背中を駆け下りていく寒気。









無条件に凍りつく身体。









無意識に怯える心。









本能が激しく警告音を発する。









その瞳に、声に、捕らわれてはいけないと―――――――――。





















朧月夜の還る場所〜壱〜


















「っ、昌浩!?」


心配げな視線を昌浩に送っていた物の怪は、ふらりと身体の体勢を崩したことに気がつき、本来の姿に戻って支えようとする。
が、それよりも早く彼の近くにいた同じ神将の六合が素早く昌浩の身体を抱きかかえた。

ふつりと糸の切れた人形のように唐突に意識を失った昌浩を、晴明と神将達は心配そうに窺う。
しかし、この場には彼ら以外に正体不明(晴明は知っているようだが)の男がいる。故に完全に意識を昌浩へと向けることができない。


「ほぅ?人形風情が、随分と気に入られているようだな」


きっと睨みつけるような視線を向けてくる彼らに、男は口元に嘲笑を浮かべつつ面白そうに言った。


「貴様っ!さっきから人形人形と・・・・・何を以ってして昌浩のことを人形と呼ぶんだ!!」

「何を以って?愚問だな。それの持ち主は私だ。私のものをどう呼ぼうが、それは私の自由だろ?」

「ふざけるなっ!昌浩は人だ、貴様にもの呼ばわりされる謂れは無い!!」

「待て、騰蛇。さっき奴が言った言葉を思い出してみろ。・・・・・・・一人だけ、該当する人物が思いつかないか?」

「なに・・・・・・?」


いきり立つ紅蓮を、勾陳は冷静に押しとどめる。
そんな勾陳から紡がれた言葉に、紅蓮は怪訝そうに眉を寄せた。

さっきまでの会話の中でこの男の正体を示すものがあるのだろうか?
煮えたぎる怒りを何とか押し殺し、紅蓮は勾陳の言葉を脳内で反芻する。

男は最後の方では訂正していたが、晴明のことを『父上』と呼んでいた。
晴明もそれについては否定していなかった。
そして男は昌浩のことを『人形』と『霞月』と呼んでいた―――――。

と、そこまで先ほどのことを回想して、紅蓮は何かに気がついたようにはっとした表情を作った。
そんな紅蓮の表情の変化を見、勾陳は無言で頷いた。
そして彼らの遣り取りを見ていた他の神将達も各々にその答えに至り、警戒心を強めた視線を男へと向けた。


「貴様は、昌浩の・・・・・・・・・・」

「そうか、貴様らは知っているのだな?・・・・では、改めて自己紹介をしよう。私の名は業啓。姓は今は失われてしまったが、それ以前は『安倍』を冠していた者だ。そして――――そこにいる人形の持ち主にして、生みの親だ」


男―――業啓が昌浩の生みの親だと告げた瞬間、業啓以外のその場にいた者達は体を強張らせた。


「こいつが・・・・・・」

「生みの、親・・・・・・・」

「これでわかって貰えたかな?では、さっさとそれを渡して貰いたい」

「断る。よもやお前が過去に昌浩にした仕打ちを忘れてはなかろう?お前にこの子の親だと主張する権利などあるまい」


薄ら寒い笑みを浮かべたまま一歩昌浩へと近づこうとした業啓を、晴明は背後に昌浩を庇うような形で割り込んで行く道を阻む。
業啓は歩を止めて晴明の話を聞いていたが、薄っぺらい笑みを嗤笑へと変えただけであった。


「ははっ!何か勘違いをなさっているようですね。私は別に今更それの親を気取ろうなど全く考えてなどいませんよ。私はただとある目的があり、それを達成させるためにそれがあった方が何かと便利だと思ったので取りに来ただけですよ」

「いい加減にしろっ!達成させるためにあった方が便利?昌浩はものなんかじゃない!!誰が貴様などに渡すか!!!」

「業啓よ。私も紅蓮の言に賛成だ。昌浩は私の孫だ。そして私の庇護下に昌浩はいる。お前の思惑がどこにあるのかは知らないが、可愛い私の孫をむざむざ悪環境に送ってやるような無慈悲なことはせんよ」

「・・・・・先ほどから昌浩昌浩と呼んではいるが、それが今の霞月の名か?」

「そうだ。私があの子に新たに与えたものだ」


業啓の質問に晴明は神妙な態度で答えた。
しかし、業啓はそんな晴明を見て狂ったような哄笑を上げた。


「・・・・・・・何がおかしい」

「ははははっ!・・・・・・・あれに名など必要なかろうに、何故名など与えるのだ?」

「以前のあの子の名は何かと柵(しがらみ)が強すぎる。新たな名を与えて道を歩ませた方がいいと私が判断したからだ」

「そういう意味ではない。あれはあってはならぬ、いらない存在だ。それに態々名を付け与えてやるようなことをしなくてもいいだろうと私は申し上げている」

「何を馬鹿なことを・・・・・・・・。では、お前が以前昌浩に与えた『霞月』という名は何とする?」

「あぁ・・・・・それは名などではない。『霞月』とはそれを固定する記号であり、それ以上の意味はない。筆を筆と呼ぶように、紙を紙と呼ぶように、作り出したものに名を与えることは、それによってそれの存在を固定し名指すためだ。故に私も少々の不便を感じるよりは、それに”名”という記号を与えた方が合理的だと思ったからに過ぎない」

「な、んだと・・・・・・・」


人を人とも思わない。それどころか”いらないもの”だとそこら辺の塵か何かのように言う。
そんな業啓のあまりの言いように、晴明達は愕然とした面持ちで言葉を詰まらせるしかなかった。


「・・・・まぁ、貴方は優しすぎる。同情してそれに名を与えてやっても仕方ないだろう。いらぬ存在で、居場所を与えて貰い、更には名を与えて貰えるなど何とも贅沢だな」

「きさ、まっ!人形の次はいらぬ存在だと?!不遜にもほどがあるぞ!!!」


見下した視線を昌浩へと向ける業啓に、とうとう神将達は怒りを抑えることができなくなった。
が、そんな彼らの心情を見越してなのか、業啓は酷くあっさりとその背を彼らへと向けた。


「まぁ、いいだろう。今日のところは諦めておこう。だが覚えておけ、それは必ず返して貰う。それまで精々可愛がってやることだな」

「業啓!」


堪らず晴明が叱責の声を飛ばすが、その時はもう彼の姿は闇へと溶け込んでいった後であった。














糸から解き放たれていた人形よ、今一度その身を糸で繋いでやろう。





そして我が望むままに踊らされるといいさ――――――――。


















※言い訳
一日一話更新がスローガンなので、今日も更新しました。
そしてこのお話のテーマは「悪役は悪役らしく」です。うちのサイトのお話に登場する敵役って、何だか最後まで悪役に徹し切れていないと思います。なので、今回のお話では悪役らしくを目指して書いていこうかと。
まぁ、このお話では色々とやってみたいシーンというものをいくつか用意してるんで、そのシーンに上手く繋がっていくように書いていきたいなと思います。
あ、ここで一つどうしても主張しておきたいことが・・・・。このお話の題名は『朧月夜の還る場所』ですが、その朧月夜は”おぼろづくよ”と読んでください。特に深い理由はありませんが、ちょっとした拘りだとでも思ってください。



2007/3/10