物の怪の不幸な一日



真面目で優しく素直であることこそ、気持ち良く生きていくのに必要だ
だけどたまに、ごくたまーにそれが息苦しい
だから、この日ばかりは皆の運が悪かったと思ってほしい







今日は物忌み明けの出仕なのだが、長い休みのせいかなかなか目を開けることができないでいた
それに見兼ねた物の怪が声をかけるのだが


…起きない 今度は尻尾でくすぐってみる


……起きないどころか叩かれた


怒って前脚で殴ろうとしたら


………投げられた


「あら?もっくん、外で寝ては風邪をひくわ」


昌浩は彰子によってやっと起きたらしいが、物の怪への仕打ちは覚えていないという
寝ぼけたにしては悪意が感じられる


食事の間に愚痴っていると


「うるさい物の怪」


とそれはそれは低い声で言われた
今のは誰だ?まさか青龍ではないだろう
だってここに奴はいない
まさかの昌浩の言葉にあの、あの晴明までもが固まった







出仕した昌浩は、まあ普通だった
真面目に直丁の仕事に励んでいる
今は墨をすっているところで、今日はもう仕事もない
定刻にはあがれるだろう
そう思いながら物の怪はついと外を見た


すると、まあお決まりのようにあいつがやって来た
あいつはあいつだ
能無しエセ陰陽師だ


「昌浩殿!」


昌浩の姿を認めるとこれまたお決まりの文句を口にする
まったく、あいつは昌浩が素直なのをいいことに小姑のように文句を並べるのだ
昌浩も昌浩だ。また笑顔で奴を出迎え……


「ちっ……」


何かが聞こえた
幻聴だ。だって見上げた先の昌浩はいつもの笑顔だ
きっと朝投げられたせいで耳がおかしいのだ


物の怪が心の葛藤をしている内に、すっきりした顔で敏次が去っていく


「あれ?もっくん行かないの」


え、と振り返れば不思議そうな目で昌浩が見下ろしていた


「行くってどこへだ」
「いつもだったら敏次殿の後を追ってやるじゃん」


そういえば今日は混乱していたせいか得意の飛び蹴をくらわせていない


「今日はいい。気分じゃない」


それに今更追って行くというのも何かおかしい
昌浩だってやめろと言っていたから問題ないはずだ
なのだが
「ふ〜ん」となんとも言えぬ声を出し


「なんだ、……つまらない」


ぼそりと、しかし物の怪には聞こえる声で呟いた
あれか、昌浩 おかしなものでも食べたか?


「うるさいよ物の怪のくせに」
「は?」


声には出していない。なのに昌浩はうるさいという


「声に出さなくてもわかるよ、お前の言いたいことぐらい」


……反抗期だ
とうとう昌浩にも反抗期が訪れたのだ


「もっくんてさ、たまに言うことが…親父みたいだよね」


アハハと無邪気に笑うが…笑い事じゃない
もっくんは大打撃をうけて目を丸くしたまま硬直してしまった


「あ、鐘がなった。さて、帰ろうかな」


未だ固まったままの物の怪を置き去りにし、昌浩は硯やなにやを片付けていってしまった







信じられない。あの可愛い昌浩が・・・
まさか何かにとり憑かれて……いやいや、そしたら晴明が気づいていたはずだ
だったらやっぱり遅れてきた反抗期か
なんにせよ、俺の可愛い昌浩を取り戻さなくては!!







物の怪の心孫知らず


物の怪の災難は夜警にまで及んだのだった
異邦の妖異が去った平和な京の町をフラリと昌浩と物の怪が歩いていると
不穏な気配を感じた
すぐさま反応した物の怪は昌浩の脇から飛び退り背後を振り返った


間をおかずして一斉にやかましい声が合唱するように響く


「「「孫ーーーーーー!!!」」」


「へ?」
「うわっ」


ずざざざざっと一斉に飛び降りてくる雑鬼たちが山のように積み重なる
しかしいつもと違う
なぜなら、この日潰されたのは他でもない物の怪であった


「何でおれだ!?」

「だってー」
「今日の孫はー」
「「「ねー」」」


なんの「ねー」だかわからないが、まあたぶん正解なのだろう
しかし物の怪は理不尽な気持ちでいっぱいだ
そもそもなぜ今日の昌浩が機嫌が悪いことをこいつらが知っているかだ


「もっくん、潰れた感想は?」


偉く楽しそうだな、昌浩よ


「だって、他人のちょっとした不幸っておもしろくない?」
「・・・・・・・・・」


今なにかすごい台詞を聞いたが、聞かなかったことにしていいか?
おれは忘れたい。悪夢だと信じたい


「孫、最近疲れが溜まってるんじゃないか?」
「ダメだぞ、ちゃんと休息しなきゃ」
「人間ってのはすぐに壊れるからな」


「え、俺疲れてる?」
キョトンとした顔で雑鬼を見つめる昌浩だったが、途端に力を失ったように座り込んでしまった
「昌浩!!?」
突然のことに元の姿に顕現した紅蓮は昌浩を支え起こす


「……熱い」


昌浩の身体はひどく熱を持ち、ぐったりとしていた


「孫の体調ぐらい気づけよなー」
「いつも一緒にいるくせにダメだなー」
「しっかり休めよ、孫ー」







その後すぐさま屋敷に意識のない昌浩を連れ帰り褥に寝かせた後
露木や彰子、天一の看病の甲斐があってか、翌日幾分すっきりした顔で昌浩が目覚めた


晴明すら気づけなかった昌浩の病名は疲れからきたただの風邪らしい
しかもまた迷惑なことに昨日の一連の出来事を昌浩はまったく覚えていないらしい


落ち着いた昌浩に話して聞かせるも、笑って「まさかー」なんて取り合ってもらえなかった


まあでも、昌浩が元に戻ってくれてよかったと物の怪は安堵する
もう二度とあの黒いオーラを纏った昌浩とは出会いたくないものだ


それでもごく稀に(特に敏次出現時)の舌打ちが風に乗って聞こえるが
きっと気のせいだと思う
うん、気のせいということにしておいてほしい