天網恢恢疎にして漏らさず














「―――昌浩っ!!」


スパーン!!と勢い良く障子を開けて昌浩の部屋へとズカズカと入り込んできたのは、萱草色(かんぞういろ)の髪を持つ人物――黒崎一護であった。
そんな一護をきょとんとした表情で出迎えたのは、この部屋の主である安倍昌浩その人であった。
昌浩は敷かれた布団の上に上半身を起こし、手に水の入ったコップを持った状態で軽く首を傾げながらも一護へと問うた。


「一護・・・・?どうしたの?そんなに声を荒げたりして」

「どうしたも、こうしたも・・・・お前が虚のやつに怪我を負わされたって聞いたから、こうして駆けつけたんだろうが・・・」

「聞いたって・・・・・一体誰から?」

「お前んところの白いやつだ。今日、昼休みの時に俺の所に文句を言いに来たぞ。『お前は己の役割も満足に果たせないのか!虚の始末はお前ら死神の担当だろうが!!お陰でうちの昌浩が蛇もどき怪物ヤローに襲い掛かられた挙句、怪我まで負わされたんだぞ?!どーしてくれるっ!!!』ってな」

「もっくん、朝から見かけないとは思ってたけど・・・・・・」


よもや目の前の人物の所にまで抗議をしに行っていたとは思わなかった・・・・・。

呆れたように溜息を吐きつつ、後できつく叱っておかねばと心に留め置く。
今日は平日だ。・・・ということは態々彼の学校にまで文句を言いに行ったということである。
それは褒められた行動ではない。一護達には一護達の日常があるのだ、それを半ば八つ当たりじみた理由で侵すような真似は決してしてはいけないのだ。

そう、八つ当たりもいいところなのだ。
何せ昌浩が怪我を負ってしまったのは自身の油断が招いたことである。自業自得だ。
だというのにその責任を虚掃討の任にあたっている死神――死神代行である一護に転嫁させるなどと、あっていいことではない。


「ごめんね、一護が悪いわけじゃないのに・・・・・・・」

「いや、それは別に構わないけどよー・・・・・。それに、その話を聞いたからこそ、今虚が出現してるってことがわかったからな!このまま気づかずに犠牲者を増やしちまうような事態にならなくって逆に助かったぜ」

「全くその通りだな」

「「!!」」


ふいに第三者の声が割り入ってきた。
昌浩と一護ははっとなってそちらへと視線を向けると、入り口に一番近い柱へと背を預けてこちらへと視線を向けてくる銀髪の少年の姿があった。


「よぅ、昌浩。怪我の具合はどうだ?」

「冬獅郎・・・・・・」


銀髪の少年――日番谷 冬獅郎は翡翠色の瞳をひたと昌浩へ向けてくる。
昌浩はそんな冬獅郎に軽く肩を竦めて返答を返した。


「実際、大した怪我じゃないんだよ?・・・・ただ、神将の皆とかじい様が大げさなだけで・・・・・」

「あぁ・・・・お前んとこの、ちょっと過保護だからなぁ・・・・・」

「ちょっとどころではないだろう、あれは・・・・・・」


昌浩の歯切れの悪い返答を聞いた二人は、呆れの混じった視線を遠くへと馳せた。

安倍昌浩という存在とそれなりの付き合いを持つ者は知っている。彼を取り巻く周りの者達は、彼に対してひじょーに甘いということを。寧ろ行き過ぎたそれらに、当の本人である昌浩は引いているぐらいなのだ。その程度は察して余りあるほどに伺える。
その筆頭は今ここにはいない白い物の怪なのだが・・・・・・・まぁ、そのことについては横に置いておくことにしよう。


「あははは・・・・まぁ、皆俺のことを思っての行動だし・・・・気にしてないよ。うん・・・・・」

「昌浩・・・・、言葉に力がないぞ?」

「まぁ、頑張れとしか言ってやれないがな・・・・・・。ところで、見舞いついでにお前に聞きたいことがあって来た」

「聞きたいこと?何、冬獅郎??」


俺で答えられるようなことだったら答えるよ?と返事を返す昌浩に、冬獅郎は一つ頷いて返した。


「あぁ・・・・・・・お前、虚に怪我を負わされたと聞いたが、それは確かか?」

「?うん、そうだけど・・・・それがどうかしたの?」

「その虚について、できるだけ詳しい情報が欲しい」

「?・・・・おい、どういうことだ??」


冬獅郎の言葉を聞き、不審に思った一護は常に寄せられている眉間の皺を更に深いものにした。
昌浩も同様に怪訝そうな表情を作っている。
冬獅郎はそんな二人の反応を見て、微かに息を吐いた。


「その虚の情報が一切ないらしい・・・・・・」

「は?どういうことだよ?情報がないって・・・・・」

「その言葉どおりの意味だ。昌浩が虚に襲われたというその時間帯、こちらはその虚の存在を感知していなかった」

「感知していないって・・・・・俺、思いっきり襲われたんだけど;;」

「しかし感知されなかった。でなければ朽木の所に知らせがいっているはずだからな」

「なるほど・・・・・」


冬獅郎の返答に納得した二人は、揃って首を縦に振る。


「だから、その虚に接触したお前から情報収集させてもらおうということになった。で、その役が俺に回ってきたわけだな」

「・・・・・それって、隊長格のやつに回ってくるようなものなのか?」

「まさか!隊長はそれほど暇ではないからな。普通ならその地域担当の死神か・・・・・まぁ、そこらへんの奴が使わされるものだ」

「じゃあ、なんでお前がここにいるんだよ?日番谷”隊長”・・・・」

「そんなもの、皆まで言わずともわかるだろう?どうせ見舞いに行くつもりだったからな。ついでで丁度良かっただろう?」

「・・・・・職権濫用だ」


どうやら冬獅郎は情報収集の役目を担った平死神から、その役目を横ど・・・・・快く引き受けさせて貰ったようである。
悪びれもなくあっさりと告げる冬獅郎を、一護は呆れたように半眼になって見遣る。
冬獅郎はそんな一護の視線を気にすることなく、居住まいを正すと改めて昌浩へと視線を向けた。


「まぁ、そういうわけだからな。お前が遭遇したという虚について、怪我を負った経緯も含めて何でもいいから話してくれ」

「うん、いいよ。まぁ、昨晩もいつものように夜警に出てたんだけどね――――」





昌浩が虚に怪我を負わされたその日の晩も、昌浩は物の怪を伴って夜の街へと繰り出していた。
浄霊といった魂葬の作業もなく、その晩は小物の妖を調伏するだけで終わった。
さて、そろそろ帰ろうかという時に、昌浩達はそいつに出遭った。

初めはふと目に留まったという程度の認識でしかなかった。
徐に巡らせた視界の端に引っかかりのようなものを覚え、そちらの方へと視線を向けると、そこには小さな黒い影がもぞもぞと動いていた。
捨て犬だろうか?と思い、その影に近づいてみたのだが、それが誤りであったことを数瞬後には理解した。
チリリとした痛みが頬にはしったのを感じると同時に、背中をどこか硬い所(恐らくは塀)に思い切り叩きつけられた。

痛みに飛びかける意識の中、昌浩は己をどこかに叩きつけ、今尚掴み上げている存在へと視線を向けた。
暗がりの中、微かな電灯に照らし出された姿は昌浩がいつも相手をしている妖ではなく、骨ぼったく、硬質的な見てくれの異形――虚であった。
蛇面(その顔の形状と各パーツの配置箇所でそんな感じがする)の虚を見て、昌浩は微かに舌打ちをした。

まさかこの至近距離になって漸く虚と気づくとは、余程気を抜いていたらしい。
そう咄嗟に思った昌浩であったが、よくよく気配を探ってみてあることに気がつき、ふと訝しげに眉を寄せた。
気配が、薄い―――。
目の前にいるにも関らずに、その虚は気配を注意して探らなければわからない程に微々たる量しか気配が感じられないのだ。

・・・・・・・・・・・。どうやらあまりにも雑魚過ぎて逆に虚だと気づけなかったらしい。

ある意味間抜けすぎる理由であったが、気づけなかったものは気づけなかったのだ。
今度からは気をつけようと思いつつ、さっさと片付けるかと身動きをしようとした昌浩は、しかし腕を動かせないことにそこで気がついた。どうやら腕ごとがっつりとホールディングされているようだ。
うっかりもここまでくると重症だな・・・と内心で溜息を吐いている昌浩をよそに、その虚は漸く口を開いた。


『ついているな・・・・・・・こんな極上の獲物を捕まえることができるとは・・・・・・・』

「っ・・・・・人のことを餌呼ばわりしないで貰えないかな?」

『フッ・・・・餌だよ、貴様は。この俺の欠けた力を取り戻すために必要な、な・・・・・』


そう言いつつ、蛇面な虚は細長くさき割れた舌でゆっくりと昌浩の頬を伝い落ちる赤の雫を舐め取った。
虚はその舌に乗せた血の味をじっくりと味わった後、ニタリと見るからに嫌な笑みを浮かべた。


『やはり味は極上だな・・・・安心しろ。あまり痛みを感じないよう、快楽の中に浸らせながら髪一筋も残さずに貪ってやろう・・・・・・・・・』


そう言うと、虚は再びその長い舌を昌浩へと伸ばし――――


「まてまてまてっ!!何だその年齢指定に突っ込みそうな話の展開はっ!?」

「・・・・へ?年齢指定??」


思わず叫ばずにはいられなかった一護を見て、昌浩は不思議そうに目をぱちくりさせている。


「・・・落ち着け黒崎。いくら虚がセクハラじみた発言をしていようが、当人である昌浩はこうして無事に目の前にいるだろ?きちんと最後まで話を聞いてからでも遅くはないだろうが」

「そ、それもそうか・・・・・」


冬獅郎に諌められた一護は、平静を取り戻すと改めて座りなおした。
それを横目で確認した冬獅郎は、改めて視線を昌浩へと向ける。


「・・・・・で、その後はどうなったんだ?」

「え、あぁ・・・・・・直ぐにもっくんが助けに入ってくれたから、軽い打ち身と擦り傷だけで済んだよ?」

「打ち身と擦り傷だけでも十分な怪我だろうが・・・・もう少し注意しろ」

「はははっ、以後気をつけるよ」

「お前のその言葉は当てにならん」

「ひどいな〜」


昌浩の言葉をばっさりと切り捨てる冬獅郎。そんな冬獅郎に、昌浩は苦笑じみた笑顔を浮かべた。


「・・・ところで、あの白いのが助けに入ったんだから、その虚は倒したんだよな?」


ふと気になったことを、一護はそのまま口にした。
一護の質問に対し、予想外にも昌浩は首を横に振って返した。


「いや、あと一歩というところで逃げられちゃった・・・・・。直ぐにも追いかけたかったんだけどね、俺がこんな状態だから追うに追えなかったよ」


軽く肩を竦めて返す昌浩に、一護と冬獅郎はやや真面目な面持ちで瞬時にお互い視線を交し合った。


「・・・・・ということは、その蛇面の虚はまだそこら辺をうろついているわけなんだな?」

「うん、俺もそのことが心配で・・・・・他の人を襲ってないと良いんだけど」


心配そうな顔をする昌浩の頭を、一護はわしわしと荒く撫でた。


「ま、虚退治は俺ら死神の仕事だからな。お前は大人しく横になってろ」

「黒崎の言うとおりだな。今回の件はこちらにも落ち度があった。責任を持ってこちらで処理させてもらう。だから身体を安静にして少しでも早く怪我を治せ」

「うん・・・・・二人ともありがとう」


頼もしい言葉と笑みを見せる二人に、昌浩は笑顔を返した。



その後、安倍邸を後にした二人は無言で頷き合うとその場を走り去ったのであった――――。







                        *    *    *







ずるり、ずるり・・・・・。

虚は重い体を引きずりながらも、影から影へと移動してその身を潜ませる。
先日偶然に遭遇した子どもの血を取り入れたことで多少なりとは回復した身であったが、依然として本来の力の10分の1の力も出すことができないことに苛立ちを感じる。

あの子どもの力は本当に極上のものであった。たった一滴の血でこれほどの力を取り戻すことができるのだから、全てを喰らえば如何ほどにまで回復するか・・・・・・想像に難くはない。
あの味を一度覚えてしまえば、完全に貪り尽くさねば気がすまない。
とにかく、今は安全に身を隠せる所を探し出し、また時を見計らってあの子どもを喰らいにいけばいい。その間、あの白い生き物が邪魔をしに入ってくるであろうが、それさえ排除してしまえば後は簡単に事が進むであろう。
そう判断を下した虚は、己の考えに酔っていた。
彼の虚の眼には、子どもを裂き喰らい、完全な姿を取り戻した己の姿しか見えていなかった。

故に反応するのが遅れた。
己に向かって鋭く放たれた冷たき銀閃に―――――。

気づいた時にはすでに己の左腕が斬り飛ばされていた。
ぼたりと、遠くで質量があるものが落ちる音が聞こえた。


「蛇面で弱っちい虚・・・・・こいつのことだな?」

「あぁ・・・・成る程、これだけ気配が薄くてはこちらの探査網に引っかからないわけだ。要検討だな」


黒き影が二つ、虚の前に立ちはだかる。
二つの影が身に纏うのは死覇装――死神だ。


『なっ、死神――!!!』

「よぉ、蛇面。ちょーっと聞きたいことがあるんだけどよ。答えてくれるか?」


萱草色の髪を持った死神が、笑み(しかし、その眼は決して笑っていない)を浮かべながら言葉を発した。その言葉は問いかけの形をとっていたが、明らかに強制の響きを多分に含んでいた。
白銀の髪を持った死神が追って口を開いた。


「昨晩、黒髪を長く伸ばした子どもを襲った虚というのは、貴様のことか?」


翡翠色の瞳が、冷然とした光を湛えて真っ直ぐと虚を見据える。


『ハッ!それを答えたところでどうする?』

「もし、その虚であった場合―――容赦無く叩き斬る」

「で、そうなのか、そうでないのか。どっちだ?答えやがれ!」


チャキリ、と二人の死神は己の得物である斬魄刀の柄へと手を添える。
そんな二人の様子を見て、しかしその虚は慌てることもなくうっそりと哂った。


『あぁ、あの子どもを襲い損ねたのはこの俺だな。どんな風に襲い損ねたって?―――こんな風にだよぉっ!!!』


虚はそう叫ぶと同時に、白い霧のようなものを一気に噴出した。
あっという間に辺り一面が白で埋め尽くされる。
それと同時に、虚はその場から逃げ出した。

虚が放った白い霧には幻覚作用がある。
昨晩の子どもには餌としての礼を兼ねてこれで幸せな幻を見せながらその身体を貪ってやろうとしたのだが、今回は死神どもの足止めを目的として使用した。
己の身体はまだ死神と遣り合えるほど万全ではない。故に今は逃げを選択する。
死神に背を向けることは屈辱極まりない話であるが、それもこれも生き延びるためだ仕方ない。
力を取り戻した暁には、やつらも喰らってやろうと心に決めつつ虚は哄笑した。
が、次の瞬間――



ドスリッ!



鈍い衝撃が己の足を貫いた。


『なっ、なんだと?!』


己の足を貫いたのは刀身の幅広い斬魄刀・・・・・。
そう虚が察するやいなや、刀の突き刺さった部分が熱を帯び、次いで激痛に転じる。


ギィ、ギャアアァアァァァァッ!!!

「うるせぇなぁ・・・・足に刀が刺さったくらいで喚き散らすんじゃねーよ。みっともねぇ奴だな」

「ふん。そんなもの、俺達と戦わずして逃げ出した時点で十分に情けないだろうが」

「はっ、それもそうだな」


一護は冬獅郎の言葉に哂って同意すると、虚との距離を一気に詰めた。
そして虚の足に深々と刺さっている己の斬魄刀の柄を握ると、勢い良く力任せに虚の足から引き抜いた。
更に耳障りな虚の絶叫が辺りに響き渡る。
一護と冬獅郎はそんな虚の叫びを聞き、鬱陶しそうに眉を顰めて不快感を表す。


「おい、蛇面。あいつに手を出したこと、後悔させてやるよ」

「そう易々と楽になれるとは思うなよ?」


まるで鼠を甚振る猫のような雰囲気を多大に醸し出している二人の死神は、その後長時間に亘って虚をネチネチとイビリ倒したのであった。









天網恢恢疎にして漏らさず

悪事を行えば必ず捕らえられ、天罰(制裁)を被る羽目となる―――――。











※言い訳
やっとこさ三周年記念小説の一話目を完成させることができました!(遅いっつーの!!)
の割にはあんまり納得のできる文ではなかったのが悔しい所です。すみません、総受けらしい表現はあまりできませんでした;;くっ、無念!!
文章中、どことなく危なげな言い回しのものが出てきましたが、決してそういった意味で書いたものではありません。快楽の中=幻覚の中という意味です。でも、書いているうちに何か一護に突っ込ませてみたくなったので、上記のような文章になりました。
あー、あと文中に出ている虚はオリジナルです。と言っても、私の想像力が貧困なので、碌な奴が出来上がりませんでしたが。特徴などの表現や、能力を考えるのがかなり面倒臭かったり;;
初っ端からの問題としては、日番谷隊長の言葉遣いが良くわからなかったことです(ヲイ!)。言葉遣いがどことなくおかしかったとしても、そこはどうか眼を瞑ってください;;

というわけで、このお話はフリー配布なので、どうぞご自由にお持ち帰りください。


2008/5/11