赤き夢の焼け跡。









後に残ったのは虚無。









後に残ったのは涙。









どんなに願っても時は戻らない。









果たして、この伸ばした手を掴んでくれる者はいるのだろうか―――――――?

















朧月夜の還る場所〜拾


















「―――天一、様子はどうじゃ?」

「!晴明様・・・・・」


晴明達は、赤色に染め上げられた邸から子どもを連れ帰った。

生きることを許さないと言わんばかりの赤の世界の中、唯一生を繋いだ子ども。
その子どもだけがあの悲劇ともいえる現場の生き証人であった。

晴明は血に塗れた子どもを露樹や天一などの女性陣に預け、惨殺事件について六壬式盤で占ってみたが芳しい結果は出なかった。
そして、そろそろ子どもも目を覚ます頃合だろうという程に十分に時間を空けた後、子どもの様子を見にやって来たのであった。

晴明の来訪に気がついた天一ははっと顔を上げ、次いで困惑へと表情を変えた。
そんな天一の反応に気がついた晴明は、訝しげに首を傾げた。


「浮かぬ顔をして、一体どうしたのじゃ?天一」


もしや子どもはどこか酷い怪我でも負っていたのだろうかと、晴明は心配に顔を雲らせる。
そんな晴明の意図を察した天一は、緩慢な動作で首を横に振った。


「目立つような大きな怪我はしていません。ただ・・・・・・・・」


傷のことはきっぱりと否定した天一であったが、その後に続く言葉は言い難そうに濁らせる。
そんな天一の様子に首を傾げるばかりの晴明であったが、実際にこの眼で見てみた方が早いだろうと判断して、褥の上で上半身を起こしている子どもへと眼を向けた。
目を覚ました子どもは、どこか虚ろとした様子で視線を遠くに飛ばしている。どうやら意識が現状に追いついていないようだ。
すると、晴明の視線に気がついたのか、子どもはゆるゆるとその顔を動かし、晴明へとその目を向けた。
子どもの目を見た瞬間、晴明ははっと息を呑み、天一の困惑の理由を察した。

晴明へと向けられた子どもの眼には光がなかった。

死んだ魚のような、どろりと濁った眼。
生気も精気も一切感じられない、暗い暗い瞳。

それは死人の眼であった。


「目を覚ました時から、ずっと・・・・・・・・・」


子どもがするような眼ではないと、天一はとても痛ましげに子どもを見遣った。
晴明は意を決すると子どもの傍へと近寄った。
子どもは無反応。ただ、何も見ていない目を晴明がいるであろう方向へ向けているだけであった。
晴明は静かな動作で子どもの傍に腰を下ろす。
晴明は今一度子どもへと視線を向ける。依然として子どもの目は向いていたが、”眼”は向けられていなかった。

しばらくの間子どもと視線を交わした晴明は、徐に手を持ち上げて子どもを触ろうとした。
瞬間、子どもの肩がぴくりと微かに跳ね上がった。
ゆらりと、混沌とした瞳に揺らぎが生じる。
そんな子どもの反応に晴明は気づいたが、敢えてそれを無視して手を子どもへと近づける。
あと三寸ほどというところで、子どもは小刻みに震えだした。
やはり晴明はそれを無視して子どもへと手を近づける。
そしてそっと子どもの小さな肩に手を置いた。

びくぅっ!!

晴明が肩に手を置いた瞬間、子どもの肩は過剰なほどに激しく跳ね上がった。


「――――!!」


子どもが声にもならない叫び声を上げて、晴明の手から逃れようとする。
しかし晴明はそれを許さず、逆に子どもの体を抱き寄せた。
その動作に子どもの震えはさらに酷くなり、呼吸は忙し過ぎるほどに荒くなる。
晴明はそんな子どもの背を、宥めるように何度も撫でた。


「そんなに怯えずとも大丈夫じゃ。”霞月”」

「―――!」


名を呼ばれた瞬間、子どもは動きの一切を停止させた。そう、体の震えさえも・・・・・。


「晴明様、その子のことを知っているのですか?」

「いや、今日初めて会ったよ。もしやと思ったのだが・・・・・その様子では当たりのようじゃな」

「?それは一体どういうことですか??」


意味深な晴明の言葉に、天一は不思議そうに首を傾げる。
そんな天一に、晴明は頷いて言葉を繋げる。


「うむ。わしの息子、業啓には子どもがいることを知っておるじゃろう?」

「はい、確かお名前は輝陽様でいらっしゃいましたよね?」

「そうじゃ。実はあやつが生まれる時に占いを行ったのじゃが、結果は双子が生まれてくるじゃろうとのことであった」


晴明は腕の中の子どもへと視線を落とした。
子どもは俯いたまま、顔を上げることはない。


「?でも、業啓様のご子息はお一人であるとお聞きしていましたが・・・・・・」

「あぁ、双子のうち片方が死産だと聞いていたが・・・・・・。この子の容姿は髪と瞳の色の違いを抜かせば輝陽と瓜二つじゃ」

「輝陽様と・・・・・・そう言われてみれば、確かによく似ていらっしゃいますね」


天一は晴明の腕の中にいる子どもを見、次いで記憶の中にある子どもの姿と照らし合わせて納得したように頷く。
だが、納得と同時に疑問が浮かび上がってきた。


「晴明様、先ほど死産と仰られていましたが、では何故霞月様はこうして生きておられるのですか?」

「わからぬ。じゃが、業啓が偽りの報告をしたのは確かじゃろうな。この子がこうしてここにいることが何よりもの証拠じゃろうて」

「一体何のために・・・・・・・・・」

「それは・・・・・業啓のみの知るところじゃろうな。この子の存在を隠し、一体どうするつもりであったのやら」


はぁと溜息を吐いた晴明は、いまだ俯いたままの子どもの頭を優しく撫でた。
子どもは晴明の一挙一動に、微かに体を反応させる。どうやらこういったことをしてもらい慣れていないようだ。
そんな子どもの反応を遣る瀬無く思いつつ、晴明は改めて子どもに声を掛けた。


「改めて聞く。お主の名前は霞月で良いのだな?」

「・・・・・・・」


晴明の問いに、子どもはしばらく逡巡した後こくりと一つ頷いて答えた。
晴明はそんな子どもを褒めるかのように、その背を優しく撫でた。


「・・・・・あの邸に、ずっといたのじゃな?」

「・・・・・・・・」


この問いにも、子どもは逡巡した後に頷いて肯定した。


「わしが、誰かは察しがつくかのぅ?」

「・・・・・・・・」


この問いには、子どもは直ぐさま首を横に振って否定。
そんな子どもに、晴明はそうかと頷いた。


「うむ。わしの名は安倍晴明。お主の父、業啓の父親にあたる。つまりはお主の祖父になるな」

「!!」


晴明のこの回答には子どもも驚いたらしい。光の無い眼でも、僅かに見開かれたことで子どもが驚いていることは容易に知れた。


「では、最後の質問じゃ。お主等の邸――あそこで何があったのか、お主は覚えているか?」

「!・・・・・・・・・・・・」


晴明の問いに、子どもはびくりと肩を揺らす。そして長い沈黙の後、微かにだが首を縦に振った。
再び震えだした子どもの背を撫でつつ、晴明は更に言葉を重ねねばならないことに内心で苦い笑みを浮かべた。


「そうか・・・・・・。酷な事を聞くのは重々承知じゃが・・・・・・・そのときの事を、聞かせてくれるかのぅ?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


この問いに、子どもは返答するのに長い長い時間を費やした。
首を縦に振るのでもなく、また横に振るのでもない子どもの様子を、晴明と天一は根気強く見守っていた。
本当に長い時間を掛けて子どもが答えた。

是と―――――。

そして子どもが語り出すのを待つ。焦らせることも、強制させることもなく・・・・・・。
漸く心を決め、子どもは意を決して口を開いた。そして


「―――――――」


ひゅうと、声ではなく、ましてや音でもなく、空気だけが吐き出された。

子どもは驚いたように眼を瞠り、必死に声を出そうとする。が、ひゅうひゅうと空気が抜け出る音しかせず、一向に言葉が紡がれることは無かった。


「!声が・・・・・・・」

「出ぬか。・・・・・・止めてよい。無理に声を出そうとしてはならん、喉を痛めてしまうからな・・・・・・・」

「・・・・・・・・」


子どもは声が出せなくなっていた。
恐らく、いや十中八九先の事件で心に受けた衝撃が強すぎて、声が出なくなってしまったのだろう。

呆然とした様子の子どもを不憫そうに見遣る。
自分自身でも信じられないと驚いているようだった。そして困惑気味な視線を、晴明へと送る。


「そうじゃな・・・・・・。ちと不快じゃろうが、わしが術でお主の記憶を読み取るということも可能じゃが・・・・・・・」


流石にそれは躊躇われる。それは人の尊厳を大きく踏みしだくことなのだから―――。
ならば大変な手間を取るが、字を書いてもらおうかと思案する晴明。

そんな中、彼の衣の袖口に微かな抵抗が生まれる。
不振に思って視線を下にやれば、果たして子どもの手が袖口を掴んでいた。
その行動の意図を掴みかねて、晴明は視線を袖口から子どもへと移した。
視線を受けた子どもは、ゆっくりと、しかし確かに顎を縦に振った。その意味は―――


「それで、いいのか?術でお主の記憶を見ることで・・・・・」


驚いたように晴明が問うと、子どもは今度ははっきりと頷いて見せた。
ぎゅっと、袖口を白く硬く握り締めていた小さな拳が震えた。

と、晴明はそこで漸く気がついた。
子どもの顔色がわるい。
顔は血の気が失せて蒼白。手足の末端は冷え切っていて冷や汗と呼べるものをかいていた。


「・・・・・とにかく、記憶のことは後回しじゃ。随分と顔色が悪い、しばらくゆっくりと休息をとりなさい。全てはそれからじゃ」

「・・・・・・・・・」


抱いていた子どもを褥へと寝かせ直し、そっと頭を撫でてやる。
子どもが不安を感じないように。


「今は寝なさい。それまで傍についておるからのぅ」


撫でる手を休めることなく、晴明は柔らかな口調でそう言葉を告げた。
子どもを安心させるためにその冷え切ってしまった手を握ってやる。

晴明の言葉に安心したのかどうかはわからないが、子どもは言われるがままに意識を底へと沈めていった。












それからしばらくの間、老人と子どもの手は繋がれたままであった――――――。















※言い訳
短っ!というか、過去編が一話で終わらなかった;;
予想以上に伸びそうなのでここで一旦区切ります。続きは近日中に書きます。



2007/6/3