廻る廻る。 赤き夢は廻って戻る。 覚めぬ夢。 終わりなき悪夢は、強固な鎖へと転じる。 鎖に絡めとられた翼は、果たして自由になることはあるのだろうか―――――――? |
朧月夜の還る場所〜拾〜 |
男は言った。 覚めぬ夢の中を彷徨えと。 まだ頑是無い幼子の手に不釣合いな刃を持たせて。 子どもはただ茫洋と己の手元を見ていた。 じわりと己を侵していく何かを、薄い紗を隔てた向こう側で感じていた。 子どもは理解していない。 その感触が危険であることを。 その感触が自己という存在を脅かすということを。 男は言った。 人形はその役割を果たせと。 男は淡々とした様子で子どもを見下ろす。 子どもを物としか見ないその眼は、どこまでも冷酷無慈悲であった―――――――――。 赤い夢を見る。 一面が赤に埋め尽くされた夢を。 四方、どこを見渡しても赤しか眼に映らない夢を。 霧を掴むかのようにはっきりとしない意識。 そんな中、ただただ外の光景のみがくっきりと脳に刻まれていく。 赤。 それは地面に広がる水溜りの色。 赤。 それは肌を焦げ尽くさんばかりに燃え盛る炎の色。 赤。 それは無造作にそこら辺に転がっている肉塊の色。 赤。 それは炎によって染め上げられた空の色。 赤。 それは厄災を予見させるような不気味に輝く月の色。 赤。 ――――それは己が手に納まっている刃から滴る、水の色。 「晴明」 夜天を仰ぎ見ていた晴明の背に、ふいに声が掛かった。 「・・・・・・紅蓮か」 晴明は背後を振り向かずに、視線を上へと固定したまま声の主の名を呼んだ。 「昌浩の様子はどうじゃ?」 「今はまだ眠っている」 「そうか・・・・・・・」 物の怪は晴明の隣まで歩を進め、すとんと腰を下ろす。 そこで漸く晴明は視線を天から地へと戻した。 「晴明。昌浩のあの様子、思い出したと思うか?」 「さてのぅ・・・・・・思い出したのやもしれぬし、またその逆かもしれぬ。まぁ、それもあれが次に起きた時にはわかることじゃて」 絶叫を上げて気を失った昌浩。 輝陽の言葉に衝撃を受けたためか、はたまた封じられた記憶が掘り起こされたためのなかは判別がつかない。 まぁ、どちらにしたって良いことではないのは確か。 事情を知る者達が心の内に秘めて置いたものを、あの昌浩の兄弟だと名乗った子どもは一瞬で表へと曝け出した。 「・・・・・・・・できれば、触れずに埋没して貰いたかったのじゃがな」 「・・・・・・・あぁ」 二人の脳裏に、九年前出会ったばかりの子どもの姿が映し出されていた。 何の表情も浮かばない、能面のような顔をした子ども・・・・・。 それが二人が・・・・・いや、その時その場に居合わせた者達全員が初めて抱いた子どもへの感想だろう。 意思の全く感じられない虚ろな瞳。 いつ思い出しても不快な思いしか沸いてこない。 「せめて後五年ほどは猶予が欲しかったな・・・・・・」 「そうじゃな。だがそんなこと、今になって言ってもどうしようもあるまい」 「そうは言ってもなぁ、晴明。俺はあいつが常に笑顔であって欲しいと思っている。それが曇るのは望ましくない」 「それはお前に止まらず、他の者達にも言えたことじゃろうて。無論このわしもな・・・・・・・・」 物の怪の言葉に、晴明も頷いて深く賛同する。 「・・・・・・もしあいつが昔の記憶を思い出したとする。それでもう一度、忘れさせることはできるか?」 「無理じゃな。あの術はあの時、あの昌浩の状態であったからこそ成功したようなものじゃ。今となっては危険すぎると言っておこう」 「そうか・・・・・・・」 晴明のきっぱりとした物言いに、物の怪は小さく肩を落とす。 聞いた手前ではあるが、最初からそれほど色よい返事を期待していたわけでもない。しかし僅かでも期待していたのだから、それに落胆を感じるのは仕方ないことだ。 「そう気を落とすでない。確かに再び記憶を封じることは難しいじゃろう。じゃが昌浩とてあの時より成長したのだ、あとはわしらがしっかりと支えれば、どんなに辛くとも、時間がかかろうとも乗り越えられる・・・・・・・・」 「そ、うか・・・・・そうだな。一番辛いのはあいつだ。俺達がしっかりしてないとな・・・・・・・」 「そうじゃよ。さて、紅蓮。あの子の傍についていなさい、目を覚ました時に少しでも安心できるように」 「あ、あぁ・・・・・。わかった」 晴明が表情を緩め、物の怪の頭にそっと手を添える。 物の怪はそんな主の仕草に戸惑いの表情を浮かべるが、直ぐに気を取り直してその腰を上げ、未だ眠ったままの子どものもとへと向かっていった。 晴明はそんな物の怪を見送った後、再び視線を空へと戻した。 「勝手なことは許さぬぞ、業啓・・・・・・」 燦然と輝く双子星を見つめながら、晴明は低く呟いた。 一方、時を少し戻して昌浩の部屋。 意識を失ったまま邸へと連れ戻された昌浩は、昏々と眠り続けている。 そんな昌浩の傍に心配顔の彰子と、太陰・玄武がいた。少し離れた柱のところには背を預けて座り込んでいる六合の姿もあった。 「ねぇ、太陰。昨日何かあったの?」 「えっ・・・・な、何かって?」 「だって・・・・今日の昌浩、どことなく元気が無かったような気がして・・・・・・・・」 厳密に言えば昨日夜の見回りから戻ってきてからなのだが、彰子が実際に昌浩と顔を合わせたのは朝のことだったので、何かあったとした昨夜しかないと思ってそう聞いてみたのだ。 「さ、さぁ?私もよくはわからないわ。ただ、昨日の夜も気を失って帰ってきたってことは晴明に聞いてるけど・・・・・・」 心配顔で彰子に問い詰められた太陰は、困ったように視線を泳がせる。 本当は昨日何があったのかはよく知っている。晴明が呼び出して業啓や輝陽のことを詳しく話し聞かせてくれたのだ。 もちろんその場には玄武もいた。九年の事情を知っている者にはきちんと話しておいた方がいいだろうと、晴明が判断したためであった。 些か焦りながらの太陰の返答を聞いて、彰子はふと眉を顰めた。 「太陰・・・・・・昨日も、昌浩は気を失って帰ってきたの?」 「え?・・・・あっ!」 「太陰・・・・・・・・」 昨日、昌浩が気を失って帰ってきたことを彰子は知らない。しかし、たった今太陰の失言によってそのことがばれてしまったのである。 そのことに気がついた太陰であるが、時すでに遅し。もの問いたげな彰子の視線が、真っ直ぐに己へと向けられてきたのであった。 隣に座していた玄武は、そんな太陰を呆れたように見ている。 「ねぇ、さっき言ったことは本当なの?太陰」 「えっ、あ、う〜・・・・・・ほ、本当よ。でもそれって疲れてたからだと思うわ!昨日倒れておいて今日も無茶して行こうとしてたから・・・・。と、騰蛇だって必死に止めようとしてたみたいだけど、また倒れたってことはやっぱり疲れてたみたいねっ!(焦)」 「そうなの・・・・?」 「え、えぇ!私はそう聞いてるわ。ねっ!玄武!!」 「あ、あぁ・・・・・。我もそう聞いている。恐らく無理がたたったのであろう、数日休めば元気になると思うぞ?」 突然太陰から話を降られて口篭ってしまった玄武だったが、当たり障りの無い返事を咄嗟に答えた。 そんな二人の言葉を聞いても不安は払拭されないのか、彰子の表情は未だ曇ったままであったが、それでも一応納得はしたようである。 「彰子様・・・・・・」 と、そこに天一が現れた。 「どうしたの?天一」 「もう大分夜も更けてしまいました、そろそろお休みになられた方がよろしいかと」 「え、でも・・・・・」 もう寝た方がいいと言う天一に、彰子は気がかりそうに昌浩を一瞥した。 そんな彰子の視線に気がついたのか、天一は安心させるように柔和な笑みをその顔に浮かべた。 「ご安心ください。昌浩様には私達がついております。ですから、どうかお休みになってください。昌浩様が目覚めて彰子様を見た時、寝不足顔であったのならきっとご心配なさりますよ?」 「そう、ね。わかったわ、もう寝ます」 心残りではあるが、確かに寝不足顔をみせて昌浩にいらぬ心配をかけたくはないと思い、彰子は天一に促されるまま部屋を後にしようと立ち上がった。 「・・・・・っん・・・・・・・」 そして数歩歩みだした時、微かに呻くような声が耳に届いた。 「!昌浩?よかった、気がついたのね?!」 傍にいた太陰が、その変化にいち早く気がつく。 彰子が声につられて振り返ると、確かに目を開けた昌浩の姿が見えた。 「・・・・・・・・・・」 「・・・・・昌浩?」 目を覚ました昌浩は確かに目を開けているが、どこかぼんやりとした様子である。 あてもなく虚ろに彷徨う昌浩の視線を見て、太陰が怪訝そうに声をかける。 「・・・・・・・・・・」 だが、昌浩はそんな太陰の呼びかけに答えない。 周りの者達もそんな二人の遣り取りに気がつき、一旦安堵した心が再びゆるゆると緊張を孕んでいく。 「ちょっと、昌浩?」 未だ視線が噛み合うことがない昌浩に焦れて、太陰は心配げにその顔を覗き込んだ。 それでも少しの間茫洋とした様子な昌浩であったが、漸く自分の視界が陰っていることに気がついたのか、ひたりと太陰の菫色の瞳に視線を合わせた。 しばらくじぃーっと見つめた後、昌浩はぽつりと声を零した。 「・・・・・・・・だれ?」 ※言い訳 あ〜、なんか予定外な展開に進んでいます。何とか軌道修正しないとまた話数が延びてしまう・・・・・・・。 今回は様々な場面が入り乱れて、とても読み辛い文章になってしまったと思います。しかもあんまりお話の流れでは進んでない気が・・・・・;;次回はもう少し進んでくれたらなぁ、と思います。 2007/4/15 |