緑の薫りを運ぶ風。








芽吹き始めたばかりの草花。








きんと染み渡るような雪解け水。








そして漸く活動を始める動物達の気配。








それらすべてが春の到来を告げていた。










君に贈る薄紅色の春











冬の身を切り裂くような冷たさが和らぎ、心持暖かさを感じるほどまでになった風が吹く。



暦の上では春。今は弥生の初めだ。



響き渡る笑い声、話し声。


朗々と歌を詠み上げる声。


流れる水のせせらぎ。



昌浩はそんな賑やかな場所にいた。

昌浩が今いる場所は簀子。勾欄に寄りかかって遣水の周りに集っている人々の様子を眺め遣っている。


今日は弥生に入って最初の巳の日。つまりは上巳の節句なのだ。
上巳の節句―――又の名を桃の節句。
3月のはじめの巳の日に行われる行事で、水辺で厄払いをする日である。
曲水の宴―――遣水の周りに集い上流から杯(つき)を流して、それが自分の前を通り過ぎないうちに歌を詠み、杯を拾い上げて酒を飲んでまた下流に流すという行事が行われる日である。


昌浩はこの行事に参加していたのだ。

実は後見役の行成から誘いを受けたのだが、生憎昌浩は酒が飲めない。更には歌を詠むことも不得手である。この理由から一度丁重に断りをいれたのだが、それでも構わないのでと言われてしまえば無下に断ることも出来なくなってしまった。
そうでなくても、日頃から色々と気にかけて貰っている身なので、結果としてここ藤原邸に来ていた。
しかし、昌浩以外は皆大人。正直言って居心地が悪い。

極め付けが人を品定めするような視線。

稀代の大陰陽師、安倍晴明。彼の後継と称されている昌浩のこと、もちろん話題の種にされることは必須であった。
そんな不躾な視線に晒されて誰もいい気持ちはしないだろう。
ということで、昌浩は今現在人気が少ない簀子に避難していたのだ。


「ふぅ・・・・・疲れた」

「そりゃあなぁ。あれだけ見世物にされれば疲れるわな」


愚痴めいた呟きを昌浩は零す。
昌浩の愚痴に共に来ていた物の怪が同意するように頷いた。

その言葉を受けて、昌浩はまた一つ溜息をつく。
特に何もしていないのだがとにかく疲れた。
この場合、身体的というよりも精神的にだ。

そして昌浩と物の怪は、しばらくの間綺麗に手入れされた庭を眺めていた。


「・・・・・とくにすることもないし、行成様には悪いけど帰ろうかもっくん?」

「俺は別に構わないが・・・・・・いいのか?」

「うん・・・・多分ね。行成様達だって色々と忙しいだろうし、言伝を頼んで帰ろうかと思う」

「そうか。じゃあ行くか?」

「そうだね」


帰ることにした昌浩と物の怪は中門(今でいう玄関)に向かった。






「やぁ、こんなところにいたのかい?」

「行成様・・・・・・」


中門へ向かう途中、昌浩と物の怪は行成に会った。
昌浩に気づいた行成は目許を和らげて微笑んでくる。
しかし、昌浩の向かう方角に何か気づいた顔をする。


「もしかして、帰ろうとしているところかい?」

「えぇ・・・・折角お誘い頂いたんですが、その・・・・・」

「やはり周りの人達が皆大人では退屈だったかい?」

「えっ!・・・・いや、あの・・・・・・」


行成に率直に聞かれて、昌浩はどう言葉を返したらよいか言葉に詰まった。
そんな昌浩に、行成はやんわりと笑んで話を続ける。


「はっきり言って貰っても構わないよ。私も流石にこの状況では君が退屈してしまっているのではないかと思って、丁度君を探しに行こうとしていたところだったんだ」

「そうだったんですか・・・・・すみません、気を使わせてしまって」

「いや、なに。私が君を誘ったんだ、気にしなくてもいいんだよ君は客人なんだから」


畏まる昌浩に、行成は軽く手を振ってなんてことはないと言う。
しかし、昌浩の胸中は行成に対する申し訳なさで一杯だった。


「しかし、君を退屈にさせてしまったことは確かだし・・・・・・そうだ、何かお土産を持たせよう」

「えっ!そんな・・・・行成様、そこまで気を使われなくても・・・・・」

「行成・・・・・お前、本当に良い奴だなぁ〜」


行成の言葉に昌浩は困惑の表情をし、物の怪は感極まったように嬉しげな視線を向ける。


「いや、いいんだ。これは私の自己満足、何かしなければ私の気が済まないからね。それで、お土産は何がいいかい?」


慌てて申し出を断る昌浩に、行成は取り付く島も無い様子できっぱりと告げる。
そんな行成の様子に昌浩は困ったように視線を彷徨わせる。
と、そこで眼の端に引っかかったあるものに眼を留め、意を決したように口を開いた。


「では・・・・お願いしてもいいですか?」

「もちろんだとも!それで?何がいいんだい??」

「あの・・・・・・・・・・・」


そこで昌浩がお願いしたお土産に行成は一瞬不思議そうな顔をしたが、次の瞬間には納得したように一つ頷いて快く了承した。

行成からお土産を貰った昌浩は礼を言い、物の怪と共に邸を後にしたのだ。








「ただいま〜」

「お帰りなさい、昌浩」


帰ってきた昌浩達を出迎えたのは、やはりというべきか彰子だった。
最早日常的光景となりつつある帰宅風景に、昌浩も自然と顔が綻ぶ。
二人(一人と一匹)の出迎えに出た彰子は、昌浩が持っていたものに気づき、視線を向ける。


「昌浩・・・・それは?」

「ん?あぁ、これ?・・・・お土産に貰ってきたんだ。はい、彰子」

「え?」


そう言って昌浩は、お土産――――薄紅色をした綺麗な花をつけている少し大振りの一枝を彰子に差し出した。


「もっと気が利いたものをお土産にしたかったんだけど・・・・・・これがとても綺麗に咲いてて眼に留まったから」

「ううん!とっても嬉しいわ昌浩!!・・・これは桃の花?」

「うん、今は丁度花が咲く時期だったから・・・・・・・喜んで貰えてよかった」


そう。昌浩が行成にお土産として頼んだのは桃の花が咲いた一振りの枝だった。
手入れが行き届いた桃の木に咲いた花は見事としか言いようがなく、彰子にも見せてあげたいと思って一枝貰いたいと行成に頼んだのだ。


「えぇ、本当に綺麗・・・・・ありがとう、昌浩」


彰子は本当に嬉しそうに笑った。


「うん/////////」


昌浩は嬉しそうに笑う彰子を見て、照れたように笑った。

二人の間には実にほのぼのとした空気が流れる。



「・・・・・・・俺の存在を忘れていないか?」


二人の間に流れる空気に、物の怪はとても居心地悪そうにポツリと呟いた。





薄紅色の花は美しく咲き誇る――――――。















※言い訳
久々のフリー配布小説です。
もし、気に入って頂けたらご自由にお持ち帰りしてください。
今回は3月3日、雛祭り記念ということで「桃の花」をテーマにした小説を書きました。
もっくん、存在感が薄いよ・・・・・・・。

2006/3/3