葦のように強く、陽光のように暖かに―前編―















「もう、時間がきたようじゃな・・・・・・」




褥に横になっていた晴明は、とても静かな声でそう呟いた。

晴明のその呟きは、彼の傍で控えてた十二神将達の耳にしっかりと届いた。
さわりと、空気が振動した。


「何弱気なことを言っているんだ晴明!まだ天命は尽きていないだろ?!」

「そうですよ晴明様。どうかそんなことを仰らないで下さい・・・・・・」

「らしくないぞ。最後まで足掻いて生き抜くんだろ・・・・・?」


神将達は必死の形相で言い募る。
いかないでくれと、切なげに揺れる双眸が雄弁に訴える。


「いいや。無理じゃろうて・・・・・・・誰か、昌浩を呼んできてはくれんかの?」


死期はすぐそこだと、晴明は明確に告げる。

神将達の瞳は絶望に凍りつく。
彼らは悠久の時を過ごしてきた。
それと比べれば、晴明という主と過ごしてきた時間はほんの微々たるものであった。
瞬きする程度にしか過ぎない、ほんの僅かな時間。
彼らにとっては実に充実した、思いの濃い時間を送った。
これほどまでに密度の高い時間を過ごすことができたのは、ひとえに目の前に横たわっている主のお陰である。

その主が今、命の灯火を消そうとしている。


「・・・・・私が、行ってこよう」


そう言って立ち上がったのは勾陳。
晴明はそんな勾陳に感謝の笑みを浮かべる。


「おぉ・・・すまぬな、勾陳」

「謝られる謂れはない。大人しく寝ているんだな」

「ほっほっ!そうさな、そうさせて貰うよ・・・・」


勾陳の言葉に、晴明は微かに疲れたような笑みを浮かべた。
今はもう、自力で起き上がることも困難なくらいに体は衰弱している。
自分の体なのだ。晴明もよくわかっていた。

勾陳の姿がその場から消える。
昌浩の自室に向かったのだ。


「・・・・・・お前達、あれを頼むぞ」

『・・・・・・・・・』

「断る。俺はあれを決して主だとは認めない」

「宵藍や・・・・・・・」


昌浩を頼むと言われた彼らは、皆揃って口を噤む。
肯定も、否定も口に出すことはできない。
口に出してしまえば、彼の人はあっさり向こう岸へいってしまそうで怖かったのだ。

そんな中、青龍だけが頑として否を言い放つ。
この期に及んでまでまだ拒否し続ける青龍に、晴明は呆れたように名前を呼んだ。
なんとも強情なやつだ。


「じい様、いいですか?」


昌浩が部屋の前までにやって来たようである。

それに気づいた晴明は、静かに目を閉じて朋友に”お願い”を言った。


「昌浩と、二人っきりにしては貰えんかの?」

「!晴明、それは―――っ!」

「お願いじゃ。あれと二人のみで話をしたい」

「――――っ!」

「・・・・・・・わかった」

「!勾陳!!」


最初に了承の意を告げたのは勾陳。
彼女はおもむろに立ち上がると、そのまま異界へと姿を消した。


「・・・・・・・・」


次に動いたのが六合。
物言いたげな視線を晴明に投げ掛けたが、彼の意思を尊重させることにしたのだ。
六合も静かにその場から姿を消す。

他の神将達もそれに倣って、渋々とその場から姿を消していく。

主たってのお願いなのだ。
承服しないわけにもいかない。
一番最後まで残っていた青龍は忌々しげに部屋の外へと視線を向けたが、舌打ちをすると厭々ながらにその場から姿を消した。


「・・・・・・あの?じい様?」

「あぁ、入ってきなさい」


いつまで経っても返事を返さない晴明に、部屋の外から訝しそうな昌浩の声が届いた。
彼らが完全に姿を消したことを晴明は確認し、ついで部屋に入ってくるように昌浩を呼ぶ。


「失礼します。・・・・あれ?皆はどうしたんですか?」

「なに、少しの間席を外して貰ったのだよ」

「・・・・・・よく承諾してくれましたね」


晴明が床に臥すようになってからは、晴明の傍にべったりとくっついて離れない神将達の姿がない。

部屋に入った昌浩は、そんな神将達の姿が見えないことに疑問を抱く。
晴明はその昌浩の疑問に、明確に答えた。

彼の傍までやって来て腰を下ろした昌浩に、晴明は幾分か黙った後おもむろに口を開いた。


「もう、天命がつきかけている・・・・・わしに残された時間はほとんどない」

「――!・・・・そう、ですか・・・・・・」


晴明の言葉に、昌浩は弾かれたように顔を上げた。
しかし表情は至って平淡としており、彼は覚悟をしていたのだとその表情で察することができた。


「わしの後を・・・・・あやつらをお前に任せたい」

「・・・・・・・どうですか、ね。青龍あたりなんかは断固拒否しそう」

「じゃろうな・・・・つい先ほども言ったのじゃが、頑なに首を振らなんだ。全く、頑固なやつじゃ」

「ははっ!それほどじい様が大切なんでしょう?」

「わかっておる。わかってはおるがのぅ・・・・・・・」


とても穏やかに、二人の会話は続く。


「彼らに俺の下につくようお願いなどしなくてもいいんじゃないですか?彼らは彼らの意思で動くでしょう?」

「・・・・・昌浩」

「じい様が心配しているのはわかります。確かに俺はまだ半人前だし、頼りないし、全然力不足だけど・・・・けど、いつまでも人を頼ってばかりにはいられないでしょ?だから、いいんです・・・・・」


彼らが思うままにさせればよいと昌浩は言う。

このまま昌浩の傍にいるのも良し、また異界へと帰るのも良し。
彼らには誰かに縛られずに、思うように動いて欲しいと思った。


「これだけは譲れませんよ?じい様が彼らを朋友と呼ぶ限り、いくらお願いでも彼らの判断を鈍らせるような真似だけはさせないでくださいね?」

「ふぅ・・・・昌浩にはお見通しじゃったか。全く、ここ数年で弁が立つようになったのぅ・・・・・・」

「身近にお手本になる人がいましたからね。お陰様で性格だけは嫌な方向に育ってしまいましたよ」


昌浩は、暗にじい様の所為ですからと告げる。

晴明も昌浩の言葉を聞いて、実に愉快そうに笑った。


「残念じゃのぅ・・・・お前が一人前に育った姿を見届けるつもりじゃったのだが」

「それは散々無茶をしたしっぺ返しじゃ・・・・・・?」

「ほっほっ!誰かさんが心配で心配で仕方がなかったのじゃよ」

「・・・・・・・・」


朗らかな口調で言われた言葉に、昌浩は僅かに顔を顰めた。

わかっている。
祖父が無茶を重ねる羽目になったのは、己の力があまりにも不足していたからだ。
今の自分もまだまだ力不足ではあるが、三年前の元服したばかりの頃の自分が恨めしい。
あの頃は本当に立て続けに強大な妖や怨霊が現れた。
それこそ息を吐く間もなくだ。
あの時自分は本当に未熟者で、いつも祖父の手を焼かせていた。
なんどあの節くれだった手で支えて貰ったことか・・・・・・。

『まさひろがおおきくなったら、じいさまのおてつだいをしてあげるね!』

幼い頃、大好きな祖父に向かって言い放った、誓いにも似た約束。


「じい様・・・・・・・」

「ん?なんじゃ?」

「少しは・・・・・・少しは俺、じい様のお手伝いをすることができたかなぁ・・・・・?」

「!・・・・・あぁ、昌浩はちゃんと約束通りにわしの手伝いをしてくれたぞ?わしも随分と楽をさせて貰ったよ」

「ほ、んと?」


俯いて、必死に顔を歪めるのを堪えていた昌浩は、祖父の言葉にゆっくりと顔を上げた。

目に優しげな光を宿した祖父の顔が、目の前にあった。


「あぁ、本当じゃよ。だから、自身を持ちなさい」

「うん・・・・・うん・・・・・・」


昌浩は祖父の言葉に、何度も頷いた。


「なぁ、昌浩や」

「・・・・・何?じい様・・・・・」


覗き込んでくる孫の顔を見つめながら、晴明は頼みごとを口に乗せた。




「・・・・・もし―――――」




それから二日後。稀代の大陰陽師、安倍晴明は静かに息を引き取った。

















「あれから三年か・・・・・・・・」


昌浩は占いをする手を止め、ふと外を見遣った。

稀代の大陰陽師、安倍晴明がこの世を去ってから三年が過ぎた。

昌浩は数えで十九歳となり、陰陽寮で日々精を出して働いている。
表の暮らしでは少しずつ力を付けていっているように見せて日々を過ごし、その裏ではどうしても対処に困るような厄介な依頼を引き受け、それの解決に励んでいる。

流石にこんなに年若い陰陽師が晴明の後を引き継ぎ、難易度の高い調伏を全て一人でこなしていると知ったら、他の者達の心中は穏やかではないだろう。
今まで力の欠片もほとんど見せなかった者が突如として強大な力を見せれば、他の者が抱く印象はあまり良くないものになるだろう。
だから昌浩は敢えて序々に、けれど常人よりは早い勢いで成長しているように見せかけて、周りの者達に実力と実績を認めさせるようしむけた。


「昌浩」


外を眺めやっていた昌浩に、呼び声が掛かる。

声の聞こえてきた方へ視線をやると、そこには物の怪と六合がいた。


「ご苦労様。それで様子はどうだった?」

「あぁ、場所がわかったぞ。八条大路の外れだ」

「そっか・・・・なら場所もわかったし、調伏をしに早速行こうか」

「おいおい。随分とまぁ行動が早いな」

「居場所がわかったんならさっさと調伏するに限るでしょ?これ以上の被害を出さないためにも、ね」


昌浩はそう言って外へ出る仕度をする。といっても、着ていた直衣を脱ぎ、髷を梳いて首の後ろ辺りで結うという作業だけであるが。


「ほ〜ぅ?随分一端の言葉を言うようになったんじゃないか?晴明の孫」

「孫言うな。ほら、さっさと行くよ」

「わかってるさ」

「俺も共に行こう」


からかいを含んだ言葉を発する物の怪の後頭部を叩きつつ、自分はさっさと部屋の外へと向かう。
その後に六合が続き、少々不機嫌顔な物の怪が最後について行く。

日常恒例となった遣り取りは相変わらずだが、昌浩は受け流しの技術が向上したようだ。以前のように形振り構わずに物の怪と言い合いすることは、ここ最近かなり少なくなった。
それを喜んでいいのか、寂しく思った方がいいのか、物の怪の心中は複雑であった。














『ほぅ。極上の餌が態々やって来たようだな・・・・・』


目の前に対峙した異邦の妖は、昌浩達を見てそう言った。


「孟極・・・・・・」


昌浩は脳内に仕舞われていた記憶を引き出し、眼の前の妖の名前を呼んだ。

獣がいる、そのかたちは豹のようで文ある題(ひたい)、白いからだ、名前は孟極。


『ふっ・・・・。我の名を知っているのか』

「あぁ・・・・・」

『見たところかなりの霊性を有しているようだな・・・・・お前、方士か?』

「そうだ」


頷いて肯定する昌浩の眼を、爛々と鋭く光る金色の眼が射抜く。


『成る程。我を調伏しに来たということか・・・・・貴様とそこにいる式神のみで我を倒そうというのか?はっ!笑止』

「それは・・・・・どうかな?」

『口のみでならいくらでも言えるぞ方士?生憎だが我は一人ではない。数多の配下もいる・・・・』


孟極がそう言うと同時に、孟極の背後の闇がざわりと蠢く。
ぽつり、ぽつりと蛍火のような小さな光が無数に灯る。いや、蛍火などではない。
よくよく眼を凝らして見ればそれは対を成しており、そのことから爛々と輝く妖の眼であることがわかった。
その数たるや数える気が失せるほどのもの。

厳しい表情を作る昌浩達に、孟極は獰猛な笑みを浮かべる。


『どうだ?その少数でこの数の相手ができるか?』

「・・・あ〜。窮奇ほどじゃないけど、結構な数だね」


自分が優位に立っていると信じて疑わない孟極を視界に納めつつ、昌浩はあまり感情の篭っていない声で些かしんどそうに言葉を紡いだ。
昌浩の言葉に、物の怪も六合も頷き返した。


「あぁ、それなりに力はあるみたいだな。雑魚をうじゃうじゃと引き連れてやがる」

「この人数では力ではともかく、数の上では不利だとしか言いようがない」

「それだと、応援頼んだ方がいいかもね。力はともかく数が多いから」

「そうだな。多勢に無勢の状況だからな」


昌浩の提案に、物の怪と六合はすかさず賛同する。

三人ではとてもではないが手が回りきらない。
昌浩が呼び掛けると、すぐさま勾陳、太陰、玄武が現れた。(ちなみに、天一と朱雀は他に頼み事をしているために呼び出しはせず)


「なに〜?どうしたの昌浩・・・・・・・・って、うげっ?!何でこんなに雑魚がうじゃうじゃいるのよ!!」

「だからであろう?我らが呼ばれた理由は」

「力などほとんどないくせに、やたらと数だけはいるようだからな」


異界から顕現した太陰は、目の前の状況に少し頬を引き攣らせた。
どこを見渡しても妖妖妖・・・・。はっきり言って胸糞悪い。
玄武と勾陳はそんな状況を冷静に見ている。


「俺が親玉、皆は他の奴らを頼む」

「「「わかった」」」

「任せて!」

「承知した」


昌浩の指示を受けて、神将達は群がる妖達(雑魚)の排除に掛かる。


「お前の相手は俺だ!」

『くっくっくっ!人間風情が・・・・・我に敵うと思うなよっ!!』






孟極は口の端をニィッと吊り上げ、己が身に宿る妖気を爆発させた。















※言い訳
というわけで、久々のフリー小説となります。
今回は昌浩が大陰陽師だったら的な設定の下にお話を書いております。
この度のフリー小説の内容はアンケートの結果、シリアスの票数が最も多かったのでその路線で書き進めております。予定よりも長くなってしまったので、前後に区切ってUP致します。
後編は明日の午前中にはUPできるはずです。
こんなお話でよければ、どうかお持ち帰り下さい。

2006/8/31