大地を踏みしめる足に力を入れ 剣を握る手に力を入れる。 喉から迸る叫び。 どこか遠くで破砕音が響いた。 そして今、縛りの鎖から解き放たれる―――――――――。 |
朧月夜の還る場所〜終章〜 |
「くっくっくっ!・・・・本当に、この男は良くやってくれた」 業啓―――いや、狂姫はそう言ってトンと指先で己を指した。 「私を永きに渡る封じより解き放ち、数多の魂を喰わせ、また自身も私に喰われていった哀れな男。徐々に狂っていく様は何とも愉快であった」 「―――狂っていった、だと?」 狂姫の言葉に引っかかりを覚えた勾陳が、言葉を反芻する。 勾陳の疑問の声に、狂姫は頷いて肯定した。 「そうだ、私が狂わせてやった。面白かったぞ?それこそ本来であれば情に篤い男が、私の支配下で愛しき妻を屠り、愛すべき我が子の片割れを一切の光無き地下へと幽閉するのだからな。私の精神操作と男本来の精神との狭間で葛藤する様は見ていてとても愉快であったぞ!」 「何じゃと!?あれの妻は出産の折に命を落としたのではなかったのか?!!」 「そうさ、私が時期として丁度いいと思ったから殺したのだよ。この男の精神を陥落させるには、あの女の存在が邪魔だったからな・・・・。あの女を殺した後は随分と楽になったものだよ」 狂姫はにいっ!と口の端を吊り上げて哂った。 そんな狂姫を、紅蓮がぎらりと鋭い視線で睨みつけた。 「昌浩を地下に閉じ込めるように指示したのはお前だと言ったな?何故そんな指示を出した」 「別に、特に意味は無いな。しいて言うとしたら遊びか?あの男の手で己の子どもを日向と日陰に分かたてさせてみただけだ。あれを操作するのは割りと簡単だったよ、昔から双子はよくないものだという言い伝えもあるくらいだからな。お前の妻が死んだのは二人目の子どもを生んだ所為だからだと囁いてやったらあの男、すんなり納得をしたぞ?自分が殺したというのにな!」 余程そう思い込みたかったのだろうな、双子の兄に”輝”く太”陽”と名づけ、その対極に置くように弟には”霞”む”月”と名づけたくらいなのだから!と、そう言って狂姫は哄笑を上げる。 晴明達はそれに揃って険しい表情を作った。昌浩など顔の血の気を失せさせて真っ青である。 晴明は怒りのあまりに震える吐息を吐き、若干常より低い声音で哂い続ける狂姫へと問いを重ねた。 「お前は己が喰った者の姿を形どることができると言っておったな?一体いつ、業啓を喰った?」 「あぁ、この男か?・・・確か、九年前であったかな?そう、あの男の邸に共に住んでいた者達を喰らってすぐだ。あれで私も随分と力を得ることができたからな・・・・・ただ、そこの子どもを喰わせてはもらえなかったがな」 その子どもが一番力があったというのに、惜しいことをしたものだ。 狂姫は本当に残念そうにそう言った。 喰えていたらもっと力が増したものを・・・・・・と。 「今回も失敗したな。まさか私の支配に抗うとは思ってもいなかったよ、そうとわかっていれば操り人形にするなどという遊戯などもせずに喰ろうてやったというのに・・・・・・」 ひたりと、狂姫はその視線を昌浩に合わせた。昌浩はその視線にびくりと肩を竦ませた。 紅蓮はそんな昌浩の反応に目敏く気がつき、その身を盾にして昌浩の姿をその視線から隠した。 狂姫はそんな紅蓮の行動につまらなさそうに鼻を鳴らした。 「まぁいい。今からでも遅くはない、その子どもを喰わせてもらうとしようか」 「ふざけるな。昌浩には指一本たりとも触れさせはしない!」 「やってみろ!伊達に長年眠りについて力を蓄えていたわけではないぞ!!」 狂姫がそう叫ぶと、ぶわりと濃厚な妖気が一気に周囲へと広がった。 狂姫が、本体である剣を握り攻撃態勢へと移る。 それを皮切りに、神将達は狂姫へと己の武器を構えて攻撃に出た。 業啓が人ではなく、本物そっくりの影であることがわかり、人を傷つけてはならないという決まりに反しないとわかったためである。 そうとなれば容赦はしない。人の命を弄ぶ行為は断じて許し難いものであった。 神将達が狂姫の相手をしているうちに、晴明が祝詞を唱えだす。 「伊吹戸主神、罪穢れを遠く根国底国に退ける・・・・・・・」 それに気がついた狂姫は、それを止めさせようと晴明へと躍りかかった。 しかし、それよりも早くに晴明の祝詞が完成した。 「・・・・・・伊吹、伊吹よ。この伊吹よ、神の息吹となれ! 」 祝詞の完成と共に、凄烈な霊力が爆発した。 晴明へと踊りかかっていた狂姫は、それをもろに受けた。が、辛うじてその消滅を逃れ、ぼろぼろの姿でその場に留まった。 ふと狂姫が何かに気がついたようにその視線を動かした。そして唐突にその身を飛び出させた。 「!昌浩!!」 そう、狂姫が新たに標的と定めたのは近くにいた昌浩。 狂姫の急な動きに、晴明達の反応が僅かに遅れる。 昌浩も咄嗟にその場から退こうとする。しかしそれを狂姫は許さなかった。 「動くな、『朧』!」 「―――!!」 昌浩の動きがその言葉に呼応してぴたりと停止する。 朧。それは狂姫が霞月という名にちなんで霞月に与えた縛りの名。九年前のあの日も、その耳元でその名を紡ぎ、一切の抵抗を許させなかった言霊。 その言霊が昌浩の動きを縛る。 昌浩は地に足が縫い付けられたかのように、その場に身を留まらせる。 「・・・・ぁ・・・・・」 「その魂、私に喰わせろっ!!」 剣先を心臓の真上に定め、狂姫は物凄い勢いで昌浩へと突っ込んでいく。 「昌浩っ!!!」 「!っ、ぁ・・・・ぁああぁあああっ!!!」 紅蓮の己の名を呼ぶ声にはっと我に返った昌浩は、渾身の力を込めて咆哮した。 ばきりと、何かが砕けたような感覚に襲われた。それと同時に昌浩の身は自由を取り戻す。 昌浩は手を虚空へと伸ばした。 するとその手の中に一振りの刀が姿を現した。その刀は輝陽の持っていた炎姫とその形状が瓜二つであった。 「なにっ?!」 「―――逆巻け、氷姫(ひょうき)!!」 その言葉を合図に、その刀身の色が蒼へと変わる。 昌浩がその直刃を鋭く横薙ぐと、全てのものを凍てつかせる風が狂姫へと襲い掛かった。 ごおっ!と暴風が吹き抜ける。その後には四肢を凍りつかせた狂姫の姿が残る。 「はあぁぁああぁぁぁっ!!!」 裂帛の気合の声と共に、昌浩は氷姫を袈裟懸けに振り抜いた。 その剣閃は影もろとも狂姫本体を切り裂いた。 きいぃぃん! 高く澄んだ音が周囲へと響き渡った。 きらりと光る何かが宙を舞い、さくりと地面に突き刺さった。 それは折れた刃の切っ先であった。そう、狂姫の・・・・・・。 『ぎぃやあああぁぁあぁぁぁぁっ!!!!!』 狂姫の悲鳴が響き渡った。 昌浩はその悲鳴には耳を貸さずに素早く刀印を組み、続けざまに術を放った。 「この術は凶悪を断却し、不詳を祓除す、急々如律令!!」 昌浩の凄烈な霊力が、容赦なく狂姫へと叩きつけられた。 狂姫は今度こそ、跡形も無く消え去っていった―――――。 紅蓮はそれを見送る間もなく、昌浩へと駆け寄った。 そして昌浩の無事を確かめるようにその顔を覗き込んだ。 「大丈夫か?昌浩」 「紅蓮・・・・うん、大丈夫だよ」 昌浩はにっこりと笑い、そう返事を返した。 紅蓮もそんな昌浩を見てほっと安堵の息を吐き、くしゃくしゃとその頭を掻き回した。 昌浩はその紅蓮の行動に驚いたように抗議の声を上げる。 「わっ!・・・・何するのさ、紅蓮」 「・・・・・・おかえり、昌浩」 お前が無事でよかったと、優しく細められた金の眼が告げていた。 昌浩はそんな紅蓮の言葉に虚を突かれたように目を瞠った。 しかしその後に飛び切りの笑顔で返事を返した。 「うん、ただいまっ!」 こうして、九年越しに悪夢は醒めたのであった――――――――。 ※言い訳 終わったぁ〜!そして無理矢理な展開だった〜!! なにこれ、いつにも増して敵キャラあっさりとやられてない?!もう、本当にごめんなさい;; 最後、何とか昌浩が氷姫を使うシーンが書けました。これまでは文中にて昌浩も持っているということしか書いていなかったので、今回漸く書くことができて嬉しかったです。 これまでこのお話を読んでくださった皆様、お付き合いどうもありがとうございました。 2007/7/29 |