震える手。





荒くなる息。





引き攣る頬。





流れ落ちる汗。





強張り、幾度か音を発することもなく開閉する口を必死に動かして力の限りに叫んだ。










「こっちに来るな――――っ!!」













台盤所の天敵













陰陽寮の仕事から帰ってきた昌浩は、夕餉を取った後祖父である晴明の部屋を訪れていた。
夕餉を取り次第、部屋を訪れるように言われたためである。


「――――で、一体用件はなんですか?じい様」

「うむ。実わな、最近所構わず都を徘徊しておる妖が居るらしくてな・・・・」

「あ。もしかして黒影の妖って噂されているやつですか?」

「そうじゃ」

晴明の言葉を遮り、昌浩は思い当たったことを口にする。
晴明はそれに一つ頷いて肯定する。

黒影の妖。

ここ数日、都を徘徊するようになった妖らしい。

さながら闇の如く。
地を這う様は驚くほど俊敏。
襲い掛かられれば、思わず凍り付いて身動きをとることができないらしい。

いかほどに恐ろしいのかは実際に見てみなければわからないが、誰か早く調伏してくれないかと先輩の陰陽生が零しているのを聞いた。

そんなことを回想していた昌浩は、晴明の咳払いによって現実に引き戻された。


「わかっているなら話は早い。その妖について調伏を頼まれたのだが・・・・・・・」

「まさか・・・・・・・・」


そこまで話して、晴明はわざとらしく言葉に間を空ける。
その後に続く言葉を容易に想像できた昌浩は、諦めにも似た心情で内心肩を落とした。

「昌浩、ちょっと行って払ってこい」


予想に違わず。
いつもの如く、晴明は昌浩に妖退治を命じるのであった。





                       *    *    *





「―――ったく!あの狸め・・・・・自分に依頼された仕事を何で俺がやらないといけないのさ!!」

「まぁ、晴明だしなぁ〜。諦めろ」

「そういう問題と違うだろ、もっくん!」

「もっくん言うなっ!晴明の孫が!!」

「孫言うなっ!!」


晴明への愚痴から、お決まりの言い争いに発展する昌浩と物の怪。
そんな二人の様子を、隠形した六合は少し離れた所から見ていた。

よくもまぁ、飽きずにやっていられるな。

最近はそんなふうに感心するばかりである。

二人を眺めていた六合は、ふと何かに気づいたように視線を動かした。
それと同時に、物の怪も反応し、すぐさまその場から飛び退く。


「へ?」

「孫おぉ―――――っ!」

「あ、うわああぁぁぁっ!?」


唐突にその場から飛び退いた物の怪に、昌浩は意味がわからず間抜けな声を出したが、直後に大量に降りかかってきた雑鬼達に押し潰されたことによってその訳を知る。

ベシャッ!っと潰れた昌浩の上にモサモサと雑鬼達が降り積もる。

モサモサモサ・・・・・・・・降り積もる。

モサモサ・・・・・・・・まだ積もる。

仕舞いには潰された昌浩が完全に埋まってしまった。


「お〜。今日は豪勢だな」


小山を作り上げる雑鬼達に、物の怪は間延びした様子で感想を漏らす。


「よう!式神!!」

「当たり前だろ?」

「最近夜の見回りに出てこなかったし?」

「一日一潰れが日課な俺達にしちゃあ鬱憤がたまるわけよ」

「んで、久々に孫の姿を見つけたから」

「普段よりも景気良く潰しに掛かったわけよ」

「「「「「わかったか孫!!」」」」」


最後の言葉だけは、全員声を揃えて昌浩に話掛ける。


「お前ら・・・・・
いい加減にどけぇ―――っ!!


大声で叫びつつもじたじたと暴れて懸命に抜け出そうとする昌浩だが、どう足掻いても抜け出すことが出来ない。
う〜〜!と唸っている昌浩を見て、しょうがないなといった風情で溜息を吐いた六合は、救出すべく雑鬼達の山に手を突っ込む。
腕を取り、引っ張り上げて立たせる。

ぜーはーと荒く息を吐いていた昌浩は、ありがとうと礼を述べた。
六合はそれに眼で答えてから少し離れた所に控える。


「おのれ、毎度毎度人を潰しやがって・・・・・・・」

「まぁ、まぁ。起こるなよ孫」

「そうだぞ、潰されてこその孫だしな!」

「そんなことより、最近噂の黒い妖を払いに来たんだろ?」


怒りのあまりに懐から札を取り出した昌浩を見て、雑鬼達は慌てて宥めようとする。
なんとか気を逸らそうと、別の話を持ち出す。

それはどうやら功を奏したようだ。

”黒い妖”の部分で反応した昌浩は、懐に札をしまい戻して話を聞く体制をとる。
それに雑鬼達は胸を撫で下ろした。
次の瞬間にはにぱっ!と笑い、悪戯をばらすような調子で言葉を続けた。


「実はさ〜、いるんだよね。すぐ近くに」

「っていうかこっちに向かってきてる?」

「しかし、あの見てくれだからな〜。孫でも逃げ出したくなるんじゃないか?」

「あ〜。かもな」

「「「「「そういうわけだから、頑張れよ孫」」」」」

「・・・・・・は?」


言いたいことを言い終えた雑鬼達は、一斉に退散していったのだった。

昌浩達はそれを唖然とした様子で見送るしかなかった。
つい今しがたまでの騒々しさはどこへいったのか、一気に閑散とした静寂が広がる。


「な、なんだったんだ一体・・・・・・・」

「昌浩、そんな悠長に構えてなんかいられないぞ?」


そう言った物の怪は、視線を通りの先に向ける。
昌浩はそこで漸くこちらへと近づいてくる妖気に気づいた。
物の怪はそんな昌浩を見て、呆れたような顔をする。


「おいおい、しっかりしろよな?本来の目的を忘れてどうするよ・・・・・」

「うっ・・・・・・・わかってらい!ただ、ちょっと頭の隅に追いやられてただけで・・・・・」

「いや、だからそれを忘れたって言うんだろうが」

「・・・・・・・・・・・」

「はぁ・・・・・・・・」


物の怪が呆れたように溜息を吐いた時、闇に包まれた通りの向こうから何かさざめくような音が聞こえてきた。

それを聞きつけた三人は臨戦態勢をとる。
昌浩は暗視術を掛けた眼で通りの先を見据える。

さざめきの音が段々と大きくなってくる。
そしてその妖は暗闇から姿を現した!


「え゛っ?!」

「・・・・・・まじか;;」

「・・・・・・・・・」


妖の姿を見た瞬間、昌浩と物の怪は頬を引き攣らせた。(六合はほとんど変わらず)
たった今ならわかる。陰陽寮の人達が・・・・・・そしてあの狸が”これ”の調伏を押し付けた理由が。



月の光を浴びて黒光りする体。

周囲の気配を探るように、しきりに動く細長い触覚。

無数に蠢く足からは、先程から聞こえているさざめきにも似た音を出している。

白地の幾何学模様が体全体に描かれているが、これはどう見たってあれだ。
台盤所(今でいう台所)に立つ奥様方が悲鳴を上げずにはいられない憎き宿敵。
万人共通で生理的嫌悪を感じてしまう黒き生物。そう―――――――




「「ごきぶりぃ〜〜?!!」」



「いや、妖だ」

「「いや、それはわかるけど・・・・・・・」」


そう、その姿は正にごきぶり。しかも規格外(牛よりも大きいかも)の大きさ。

素っ頓狂な声を上げる昌浩と物の怪に、六合は至極冷静に訂正をいれる。


「とっ、とにかく!さっさと調伏しよう!!」

「そうだな、流石にあの見てくれはいい気がしない」

「あぁ・・・・・」


口の端が引き攣るのは否めないが、昌浩は気を取り直してごき・・・・・いや、妖と対峙する。

猛然と地を這ってくる妖は、眼の前に立ちはだかる昌浩達に頓着せずそのまま突っ込んでくる。
まさかそのまま突っ込んでこられるとは思っていなかった昌浩は、突進してきた妖にすれ違いに真言を叩きつける。
真言を叩きつけられたごきぶ・・・・妖は、ぴたりと足を止める。
全く動きをみせない妖に、昌浩は背に汗を流す。


「ど、どうして動かないんだ?」

「さぁ?わからんな・・・・・・・」


微動だにもしない妖を不気味に思い、昌浩は脇にいた物の怪に問い掛ける。
そんなことは物の怪とてわかるはずもなく、首を傾げることだけに止まる。

と、そこで妖が動きを見せた。

酷く緩慢な動きで後ろ―――つまりは今しがた通り過ぎたばかりの昌浩達の方へと体の向きを変える。
話すことも声を上げることもしないが、その体から発せられる気によって怒っていることは何となく理解できた。

退きたがる足を叱咤しつつ、昌浩は再び構える。
睨みつける眼の端に薄っすらと涙が溜まっているのは仕方ないと言えよう。


基本的に昌浩は虫に対して苦手感を抱いたことはない。
精々「いやだな〜」程度で、そんなに嫌悪するほど嫌っていたわけではなかった。それは蜘蛛だろうが、百足だろうが、なめくじだろうが変わりない。

しかし今、このごきぶりもどきと対峙してそうは言えなくなった。

何と言えばいいのだろうか、体がでかくなった分、その不気味さというか気色悪さが格段に上がっているのだ。
衣の下の素肌には、びっしりと鳥肌が立っている。
ぞわぞわとした悪寒が全身を駆け巡っているのだ。

そんな昌浩の気を知ってか知らずか、妖は昌浩達に向かって恐ろしい速さで襲い掛かってきた。



そして冒頭の話に戻る。



昌浩は拒絶の怒号と共に、霊力をありったけ込めた攻撃を妖に向かって放つ。

攻撃が妖に当たると思った瞬間、妖の姿が消えた。
目標を失った攻撃は空しく地面へと当たる。


「え・・・・消えた?」

「っ!どこに消えやがった?!」

「!上だ!!」

「「は?!」」


突然姿を消した妖に昌浩は呆然とするが、六合の言葉に慌てて視線を上に向けた。
そしてあるものを見とめた瞬間、ざぁっ!と一気に顔が青ざめた。


「と、飛んだああぁぁぁぁぁっ!!!」


消えたと思った妖は、
空中へと飛び上がりそのまま昌浩達の所に突っ込んできていた。


「ひっ!」


昌浩は凍りついた喉で、短く悲鳴を上げた。
硬直したままの昌浩に妖が襲い掛かる。

が、昌浩の前に宵色が立ち塞ぐ。


ザンッ!!!


銀色の斬閃と共に、妖が両断される。

それと同時に、妖を人型へと姿を戻した紅蓮が跡形もなく焼き尽くす。


「はぁ〜。おい、昌浩大丈夫か?」

「・・・・・・・・・・」

「昌浩?」


紅蓮は返事を返さない昌浩を訝しげに思い、振り返る。
振り返った先には、瞬き一つぜずに動きを止めている昌浩。
呼吸をしているかも怪しい位に微動だにしない。


「昌浩・・・・・・・」


そのことで心配になったのは紅蓮だけではない。
いち早く妖に攻撃を仕掛けた六合も、人形の如く動かない昌浩を心配する。

昌浩の目の前にやって来て膝を折り、昌浩と目線の高さを合わせてその顔を覗き込む。

凍りついたように固まっていた昌浩は、覗き込んできた六合の眼を見とめた瞬間、その瞳を揺らげた。


「・・・・・・・・・ぁ、
りくぅごおぉぉ〜〜〜!


がばりっ!と物凄い勢いで六合の懐にしがみ付く。
いきなりしがみ付かれた六合はちょっぴり驚きに固まっていたが、顔を埋めた昌浩の肩が微かに震えているのを見て、ゆっくりと宥めるように背中を撫でてやる。

困惑したように六合と紅蓮が互いに眼を合わせる。

それはそうだろう。今まで散々恐ろしい見てくれをした妖とやり合ってきた昌浩。
今更あの程度の見てくれで怖がるとは思えないのだが・・・・・・・・・。

幾分か落ち着きを取り戻した昌浩にそう問い掛けたところ、怖かったからではなく、あまりの不気味さ(気色悪さ)にとても衝撃を受けたかららしい。
あまつさえ”飛びつかれる”という行動まで起こされたので、驚きのあまりに固まってしまったらしい。

しがみ付いたまま寝入ってしまった昌浩を六合は抱え上げ、異形の姿へと転じた物の怪に視線をやる。


「とにかく、邸に戻るぞ・・・・・・・・・」

「あ、あぁ・・・・・そうだな。しかし、びっくりして泣くって・・・・・・そんな幼子じゃあるまいし・・・・・・・」

「まだ子どもだ」

「いや、だがなぁ・・・・・・・・」


困惑しつつ昌浩を見遣る物の怪。
今まで散々強面の妖を払ってきたのだから、今更でかいごきぶりもどきで驚くなぞ、その心境の理解に苦しむ。


「人間とはそういうものなのだろう」

「そうなのか?」

「さぁな・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・」







この後、邸に帰った物の怪と六合は昌浩を褥に寝かしつけ、晴明に抗議をしにいったらしい・・・・・・・・・・・・。















おまけ。




「今更の疑問なんだが、ごきぶりって飛ぶのか?」

「・・・・・・ごきぶりは身の危険を感じたら、その相手へと飛び掛ってくるらしい」

「・・・・・・・・・本当か?」

「さぁ?露樹が飛び掛られていたと彰子姫に言っていたのをただ聞ていただけだ」

「そうか・・・・・・・」












※言い訳
腑月 蕪木様のリクで、昌浩・もっくん(紅蓮)・六合のギャグを書きました!ご本人のみ、お持ち帰りできます!!
しかしゴキブリ、昔からいたんでしょうかねぇ?いたとは思うけど・・・・・・・・。
何人かの友達から聞いたのですが、ゴキブリは本当に飛び掛ってくるらしいですね。私はそんな経験ないんで疑わしいですが・・・・・・・。
あれを嫌わない人なんてそうそういないですよね?きっと9.5割の人は嫌いなはずだ!(なんだその数字)
ギャグ・・・・・・ギャグになってましたか?なんかあまりにもくだらない話になってしまったような;;腑月様、申し訳ありません!!

2006/3/26