩、晴明が呼んでいる」
「早く来なさい、だって」
「うえ;;」



昌浩はそれを聞いた途端に嫌な顔をした
たいてい自分が呼ばれる時は『ちょっと行って退治て来い』だからだ
今日は明日に備えて早く寝ようと思っていた矢先にこれだ
嫌な顔をした昌浩は自分を呼んだ者の部屋まで行くことにした



「じい様、入ります」
「おお、昌浩か。入ってよいぞ」


晴明のところまで行って床に腰を下ろす


「じい様、要件は何ですか」
調伏ではないことを祈りながら聞く昌浩


「うむ。実は今日わしのところに妖を退治して欲しいという文が届いてのぅ」

昌浩の祈りはこの言葉によって無残に散っていった


「右京の二条大路に毎晩妖が出て、外に出ている者を襲うらしい。という事でちょっと行って退治て来い」


やはりこうなるのか
ああ自分の睡眠時間がこれでほぼ無くなった
こうなったら晴明に反論をして、遊ばれて時間を無駄にするより早く行って退治して、ほんの少しでも長く寝よう


「分りました」


返事を返して昌浩は立ち上がった
やはり今日の昌浩は変だと再認識した物の怪
そしてその物の怪以外にも変だと思った者達がいた
この部屋には今、晴明、昌浩、物の怪以外にも太陰、玄武、六合、勾陳がいた

(((((昌浩がおかしい/いつもと違う;)))))


「どうしたんじゃ、昌浩?お前熱でもあるのか?;」
「そうよ!いつもなら物凄く嫌な顔をしたりするのに!」
「確かにいつもと違うな」

上から晴明、太陰、玄武が口々に言う

(止めろお前ら!それ以上昌浩の機嫌を悪くしないでくれ!)

心の中で必死に叫ぶ物の怪
その言葉に昌浩は満面の笑みで答えた


「熱なんかないですよ、じい様。俺はただじい様に頼まれた依頼に今から貴重な睡眠時間を削って行くんです。
早く寝たいので、これから妖をきれいさっぱり、塵すら残さず存在を抹消しに行こうとしているのに変だとか言わないで下さいよ」


妙に物騒な言葉が混じっている今の昌浩には、何も話しかけない方が良いと思った一同


「う、うむ。引き止めて悪かったのぅ。行って良いぞ;;」
「はい。では行って参ります」


昌浩が出て行った後、物の怪が去り際に
これ以上手間を掛けさせないでくれ、と物の怪が疲れたように言った
彼の気苦労が垣間見えた気がする


「やっぱり変よ、変。だってなんだか笑顔がおかしかったもの・・・」
太陰が青ざめながら言う

「我もそう思う。目が笑っていなかった・・・」
玄武も顔が些か引き攣っている

「うむ、これからは昌浩の機嫌を見て頼んだ方がいいのぅ」
昌浩の初めての対応に晴明すら驚いて何も言えなかった

「今度から気をつけた方がいいぞ、晴明。私達の身にも何が起こるか分からない」
勾陳までもが危機を感じた

「俺もそう思う」
六合も勾陳の意見に賛成した







その頃、昌浩は―――――



「人を襲ってくる、何も警戒しない妖で良かったよ。探す手間が省けた」
「うまそうな子供だ。俺の餌食になってもらうぞ」


右京の二条大路で件の妖に遭遇していた


「はっ!俺の餌食だ?それは逆なんじゃないのか?――――俺の貴重な睡眠時間を削った罰だ。覚悟しろよ」


妖に対してこれ以上ないくらい最高の笑みを浮かべた
今日その笑顔を見たのは何度目だろう
俺はいったいどうすればいいんだ!?
物の怪は心の中で葛藤していた

(昌浩がどんどん腹黒くなってきている;;)

そう考えているうちに昌浩は妖で遊び始めた


数分後、妖は傷だらけの体で逃げ出した


「た、助けてくれぇぇぇ!」
「せっかくの遊び道具なんだから。逃げられると思うなよ♪」


逃げ出した妖を昌浩と物の怪が追いかける
だが心なしか物の怪は一歩引いている―――昌浩から
そんな物の怪に昌浩が声を掛けた


「もっくん。ちょと来て」


そう言って自分の肩を指さす
物の怪は不思議に思いながらも肩に乗る
物の怪が乗ったと同時に昌浩は物の怪を持ち上げた


「うわぁ!な、何をするんだ!昌浩っ!?」
「もっくん。あいつを止めてね」
「と、止める!?ちなみにどうやって?」

恐る恐る物の怪が聞く

「ん?こうやって!」

言ったと同時に物の怪を前方を走る妖に投げつけた


「投げるなぁぁぁーーー!」


泣きながらしっかりと妖に?まった


「く、くそ!止まってもらうぞ!止めないと危険だ!俺が!!」


もう命の危機すら感じる昌浩の黒い笑顔
黒い笑顔だけでなく、冷気まで感じて来たのは気のせいではないだろう

物の怪は炎を使って妖を止めた


「やっと止まった♪」


いつになく上機嫌な昌浩
朝の機嫌の悪さは一体どこに行ったのだろう
いや、きっと憂さ晴らしをしているのだろう―――この妖で


「でも」


急に声の低くなった昌浩に顔を向ける物の怪
だが物の怪は振り向かなければ良かったと本気で後悔した
昌浩の顔からは一切の表情が抜け落ちていた


「もう疲れた。それじゃあ、さようなら」


言った後すぐに九字刀印をきった

「ぎぁやぁぁぁーーー!」

妖は昌浩が晴明に宣言したとおり塵も残さず消えていった


「ふぅー。終わった終わった。まだ遊び足りなかったけど仕方ないよね」


遊びで済まされる話ではない

「ま、昌浩。終わったし、早く邸に帰って寝ようぜ」

少しでも早く元の昌浩に戻って欲しい
が、物の怪の願いは儚く散っていった
近づいてくる妖気―――――それも一つではなく複数
昌浩はまた笑顔で敵を迎えた






―――――その頃


晴明は自分の部屋で、式を使って昌浩達の様子を見ていた


「六合」
「何だ?」


晴明と同じように様子を見ていた六合
六合だけでなくこの部屋にいる他の神将も様子を見ていた
だがその反応は様々で、晴明、太陰、玄武は顔を引き攣らせ、尚かつ青ざめていた
六合はよく見ると、物の怪と敵の妖に同情していた
この中で勾陳は唯一滅多に見られない昌浩の反応を楽しんで見ていた

たくさんの妖達と対峙している昌浩達


「助けに行ってはくれまいか」
「騰蛇がいるのに何故だ?」


数はいるがそんなに強くない妖怪だ
現に今は昌浩だけで応戦している

(昌浩だけ・・・?)

そこで、いつも昌浩のそばにいる白い異形の姿が無い事に気がついた
彼はいったいどこに行ったのだ?


「いや、助けるのは昌浩ではなく、紅蓮じゃ」


悲しげに、顔を青ざめながら言う彼の言葉にますます疑問を抱く
そんな彼の表情を読み取ったのか晴明が

「行けば分る」

と言った
わかった、と言って出て行った六合







昌浩達の所に行くと、やはり昌浩だけが戦っている
いったい自分が“助けて来てくれ”と言われた人物はどこにいるのだろう
辺りを見回してみると近くの塀の上で騰蛇が頭を抱えていた
いつもの物の怪の姿ではなく、本性に戻っていた


「騰蛇。どうした」
「ああ、六合か・・・」

やけに疲れ切った返事が返ってきた

「昌浩が―――――」


そう言われて昌浩の顔をよく見てみるとすごい笑顔だった
式ごしに見ているより凄まじかった
天使のような笑顔。だが目が笑っていない
見ただけで肝が冷え、目があったら固まってしまいそうだ
そしていまその笑顔でやっている事はいくら妖に対してでも残虐なものだった
――――― 一匹一匹殴り祓っている


「昌浩が・・・どんどん黒くなってきている」

朝から進化し続けていったその独特の笑顔は、いまや人を凍死させられそうなものになった

「それは・・・分かるが、何故参戦しないんだ?」

騰蛇の心情はよく分るが、先ほどから気になっていた事を聞いた

「ああ、それは・・・」






たくさんの妖が来たので、自分も参戦しようと(本当は早く帰って昌浩を元に戻したい)思った物の怪は本性に戻った



「紅蓮。俺のおもちゃで遊ばないでね」

それは、遠回しに手出しをするなという意味と紅蓮はとった


「わ、分かった;;」


その言葉に紅蓮は素直に従った


(手出しをしたら自分が危ない!)


今日でこう思ったのは何回目か分からなくなった紅蓮




それで今に至る話しを終えたと同時に昌浩が最後の妖を祓い終わった

「ああ、六合。来てたんだ。何で一緒に戦ってくれなかったんだ?」
「戦うなと昌浩が言ったんじゃないか!?」

紅蓮が慌てて言う

「俺は遊ばないでね、と言っただけで、戦うな、とは言ってないよ?」
「そ、そうだったのか・・・」

紅蓮は昌浩が言っていた意味を取り間違えて青ざめている

「それに六合も紅蓮と話し合ってないで戦ってくれてもよかったんじゃないか?」
「そ、それは、済まなかった・・・」


今、晴明が騰蛇を助けてくれと言った意味がわかる気がする
だが、気づくのが遅すぎた


「紅蓮、六合。俺だけに妖退治をさせて楽しかった?」


いけない。笑顔を向ける対象が妖ではなく自分達にきた
非常にまずい。今までその笑顔を向けられなかったから分らなかったが、それは凄かった
十二神将はあまり寒さを感じることはないのに寒い。気象のせいではなくその笑顔のせいで・・・
それほどに凄かった

そして今度は近くの空を飛ぶ蝶―――晴明の式に向かって


「じい様達も見てて楽しかったですか?」


見ていた晴明達は面を食らった
まさか、いつもは気がつかない式に今日は気づくとは
黒くなった昌浩は最強だと思った
式ごしに笑顔の冷たさが伝わってくる
近くにいる紅蓮と六合は自分たち以上につらい思いをしているだろう
だが、その笑顔を向けられて、他の者の心配をしている余裕は無い


「じい様なんか大っ嫌いv」


何故か、実際に見ているように晴明が石化した映像が浮かぶ紅蓮と六合


((晴明・・・・・))


2人が自分達の主を哀れんでいると


「紅蓮、六合」


いつの間にか自分達に向き合っていた昌浩


「な、なんだ?」


紅蓮が怖々と聞いてくる。六合も聞ける態勢になっていた


昌浩は今日一番の低い声で2人に言った


「・・・・・次は無いからね」


そう言って邸に帰って行く昌浩

2人はその場所で仲間に迎えに来られるまで石化していた






―――――皆は誓った



―――――昌浩の機嫌が悪い時にはそれ以上悪くならないようにしようと



―――――そのためには昌浩に手を出す陰陽生達には犠牲になってもらおうと



―――――そして、絶対に昌浩の機嫌が悪い時に調伏の依頼をしまいと