廻る精の拠り所は








ねぇ、貴方は前世というものがあると信じますか?



私は信じます。



何故なら、その前世とやらの記憶を私はしっかりと覚えているのですから・・・・。









さわり・・・・。

涼やかな風が木立をすり抜けていく。


時刻は子の刻も過ぎた頃。
光源は蒼白い光を落とす月のみの貴船の山道を、颯爽と移動していく影が一つ。
その影は開けた場所にある大きな岩の前まで来ると、その歩みを止めた。


「高於・・・・高於の神・・・・・・・」


ふいに、岩の前で足を止めた影がぽつりと言の葉を紡いだ。
その声は多分に幼さを含んでいて、この場には不似合いなほどであった。

ざわりっ!

一際大きく木々がざわめくと共に、清廉な神気がその場に顕現した。
その神気の持ち主は所定の位置である岩の天辺へと坐すと、玲瓏とした眼差しを影へと向けた。


「この高於を呼び出すとは良い度胸だな・・・。健全な子どもはもう夢路へととっくについている時間ではないのか?安倍康浩(あべのやすひろ)」

「生憎、私は健全ではないのですよ。高於・・・・」


そう言ってくすりと笑う影を、月が青々と照らし出す。
月明かりに照らし出されて闇に浮かび上がるのは一人の子どもであった。しかもその子どもの容姿は、彼の大陰陽師である安倍晴明の末孫―――”安倍昌浩”という人物に酷似していた。いや、酷似という表現でも生温い。正に瓜二つであった。
しかしこの少年、昌浩に顔が似ていて当然なのである。何故なら・・・・・


「お前の双子の弟である昌浩は健全な生活を送っているというのに・・・・全く嘆かわしいことだな」

「そうですか?昌浩も夜警で都中を駆け回ったりしていて”健全な生活”と評するには、些か難しいところもあると思うのですが」

「お前と比べたら可愛いものだろう?特に、その手に持っているものなどはな・・・・・・」


そう言って高於が向けた視線の先には、康浩と呼ばれた子どもの手に携えられている酒瓶と杯があった。


「おや?せっかく月見酒と洒落込もうかと思って持って来たというのに、随分な言い草ではありませんか。第一、私はもう元服しているのですよ?少しくらいなら酒を嗜むこともできます」

「ぬけぬけと。どこの世に齢十と三つで神と杯を交し合う子がいるのだ」

「今、目の前にいますね〜」


にっこりと綺麗な笑みを浮かべて高於の皮肉をさらりとかわし、康浩は持ってきた杯へと酒を注ぐ。
そんな康浩の様子に詰まらなさそうに小さく鼻を鳴らす高於であったが、杯を手渡されれば黙って酒を煽った。
そんな高於を見て、康浩はちょっぴり苦笑いを零した。


「・・・・存外、豪快に飲みますね。それ、手に入れるのに苦労したんですよ?」

「ふん・・・・そこそこではあるな。子どもがそう易々とは手に入れられないくらいには、な」

「それは、ほら・・・・裏で色々とですね・・・・・・」

「ほぅ?それはまた更に子どもらしくないな」

「いやですねぇ、高於。人生二度目のこの私に、一体何を求めているんですか?」

「ん?そうだな・・・しいて言えば面白さか?」

「・・・・・・・・・・・」


実にさらりとした態度で返された高於の言葉に、康浩は思わず半眼になった。
そんな康浩の視線に気がついていても意に返すことなく、高於はちらりと康浩の手元へと視線を落とす。


「お前は飲まないのか?」


康浩の手に持たれている杯は酒が満たされていて、微かに揺れる水面は月の姿をそのまま写し取っている。


「言われずとも飲みますよ」


未だに不機嫌面を直さぬまま、康浩は一気に杯の酒を煽った。
そんな康浩の様子を見て、高於はひょいっとその整った眉を持ち上げた。


「なんだ、随分と荒れているようだな?」

「もちろん荒れてますよ。だからこうして憂さ晴らしに貴女と月見酒をしているんじゃありませんか」

「・・・・ほぅ?その言い草ではまるで私はおまけのように聞こえるぞ?」

「ご冗談を。今のところ、私のことを知っているのは高於だけです。然るに、愚痴を零す相手は貴女しかいないんですから、どうしてそのような方を無下に扱えますか?」


そう、私が前世の記憶を――天狐であった頃の記憶を持っていると知っているのは、貴女ただ一人なんですから・・・・。

そうぽつりと言葉を零した康浩は、暗く嗤った。
高於はそれを見て、すっと僅かに眼を細める。


「・・・・いまだに、陰陽師は嫌いか?」


高於の問いに、康浩はより一層笑みを深くして答えた。


「えぇ、大嫌いですよ。私があれらを好きになる日など今後一切、この生の間であろうと、再び命が廻り新たな生へとつこうと、絶対にやって来ません」

「それはまた、随分と嫌われたものだなあれらも」

「当然でしょう?我が友を己が勝手な思い込みで殺め、あまつさえこの私の命を刈り取った者・・・・忌々しい陰陽師。あれと同じ職についているというだけで全ての陰陽師共が憎く思える・・・・・そして、その陰陽師共の根幹――人間という種族そのものが疎ましい」


そう、底冷えた声音で言葉を紡ぐ康浩の瞳の奥では、白炎が灯りちらつく。
しかも瞳だけではない。彼の周囲を白き陽炎が取り巻く。
彼の身体に流れる天狐の血が、彼の強い感情に反応して外へと漏れ出した結果だ。

康浩の前世――天狐であった時、康浩はそれは大層仲の良かった天狐を陰陽師に殺された。しかも、それは陰陽師の思い込みもとい、勘違いによって引き起こされた悲劇であった。
当時、康浩達が暮らしていた山の麓の村で、村人が次々と殺される変事が起こっていたらしい。それは康浩達天狐ではなく、他の妖によって引き起こされていたものであった。
しかし、村人に救済を求められた陰陽師は、何を根拠にしてそう思ったのかは知らぬが天狐が村人を襲ったのだと判じたのだ。
友人の天狐は人を好いていたので、度々麓の村へと様子を見に降り立っていたので、もしかしたら村人の誰かが「見る」力を持っていて、その姿を見たのかもしれない。
兎に角、その抹殺対象とされたのが友人である天狐であった。
そして殺された。見るも無残な有様になる程に徹底的に。
その友人の亡骸を見て怒りのままに復讐にはしった康浩であったが、返り討ちにあい、友人同様にその命を落とした。

故に前世の記憶を引き継いでいる康浩は陰陽師を酷く嫌う。
虚空を睨みつける康浩を見て、高於は呆れたように息を吐いた。


「坊主憎けりゃ袈裟まで憎いか・・・。しかし、お前の生家は陰陽師を生業とする安倍家だぞ。確か、お前以外のほとんどの者が陰陽師という環境ではなかったか?」

「・・・・えぇ、そうですよ。そうなのです、何と忌むべきことでしょう。よりにもよって次の生が人間――しかも陰陽師を生業とする家系なんぞ・・・・あれですかね。私、冥府の者にでも嫌われたのでしょうか?今生で産声を上げたあの日ほど、恨みに心満たされたことはありませんよ」


嫌悪の対象である陰陽師。
しかもその自分の祖父はその筆頭。家族もそれなりに力ある者達ばかりなので、母である露樹を除けば皆が陰陽師という環境。
己が身が人間であると知った時、何の嫌がらせだと、心の底から叫ばずにはいられない。


「本当、毎日が生き地獄。虫唾がはしって仕方ないですよ」


ですから、こうしてたまに気晴らしのために生前、天狐であった時に悪友と呼べる縁を結んでいた高於の許へと訪れるのだ。どうしても、あの空間にいることが耐えられなかったその時に・・・・・・・・・。


「それは、あれがお前の傍にいても虫唾がはしるということか?」

「・・・・・・・・・」


高於の言葉が指す人物が誰であるのかを正確に読み取った康浩は、一瞬虚を突かれたような表情をした後、ふっと顔を綻ばせた。


「まさか!あの子は特別です。共に生を受け、共に生の道を歩む者。そして何より、あの人間らしからぬ清い魂を抱くあの在り方を、嫌い疎んじる理由などありはしません。あの子だけ、あの子だけです。人の枠内にありながらも、私が唯一心を寄せられる存在は」


昌浩。
康浩の双子の弟。人間の、子ども・・・・・。


「随分と入れ込んでいるのだな。陰陽師――ひいては人間を憎むその心で、同じ人間の子どもを慈しむ。何とも複雑怪奇な心情だな、理解しきれぬ」

「ふっ、貴女とてあの子のことはそれなりに気に入っているではありませんか」

「それなりに、だ。それは切り捨てようと思えばいつでも切り捨てられる程度の思いに過ぎない。お前は?無理であろう?お前の中のあの子どもは、それ程までに重い。違うか?」


すいっと涼やかに向けられる眼差しに、康浩はくつりと喉の奥で笑った。


「そのとおりです。そして私があの子を大事に思えば思うほど、私は陰陽師共に――祖父である晴明に怨恨を深まらせていく・・・・・」

「ほぅ?何故、と問うても?」

「あの子に陰陽師としての在り方しか示さないからです。私は幼き頃より天狐の血を御し、その身に宿る霊力さえも御して力なき子を装うことができましたが、あの子は普通の子です。その霊力の高さなど隠すことなどできませんし、隠そうとも思わない。そんな稀有な子どもを目の前にしたあの老いぼれは、あの子が物心つく頃には陰陽師について様々なことを教え込んでいました。初めから、その道しかないのだというかのように・・・・・」

「・・・・・・・」


当時のことを思い出しているのか、康浩の顔には嫌悪の感情が浮かび上がっている。
高於はそんな康浩の様子を見ながらも、黙って話を聞いている。


「実際、昌浩は幼心にあの老いぼれを親い、同じ生業である陰陽師を目指しました。今では直丁として陰陽寮で働いていますしね。まぁ、そこまではいくら裏で操作があったとしてもあの子が選んだ道ですから、私も文句などありませんでしたよ。そう、文句があるのは最近の行い・・・・・・・あのじじい、唐突に昌浩を妖の調伏に放り出し、あまつさえ異邦の妖異の討伐なんてものを押し付けやがりましたからね」

「・・・・・・・・・・・・・・」

「今年に入ってあの子が死に目に遭うようなことが頻発していますからね・・・・『てめぇ、そんなに昌浩を三途の川の向こうへ送りたいのか!』って胸倉掴み挙げて問い詰めたくなりましたね、本当に」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「しかも、最近では陰陽寮の輩があの子のことを虐めだしたようで・・・・昌浩が血反吐吐いて陰ながら都を守ったというのに、無能者のくせして良い度胸してますよね?あぁ、もちろんこっそりとお礼参りはさせてもらいましたよ?私の大事な昌浩を虚仮にしてくれたんですから、それ相応のお返しをしなくては・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・まぁ、お前の言いたいことは(何となく)わかった。(そしてあの子どもがどれほど大事かというのもな)」


何か恨みの方向性が異なってきているように感じられるが、そこはまぁ本人が気づいていない(もしかしたら気づいていて気づかない振りをしているのかも)ようなので、高於は敢えてそこを指摘するような真似はしなかった。


「わかって頂けたようで何より。ですから、私は生前・今生の出来事全部を含めて人(主に陰陽師)が嫌いです」


そうきっぱりと言い切った康浩は、実ににこやかに笑んでいるのに反して、その背後に酷く禍々しい空気を背負っていた。






その後、東の空が白じむまで康浩の憂さ晴らしは続いた――――――。












※言い訳
久々にお話をUP。随分とお待たせして申し訳ないです。
今回、昌浩が一度も登場しなかったことにびっくりしています。黒昌浩もとい康浩くんと高於オンリーでお話が出来上がりました。
このネタでの黒昌浩は表面上はとても慇懃な子ですが、さり気無くその発言に黒いものが混じっているという設定です。にこやか爽やかに笑いつつ、言葉に毒を含ませる。みたいな感じです。
そしてここ重要!この黒昌浩は紅蓮並みに昌浩馬鹿(大笑)。昌浩が大事で仕方ないお方です。
とまぁ、こんな感じの設定で書いてみました。

このお話はフリー配布ですので、気に入りましたらどうぞご自由にお持ち帰りください。


2008/6/27