墨色の世界から七色の世界へ その居所が変わっても、独りということに変わりはなかった ただ、目に入ってくるものの種類が豊富になっただけ 温もりなど近くに感じられようはずもない 光の中でさえも、自分は凍えていた――――――――――。 |
朧月夜の還る場所〜拾伍〜 |
「・・・・・・・で、子どもから何か聞き出せたのか?晴明」 主の部屋へと呼び出された神将達のうち、勾陳が代表として口を開いた。 今、主たる晴明の部屋には主を除いて勾陳、六合、天一、太陰、玄武、そして紅蓮がいた。 紅蓮を苦手とする太陰が居心地悪そうにしているが、晴明は敢えてそれに気づかない振りをした。 どうしてここに騰蛇がいるのだという彼らの視線のみの問いに、これまた同じように視線のみで後で話すと答えた。 そしてこの微妙な空気の原因である騰蛇本人はというと、視線をどこか遠くに馳せていて、現状については眼中にないという態度であった。 「あぁ、あの子―――霞月というのじゃが、本人の了承を得て記憶を垣間視せてもらった」 「記憶を?・・・それで、あの邸で何が起こったのかわかったのか?」 「そうだな・・・・・・・これはわしの口から語るよりも、実際にお前達に視てもらった方がいいかもしれん」 「・・・・・・晴明?」 そこで彼らは漸く彼らの主の顔色が悪いことに気がついた。 主の顔からは血の気が失せ、酷く青褪めている。扇を握る手も白くなっており、小刻みに震えているそれから常よりも強い力で握り締めていることが窺えた。 「・・・・・・・一体、何を視た?」 「それも・・・・・視ればわかる」 「・・・・・・・・・・・」 視た内容について一切を語らない主に、これは視るしかないと判断を下した神将達は、わかったと頷くしかなかった。 彼らの返答を受け、晴明が呪を唱え始めた。 詠唱はそれほど長くなく、程なくしてそれは完成した。 がくんっ!という束の間の浮遊感と共に、視界は暗転した。 そして次の瞬間に広がった光景は、見慣れた主の部屋ではなく、つい先日赤色に染まった邸があった―――――。 * * * 「業啓様と輝陽様は、今日より数日お出かけになられるそうです」 半年前から日課づけられている妖の掃討を終えた霞月は、それを報告しようと父である業啓の元を訪ねた。 しかし返ってきた返答は上記のもので、邸を留守にしていることがわかった。 何も聞かされていなかった霞月は、ならば報告は後日纏めて行うとしようかと考え、自室へと戻った。 霞月の自室は、驚くほどに物が少ない。 必要最低限の物しか置いておらず、書物や遊び道具といった雑貨類は一切置かれていなかった。 そんな部屋でも、霞月にしては随分と物が置かれているように感じられた。 以前いたあの墨色の世界には、寝床以外何も物が置かれていなかったから・・・・・。 霞月は庭がよく見える位置で腰を下ろすと、何を見るわけでもなくただぼぉ〜っと外の景色を眺めた。 外。これもまた、あの暗い世界にはなかったものの一つだ。 目の前をひらひらと蝶が飛んでいく。 霞月はそれに視線を固定し、それの行方を眼で追った。 黒の世界に鮮やかな色達があるはずも無く、また己以外(世話役の女は除く)の命があるはずもなかった。 しかし、今は溢れんばかりのそれらがある。それは霞月にとって不思議としか言いようがなかった。 何で自分はここにいるのだろう。 ふと疑問が沸き起こる。 霞月という人物は、実はこの邸には存在しない。―――存在しないとされている。 何故自分がそのような立場なのかは知らないが、そうであることが当たり前とされている。 邸の中で誰と会おうとも存在は無いものとされる。唯一自分をあるものとしてくれるのが父である業啓と、双子の兄である輝陽。そして自分の世話役になっている女の三人だけであった。 しかし、この三人とて霞月に対応してくれるのは必要であるからで、用も無いときには全く相手をしてくれない。 兄である輝陽は、ほんのたまにだけ相手をしてくれるが、それも父の業啓がいないところでというのが条件であった。 それは何故か。 答えは簡単だ。自分の存在を無いものとするようにと命を出した当人が、業啓その人だったからである。 故に業啓は霞月には己のことを父とは呼ばせない。父と呼ぶことを許されているのは双子の兄の輝陽のみだった。 外をぼ〜っと眺めていた霞月はふいに瞬きをした。 気がつけば辺りは暗くなっている。 部屋の入り口に夕餉の乗った膳が置かれていた。 その夕餉の状態から、もう夜も随分と更けてしまったようだと判断した。 その時、庭の闇が動いた。いや、庭先に人が立っていた。 その人影を見極めようと凝視をすると、その人影が己の見知っている人物であることがわかった。 「ごうけい、さま・・・・・・・」 父とは呼ばない。自分にその権利は与えられていないから・・・・・。 「なぜ、こちらに?きようとでかけていると、そうききましたが・・・・?」 「力を手に入れる方法が一つわかったからな。後は切り捨てるだけだ・・・・・」 「?」 主語を除いた言葉に、霞月は首を傾げるしかない。 そんな霞月を、業啓は冷たく見下ろした。 「いらない貴様をここまで生かしてやったのだ、最期くらいは役に立って貰おうか?」 「・・・・・・え?」 ぞくりと、恐ろしいまでの悪寒が霞月の背を駆け下りた。 一気に冷や汗が流れる。 鼓動がこれでもかというほど、速く、激しく脈打つ。 じりっと、無意識に半歩ほど後ずさりした。 嫌な予感がして已まない。 そんな霞月の様子など一切気にも留めず、業啓は素早く霞月へと近づきその身を捕らえる。そしてどこからともなく一振りの刀を出現させた。 霞月はその刀を訝しげに見た。 「え・・・・・ひょうき?」 それは己が持っている氷姫という名の刀を思わせた。が、よくよく見てみると違うということがわかった。 その刀が放つ波動が、自分の刀のそれとあまりにも異なっていたから・・・・・。 「貴様にもわかるか?これはお前達が持っているあれらと同じ存在だ。今はお前の氷姫に似せているがな・・・・まぁ、さしずめ”憑鬼”とでも言っておこうか」 名を呼ばれたその刀は、その力を表へと現した。 霞月はそれを見て悟った。これは危険だ、と・・・・・・・。 呼ぶ音は同じでも、それが指す意味はあまりにも違いすぎる。 霞月はその刀から少しでも身を遠ざけようとするが、業啓にその身を捕らえられているので叶うはずも無かった。 業啓はそんな霞月を馬鹿にしたように見、逆にその刀を近づけてきた。 「!・・・・ぁ、・・・・・・や!」 「この刀に宿る力の性質がわかるか?・・・・・だが、いくら力を秘めようと道具は所詮道具だ。使う者がいなければその力に意味は無い」 「―――っ、やめっ!」 「そう、体のいい使用者になってもらうぞ―――” ”」 耳に囁かれるのは縛りの鎖。 それを紡ぐ者に一切の抵抗を許さない言霊。 霞月はそれに縛られ、その身の主導権を全て奪われる。 業啓はそんな霞月を嘲笑った。 そして子どもの手にその刀の柄を握らせた。そして、 「赤き”悪夢”(ゆめ)へと沈むがいい・・・・・・。喰らえ、”憑鬼”」 目覚めの言霊と共に、禍き力が完全に覚醒する。 瞬間、霞月の眼から一切の意志が失われた。 業啓がその身をを自由にしてやると、刀を持った子どもは力なく腕をだらりと下げながら佇んだ。 業啓はその様を満足げな笑みを浮かべて見遣った。 「行け。そしてこの邸にいる全ての生あるものを喰らい尽くせ、凶つ魂(みたま)よ」 業啓はそう言の葉を紡ぐと、高笑いを残してその姿を消した。 その場には妖しき光を放つ刀を持った霞月だけが残った。 しばらくした後、ふらりと心許ない足取りで霞月―――いや、憑鬼は歩き出した。 男が残した言葉のとおり、生ける全てのものを喰らうために。 間を置かずして、その惨劇は始まった。 結界という折の中に閉じ込められた生けるもの達は、ただただ搾取する者から逃げ回った。 闇夜に響くのは断末魔。 無残に刈り取られていく命達の悲鳴。 刀に体の支配権を奪われた子どもは、目の前にある生あるものに容赦なく凶刃を振り下ろした。 すぶり・・・と、刃が肉へと埋まっていく手応えが、柄を握る手より伝わってくる。 すかさず得物を引き抜くと、赤き水が勢いよく噴出す。 子どもはそれを無感動な瞳で見ていた。 否。それは表面だけのことであり、実際は血を吐き出さんばかりに嘆き悲しんでいた。 やめて! 刀が骨を断つ。 やめて! 刀が腸(はらわた)を斬捌く。 おねがいっ!もう、やめて!! 刀が心の臓を刺し貫く。 やめてえぇぇぇぇぇぇっ!!!!! 己の手で、己の意思に反して、その刀は命達を奪っていく。 自由の利かない自分の体。唯一自由な魂は命の搾取に耐えられずに悲鳴をあげる。 やめて!やめて!やめてっ!じぶんはそんなこと、したくないっっ!!!! 姿無き支配者に、子どもは叫んで訴えた。 しかし、支配者はそれに取り合わずに淡々と、それでいて恐るべき速さで魂の狩りを行っていく。 いやだ、いやだいやだいやだぁぁぁっ!!! 赤い水溜りが広がっていく。 いつの間にか点いた火が、邸を飲み込み、天を赤く焦がす。 ぱしゃり! 命の絶えた骸が、重力に従って赤い水溜りに倒れ伏す。 周りに動くものは眼に入ってこない。 ただただ、赤い世界が広がっていた。 目の前にある赤い水溜り、これは何だろうかと子どもはどこか遠い意識の中で考えた。 答えは言われずともわかっている。 これは己が手にある刀で斬った人だったものから流れ出た血であると・・・・・・。 何で血がこんなに沢山ながれているのか。 それは沢山斬ったからだ。この手で、この刀で、誰でもない己自身が・・・・・・・・。 皆はどこにいるのだろうか、誰か返事を返してくれるものはいないのだろうか。 いるわけがない。だって・・・・・ だって、自分が皆殺してしまったのだから!!! そう唐突に理解した瞬間、体の自由が戻ってきた。 「・・・・・・ぁ、ぁあ、っ!ああああぁぁぁあぁぁぁぁぁっっっ!!!!!」 絶望の叫びが、子ども―――霞月の声から迸った。 からん・・・と、霞月の手から刀が離れ落ちた。 いくら自分を存在しない者として扱おうとも、無視しようとも、確かにそこに命はあった!生きていた!だというのに自分がそれを奪ってしまった!!! 「あぁぁぁぁあぁぁっ!!」 「全員、殺し終えたか」 絶叫を上げる霞月の直ぐそばに、それまでどこに身を隠していたのか業啓が姿を現した。 しかし、ただ叫び声を上げ続ける霞月は業啓の姿に気がつかない。 業啓は霞月の足元に転がる憑鬼と拾い上げ、その刀身を紅く輝く月へと翳す。 数多の人間の血を吸っても尚、その輝きを鈍らせない。むしろその鋭さを増したようにさえ感じられた。 業啓はその刀を満足そうに見た後、未だに叫び続ける子どもを見下ろした。 「ぁぁぁ、っ・・・・!」 「よく憑鬼にここまで血を吸わせた。その褒美にお前にここで死ぬ権利を与えてやろう」 業啓はそう言って残忍な笑みをその口元に浮かべると、霞月の腕を掴んで引き寄せ、そして勢いよく燃え盛る邸の中へとその身を突き飛ばした。 そして間髪入れずに屋根全体を辛うじて支えている柱へと攻撃を放った。 攻撃を受けた柱は悲鳴を上げながら折れ、僅かながらに原型を留めていた邸は完全に崩壊した。 それを無感動に見遣った業啓は、一度として振り返ることもなくその場を去っていった。 もう、この場に用はないと、その背中が告げていた―――――――。 * * * 「・・・・・・・・・・・・」 赤い世界で子どもが意識を失うところまでその記憶を垣間見た神将達は、一言も言葉を紡げずにいた。 晴明はそんな彼らを黙って見ていた。 「これが・・・・・この度の事件の真相か」 「惨いな・・・・・・・」 「霞月様、お辛かったでしょうに・・・・・・・」 「自分の子どもに人を殺させるって!一体何考えてるのよ!!」 「自分は手を汚さずに子どもに手を汚させるとは・・・・・浅ましい行いだな」 「晴明。今我等が見たものは、嘘偽りないのだな?」 「あぁ、全て本当のことじゃよ」 勾陳の確認の言葉に、晴明は静かに頷いて肯定した。 神将達の表情は揃って厳しいものであった。 常には表情の読み辛い六合でさえも、その黄褐の瞳に苦い色を浮かべている。 そんな中、晴明はゆっくりと口を開いた。 「わしは・・・・・あの子を引き取ろうと思う」 「・・・・まぁ、それは妥当だろう「ただし、これまでの記憶の一切を封じるつもりじゃ」 「なっ!何言ってるのよ晴明!」 「そうだぞ、晴明。人の記憶を弄るなど・・・・あまり褒められたことではない」 晴明の言葉に、太陰と玄武が遠まわしに反論を口にする。 人の記憶を操作するなど、そんな危険なことを許せるはずもない。 しかし、それでも尚晴明は必要なことだと強く言う。 「・・・・わかっておる。じゃが、このままあの記憶を持ったままでは、あの子はきっといい方向に成長できないじゃろう」 「それは・・・・・・」 「存在を否定され、自由を拘束され、あまつさえその手を赤に染めらされたあの子に、何を糧に生きていけといえる?・・・・・・あの子にはもう、何も残されてはおらぬ。ただ、虚無があるだけじゃ」 「・・・・・・・・・・・・」 「じゃから、今からでも、あの子に光を見てもらいたいのじゃよ。何の柵(しがらみ)もなく・・・・・・・・」 切なそうに目を細めて言う主の姿に、神将達はそれ以上の反論の言葉を紡ぐことができなかった。 何より、彼らの心情を言わせたのなら、思いは同じであったのだから・・・・。 「・・・・・・・わかった。それがお前の意思ならば、我らも反対はしない。いいか?我らもお前の意見に同意したのだ、一人で何もかも背負い込もうなどと思ってくれるなよ?」 「あぁ、すまないな。それと、どうかあの子を見守ってやってくれないかのぅ。遠くからでも、傍にいてでもいい。あの子の光に影が差さないように・・・・・・・」 「見守ろう。それがお前の望みならば・・・・・・・・我らに否やはない」 六合の静かに告げた言葉に、他の神将達も頷いて同意した。 それに彼らの主は、本当に嬉しそうに笑って返した――――――――。 ※言い訳 あ〜、やっと続きが書けた。なかなか進まないなぁ。次は本編に戻りますので。 短めの連作にしようと思っていたら、立派な長編になってしまいましたね;;もう十五話だしね・・・・。 せめて二十話くらいに止めたいとは思うのですが、こんな書き進め方をしていたら収まりそうにないかも。かなりざっくんばらんに書けば可能でしょうがね・・・・。 2007/7/1 |