真っ直ぐに見つめてくる黒の瞳。









虚ろな光しか灯さないそれ。









その中に一瞬の煌きを見出した時に決めた。









その瞳が曇らぬように、









その瞳がひび割れぬように、









己の手で、護っていこうと――――――――。

















朧月夜の還る場所〜伍〜
















昌浩の部屋から自室へと戻った晴明は、腰を下ろすと疲れたように一つ息を吐いた。

彼の後に続いて部屋に入ってきた勾陳・六合・朱雀・天一達も溜息こそ吐かなかったが、内心としては晴明とそう変わらないだろう。
ふいに沈黙が降り、その場の空気がどことなく重くなる。

誰も口を開こうとしない中、何事か考え込んでいた勾陳が徐に言葉を発した。


「晴明、一つ聞いていいか?」

「・・・・・何じゃ?」

「先ほどの昌浩の言動・・・・・あれは記憶が戻っているのか?」


勾陳の言葉にはっとしたように、その場にいた者達は顔を上げた。
そして彼らの視線は質問を投げかけられた主へと集中する。

晴明は勾陳の質問に数瞬思考を巡らせた後、ゆるりと首を横に振った。


「いや・・・・恐らくは一時的なものじゃろう。あれの記憶はわしが封じの術を掛けておる、そうそう破られることもなかろうて」

「では、あれに会ったことで昌浩の心の底に封じていたはずの記憶が刺激されたと、そうとっていいのか?」

「そうじゃな。いくら術を掛けようとも所詮は限界がある。・・・・・・思い出さぬことが一番じゃろうがな」

「待て、晴明。俺にもわかるように説明してくれ」


皆が訳知り顔の中、一人事情を把握しきれない朱雀が待ったを掛ける。昌浩の部屋から晴明の部屋への短い道のりの間では、天一から話を聞ききれなかったのである。
そんな朱雀に、晴明もわかっていると頷き返した。


「お前も昌浩が五つの時にこの邸に引き取られたことは、話の上では知っておるじゃろう?その時にわしは昌浩にそれまでの記憶を封じる術を掛けた」

「・・・・何故」

「うむ。理由は色々とあるのじゃが、平たく言えば過去の――五歳より以前の記憶はあまりいいものではなかったからかのぅ」

「本当にそれだけの理由なのか?人の記憶を弄るなど、たとえ感性が柔軟な子どもといえど危険だろう?」

「無論、そんなことはわしとて重々に承知しておる。しかし、それを行うだけの価値はあったのじゃよ・・・・・あの頃の昌浩には」


晴明はそう言って視線を遠くへと馳せた。
恐らくはその時のことを思い出しているのだろう。
朱雀を除く他の神将達も、それぞれ物思いに耽っている。一体過去に彼らの間でどんな遣り取りがあったのであろうか。


「そうだな。確かにあの時はあれが最善の処置だったと私も思う」

「あぁ。でなくば今の昌浩はいないだろう」

「そうですね。今昌浩様が元気に過ごしておられること、それが晴明様の為さったことの結果だと、そう思います」

「・・・・・そうか」


同意の意を示す神将達に、晴明は苦々しさの混じった笑いを浮かべた。


「記憶を封じることは、どうしても必要なことじゃったのだよ朱雀。でなくば、きっとあの子の精神は無事ではなかったじゃろう。仮に壁を乗り越えて成長したとしても、歪みを孕んだ心ではいつの日にかそのつけが回ってくる。先ほどのあの子の様子を見たであろう?故にわしは以前の記憶を奥底に沈ませ、あの子に新しい道を指した。新しい名と共にな・・・・・・・・」

「・・・・・・・・」


どこか悲しげな笑みを浮かべる晴明を、朱雀は何も言えずに見ていた。
自分は未だ事情をよく把握はしていない。更に言ってしまえば、彼らの言う『あの時』とやらに居合わせていなかったのだ。
その時に彼らが感じた気持ちなど、今の自分が知りえることなどできるはずもない。
故に口を開くことができなかった。

そんな朱雀を見て晴明はどう思ったのか、苦笑を自嘲へと変化させて続けてこう言った。


「わかっておる。これはわしの利己的な考え故の行いじゃよ。あの子の意思は一切考慮にいれない、一方的な。倫理にもとるようなことであることも、全て承知しての行動だ」

「晴明、それはお前だけの意思ではない。あの時あの場にいた俺達神将も同意したのだからな・・・・・」

「全くだ。その結果が良いことであれ悪いことであれ、お前一人だけが背負うものではないぞ?」

「晴明様、我らも気持ちは一つであったという事を、どうか忘れないでください」

「あぁ、そうであったな・・・・・・・」


沈む晴明に、神将達はすかさず言葉を挟んだ。
一人で責を負おうとするなど、決して許しはしないとでもいうかのように・・・・・・。

そんな神将達の気遣いもとい『抜け駆けは許さん!』という主張に、晴明は気持ちを浮上させた。
その顔に常の大陰陽師・安倍晴明としての表情が戻ってくる。

神将達はそんな主の様子に、密かに内心で安堵の吐息を漏らした。


「それで、今後我々はどう対応すればいい?あちらもこれだけで済ませるはずもないだろうし、昌浩に記憶が再び戻るようなことがあれば・・・・・」

「壊れる・・・・・ことは流石にないであろうが、苦しむことは確かじゃろうな・・・・・・」

「その時は、俺達が支えればいい」

「はい。決して一人ではないと、そのことがわかるだけで心への付加の大きさも大分変わってくると思います」


神妙な態度で言葉を交わす晴明と神将達。
彼らの様子を見て、朱雀は彼らしくもなく深く長い溜息を吐いた。


「細かい事情はよくはわからないが、そう易々と見放す真似はしないとだけ言っておこう」

「ありがとう、朱雀・・・・・・・・」

「別に、あいつのことを心配しているわけじゃない。天貴にいらぬ心労をかけさせないためだ」

「それでも嬉しいわ、朱雀」

「天貴・・・・・・・・」


そして二人の世界へと突っ込んでいく天一と朱雀に、周囲は呆れたような諦めたような雰囲気で肩を竦め合う。





結局、いくら神妙に話し合おうとも、最後にはこうしていつもの光景へと戻ってくるものなのだなと奇妙な感心を胸中に抱くのであった―――。







                       *    *    *







「昌浩・・・・・・・・・」


褥で静かに眠る子どもを見下ろしながら、物の怪はぽつりと子どもの名を呼んだ。

昌浩、昌浩、昌浩・・・・と、何度もその名を口の中で転がした。
誰よりも先に呼んだ、子どもの名を。






初めて会ったときは、なんて虚ろな眼をする子どもなのだろうかと不快にも似た思いを抱いた。

まだ両手にも満たない年月しか生きていない子どもが、どうしてそんな眼をするのかと。
所詮は子ども。ちょっとした出来事でも、感受性の高い子どもにとってはひどく衝撃的なことでもあったのだろうと、酷く淡白な感想とほんの少量の興味の眼で子どもを見ていた。

晴明が傍にいることを厳命したために、仕方なくその場に居合わせることとなった時は何て面倒なことを言い出すのかとも思ったが、それも今では有難いことでしかなかった。

何故なら、今自分がこうしてこの子どもの傍にいることができるのは、あの時あの場に居合わせたことが発端であったのだから――――。

後になって子どもと二人で放置された時は流石に困った。
十二神将最強と謳われる自分の神気に怯えぬ赤子や子どもはいなかったから・・・・・子どもへの接し方など知るはずもない。
いつ泣き出してしまうのかと気を揉み、さりとて見ていろと命を受けたからには子どもを一人にすることもできずに焦燥感を抱く。実にとても心苦しい思いをした。あれは心臓に良くない、うん。

かみ合っているようでかみ合っていない睨めっこが続く中、ふいに子どもがぽつりと言葉を零した。





どうして、そんなにいたそうなかおしてるの――――?





あの言葉を聞いた時、それはもう何とも言えない衝撃が自分の背を駆け下りた。





な、にを・・・・言っている?


だっていたそうなかおしてる。――どこか、けがしたの?





虚無の瞳の中、それでも純粋に心配する光が確かにそこにあった。


その瞬間であろう、自分が唯一無二の光を見出したのは―――――。




己自身が暗闇にいても尚、相手を心配するその心。

それは深淵にぽつりと浮かぶ、たった一つの灯火にも似ていた。




その時に決めた。

この子を護ろうと、この子の傍にずっと居ようと。

初めて自分から他者へと歩み寄ることを決めた。





―――――昌浩。

?何、それ??

昌浩。お前の、名だ・・・・・・・。





あの子の名前は昌浩にしたと、彼の主が言っていたことを思い出し、紅蓮はありったけの思いを込めて言の葉を紡いだ。





昌浩・・・・・・・。





名は短い呪。











この幼子に幸あれと、一身の願いを込めて名を呼んだ―――――――。














※言い訳
はい、レポートの提出が忙しく二日間も更新をすっぽかしました。本当に申し訳ないです。大体レポート一枚に一時間もかかるなんて、何て面倒くさい課題を出しやがるんだ!!(提出枚数は50枚です。友達と分担したけど・・・・)お蔭でかなり寝不足です。
それは置いといて、昌浩と紅蓮の出会いのエピソード。ちょっと(かな?)捏造しました。でないと色々と食い違いが生じますしね。何か十話以内に終わりそうにないかも・・・・;;あれ?そんなに長くは書く気は無いんですけどね。



2007/3/16