鳴蛇の放った妖気の飛礫が無数に襲い掛かる。
昌浩はその飛礫が己が身へと届く前に、剣を振るうことによって不可視の斬撃を放ってそれらを粉砕する。
「ちっ!本当に厄介な剣ですね。ならば・・・・・・!」
「!させるかぁ!」
苛立たしげに舌打ちをした鳴蛇は、昌浩の喉笛に噛み付こうとする。
しかし、そこへ翻羽(ほんう)が滑り込み、鳴蛇の顎を蹴り上げることによって、その牙から昌浩を逃れさせる。
顎を蹴り上げられたことによって体勢を大きく崩した鳴蛇を、すかさず昌浩が距離を詰めて叩き斬ろうとする。
「はあぁっ―――!」
「くっ!」
が、それに気づいた鳴蛇は己の尾を鞭のように振るうことで、剣を横合いから弾き飛ばす。
そして両者は後方へと飛び退き、互いに間合いに入るか入らないかの微妙な空間を保ちながら睨み合う。
戦況は均衡しているが、それも時間の問題だろう。あちらは一人、そしてこちらは二人だ。
今は戦闘に参加していないが、いざとなれば踰輝(ゆき)達の護りに回っている越影(えつえい)も動くだろう。
それを理解している鳴蛇は余裕の笑みをとうに捨て、今はその命を狩ることのみに集中している。
『―――大分苦戦しているようだな、鳴蛇よ』
「嶺奇様・・・・・。申し訳ありません」
『ふんっ!・・・・・まぁよい。少し力を貸してやろう』
大妖の翼が大きく広げられる。羽ばたきと共に妖力が膨れ上がり、その場にいた全員を包み込んだ。
「なに!?」
音が消え、風が異質なものへと変化する。
あたり一帯は完全な闇に閉ざされた。どこを見渡せど、その視界へと入ってくるのは黒一色である。
「ここは・・・・・!」
『天馬どもよ、貴様らは決して逃がせはせぬわ―――!』
嶺奇の唸り声が、黒の空間に反響する。
「まずい、奴の作り出した空間に取り込まれた!」
現状にいち早く気づいた翻羽は、そう叫んで他の者達に注意を促す。
翻羽の言葉に、昌浩や越影達も油断なく周囲へと視線を走らせた。
が、やはり目に入ってくるのは黒に塗りつぶされた風景だけであった。
周囲の気配を探っていた越影は、ふいに視界の端で空気がさわりと動いたことに気づいた。
「っ!そっちか!?」
『気づくのが遅いですよ―――!!』
黒の空間から突如として姿を現した鳴蛇に気がついた越影は、そちらへと向かって攻撃を放つ。
しかし、僅かながらにそれが間に合わず鳴蛇はその攻撃をひらりと余裕でかわし、一気に越影へと肉薄した。
ザシュッ!と赤の飛沫が地へと飛び散った。
「・・・・・ぁっ!」
それを間近で見ていた彰子は、声にならない悲鳴を上げた。
越影の右肩に、鳴蛇の鋭い牙が深く突き立てられていた――――。
越影は身に襲う激痛に顔を歪め、それを見た鳴蛇は愉悦に顔を歪めた。
「おのれ鳴蛇ぁ!越影から離れろっ!!」
同胞の危機に気づいた翻羽は、怒号を上げて鳴蛇へと踊りかかる。
「越影!――っ!」
昌浩も声を上げ、翻羽と同じように越影の許へと駆け寄ろうとする。
その時、横合いから唐突に銀の閃光が奔り、昌浩の手から剣を弾き飛ばしたのだった。
昌浩の手から離れた剣は、地面をカラカラと滑っていき、随分離れたところまで飛んでいった。
昌浩は驚いたように横へと視線を向けようとした。しかしその瞬間、今までにないほど強い衝撃と圧迫感に襲われることとなった。
『この場において気を散らせるなどと・・・・随分愚かな真似をするなぁ。天馬よ・・・・・』
「・・・・ぅ、ぐっ!嶺、奇―――」
昌浩の視線の先には、両目に赤をこび付かせた嶺奇の姿があった。
嶺奇はその太い前足で昌浩を押さえつけ、その顔を覗き込んでいる。
「!昌浩!!」
鳴蛇を越影から引き離すことに成功し、昌浩がいる方へと顧みた翻羽は、安堵のさめ止まぬうちにその心臓を凍りつかせた。
昌浩が嶺奇に押さえつけられている。
ほんの僅かな間に、一体何が起こったというのか。
翻羽は驚愕と焦燥を乗せて昌浩の名を呼んだ。
そんな翻羽の言葉など耳に入っていないとでもいうのか、嶺奇は微動だにもせずに見えぬ目でひたと昌浩を見据える。
ニィッ!と、その牙が覗く口が、残忍な笑みに彩られた。
『――さて、あの目障りな剣もない。まずは貴様から喰ろうてやろう』
ぐっと、甚振るように前足にかかっている重圧の重さが増す。
昌浩は声を出す余裕もなく、かはっ!と息を詰めた。
嶺奇はその様を愉しそうに目を細めて観察していた。
『餞別だ。貴様に己の死に様を選ばせてやろう・・・・・。このまま圧死するか、爪で串刺しにされるか、牙で引き裂かれるか・・・・・・さあどれがいい?』
「―――っ」
哄笑を上げる嶺奇を、昌浩は鋭く睨みかえした。
一向に怖気づかない昌浩。嶺奇はそれが気に喰わなかったのか、笑うことをやめて忌々しげに鼻に皺を寄せた。
『そうか、答えぬか。ならばさっさと死ぬがいいっ―――!』
ぐわりと、その口を大きく開けて嶺奇は昌浩へとその鋭い牙を向けた。
「昌浩っ!」
急いで駆け寄ってきていた翻羽は、必死に昌浩へと手を伸ばす。が、それよりも嶺奇の牙が昌浩を捕らえる方が断然に早い。
「やめろぉぉっ!」
絶望の叫びが上がった瞬間、闇が白の閃光で切り裂かれた―――。
「オンキリキリバザラバジリホラマンダマンダウンハッタ!」
閃光に乗じて、鋭く真言が言い放たれる。
凄烈な霊力の波動が、嶺奇へと襲い掛かった。
昌浩へと襲い掛かっていた嶺奇は、その瞬間無防備だったために防御をする間もなく弾き飛ばされた。
「グアァッ!おの、れ!方士があぁぁぁっ!」
唐突に現れた方士―――晴明達に、嶺奇はそれまで食そうと思っていた天馬のことなどすっかり忘れて、怒りのままに襲い掛かる。
が、間髪いれずに太陰の巻き起こした風が嶺奇の行く手を阻んだ。
そのことで益々嶺奇は怒り狂う。
と、晴明が徐に手に持っていたものを正眼の位置で構えた。
それは晴明かれ自身の手で鍛え上げた、霊性の高い剣―――そう、降魔の剣であった。
晴明は狙いを嶺奇へと定めると、厳かに神呪を唱え始めた。
「雷電神勅、急々如律令―――!」
それに呼応するように、一条の稲妻が天を奔り、嶺奇の身体を貫いた。
ゴアッ!と強大な霊力はその余波を周囲へと広げていく。
翻羽は昌浩を抱きかかえると、その強烈な余波に吹き飛ばされないように身構えた。
嶺奇の身体が白の炎に包まれていく。
嶺奇の絶叫が周囲に轟く。
「嶺奇様っ!」
主の許へと駆けつけようとした鳴蛇は、しかし銀槍と筆架叉の斬撃によりその身をずたずたに引き裂かれた。
主の絶叫に混じり、鳴蛇の断末魔が響き渡った。
嶺奇は黒焦げとなってその身を地へと沈め、鳴蛇は塵へと還っていった――――。
「大丈夫か?昌浩」
晴明は短い間ながらに言葉を交わした天馬へと声をかける。
そんな晴明に、昌浩は困惑を滲ませた声で言葉を返した。
「あの・・・・・あなたは?」
「・・・・あぁ、この姿では初めてになりますか。安倍晴明ですよ」
「え・・・?」
昌浩は晴明の言葉に、困惑を更に深めた。
目の前に立つ人物は、どう見積もっても二十代の青年。つい先日言葉を交わした老い先の短い老人とは、似ても似つかない。
そう思った昌浩であるが、彼の人物の霊力を探ってみると、確かに。その身に宿る霊力は同質のものであった。
一体どんなことをすればその身が若返ったりするのだろうか?と疑問を抱きつつ、一応納得したように晴明へと頷いて返した。
「・・・・確かに、あなたは安倍晴明のようですね。霊力の質が全く同じだ」
「わかっていただけましたかな?」
「えぇ・・・・・」
「おい、昌浩。一体誰だ?」
見知った間柄なのであろうと察した翻羽は、昌浩へと説明を求める。
昌浩はその質問に、この都へ来た時に知り合ったのだと簡素に説明した。
「・・・・ところで、あなたはどうしてこちらに?」
「彼女――彰子様は私の邸で預かっている姫なのです。異邦の妖に攫われてしまったことに気がつき、急いでここに駆けつけたのですよ」
十二神将に囲まれている彰子へとちらりと視線を投げ、晴明はそう説明する。
昌浩もなるほどと、筋の通った話に相槌を打った。
「昌浩・・・・・」
ふいにこちらへと歩み寄って来た越影が昌浩へと声を掛けてきた。その隣には意識を取り戻した踰輝が立っていた。
「踰輝!よかった、目が覚めたんだね?」
「えぇ。越影から話は聞いたわ。あの恐ろしい呪縛から解き放ってくれてありがとう」
まだ若干顔色が悪いが、踰輝はその顔にしっかりと笑みを浮かべてお礼の言葉を述べた。
もう、あの人形のような無機質な表情はどこにも見当たらなかった。
よかったなと、誰もが表情を綻ばせたその時、唐突に咆哮が間近から轟いた。
その咆哮の主は、晴明によって焼き尽くされたかに思われていた嶺奇であった。
何だと思う間もなく、嶺奇はこちら―――晴明へと襲い掛かってきた。
その動きはとても全身を焼け爛らせているものの、それではなかった。
「晴明!」
神将達が鋭く悲鳴を上げて彼へと手を伸ばす。
しかしそれよりも早く、晴明の眼前を何者かの影が過ぎった。
ザシュッ・・・・・・・。
鮮血とともに、赤銅色の羽が飛び散った。
「え・・・・?」
その場にいた誰もが、驚きに目を瞠った。
晴明の前に立ちはだかった影。それは赤銅色の毛並みをした、一頭の天馬であった――――。
「まさ・・・・ひろ?」
誰もが呆然とする中、その天馬の正体が誰であるのかを理解した踰輝は呆然と呟いた。
そう踰輝は見ていた。目の前で己へと向けて微笑んでいた昌浩が、突然人の身から元の妖の姿へと転身させて晴明の前に躍り出た一部始終を―――。
「・・・・・ぁ、いやあぁぁあぁっ!」
耐えられずに悲鳴を上げる踰輝。
翻羽と越影も、踰輝の言葉の指すところを理解し、愕然と目を瞠った。
「まさ・・・・・・」
「来れ。来れ、邪を打ち滅ぼす役目を担いし刃よ――――!」
瞬間。昌浩の声に呼応するかのように、周囲が清冽な白の光に満たされた。
ヒュン!と風を切る音が聞こえたかと思うと、眩く光放つ剣が嶺奇の心臓を貫いていた。
それは先ほど嶺奇が昌浩の手から弾き飛ばしたはずの、破邪の剣であった。
嶺奇はこれ以上は出ないというほどに大きな絶叫を上げると、ドゥッ!と地面へと倒れこみ今度こそ塵へと還っていった――――。
「くっ・・・・・!」
嶺奇が塵へと還るのを見送った後、昌浩はその場へとくず折れた。
それではっと我に返った踰輝は、慌てて昌浩へと駆け寄った。翻羽と越影も僅かに送れて同じように昌浩へと駆け寄る。
「昌浩っ!ねぇ、しっかりして!!」
「・・・・あぁ、大丈夫。ちょっと傷が深いだけだから」
「ちょっとって・・・・もぅ!これのどこがちょっとって言うのよ!」
大丈夫だと目を細めて笑う昌浩に、踰輝は怒ったようにそう怒鳴り返した。
昌浩はちょっと深いと言ったが、その傷は深く抉られていて見るに痛々しかった。
「昌浩!この馬鹿がっ、何故飛び出したりしたんだ!」
「あー、えっと条件反射?」
「そんな条件反射があるか!そこの人間なんてなぁ、すぐ傍にいる神達が勝手に守るだろうが!お前の怪我は負っただけ損だっ!」
「そんなこと知らないよ〜。気がついたら勝手に身体が動いていただけだし・・・・・・・」
怒りも顕に問い詰めてくる翻羽に、昌浩は決まり悪げに視線を逸らした。
更に言い募ろうとした翻羽を、越影が止めた。
「そこまでで止めておけ、翻羽」
「越影・・・・!」
助けか!?と喜んだ昌浩は、しかしすぐにその笑みを凍らせることとなる。
「何故止める!」
「止めたわけではない。ただ、馬鹿は薬を飲んでも(説教をしても)直らないと思っただけだ」
「「・・・・・・・・・」」
しれっとした態度で、何気にどぎついことを言う越影。
翻羽と昌浩は、ともに顔を引き攣らせている。
「少しいいですかな・・・・・?」
とそこへ、丁度いいのか悪いのか、晴明が声を掛けてきた。
天馬達は視線を晴明へと集める。
「何だ?人間」
「いやなに。彼の傷の手当てを私にさせてはもらえないだろうかと思ってね。元々は私が負うかもしれなかった傷だ、お礼代わりとは何だが治させて欲しい」
「・・・・・・・・頼む」
昌浩の怪我をこのまま放置するわけにもいかないと思った翻羽は、言葉短に答えた。
晴明は了承をもらってから、そっと昌浩の傍らに膝をついた。患部に手をかざし、静かに神呪を唱える。
「華表柱念・・・・・・」
見る間に昌浩の怪我が癒えていく。
しばらくした後、そこには完全に傷が癒えた状態の昌浩の姿があった。
「うわぁ〜。ほんとに全部治ってる・・・・・・・」
己の傷があった場所をまじまじと眺めながら、昌浩は感嘆の声を上げた。
晴明はそんな昌浩に苦笑を返し、どこか異常はないかと問うた。それに対しての返事は否であった。
ほっと安堵の息を吐く天馬達。
本当に、心配をかけさせる・・・・。胸の内で苦い笑みを零しつつも、見つめるその瞳は温かなものであった。
「・・・・・・ところで、昌浩?」
「うん?何?翻羽」
「お前、その羽の色は一体どうした?」
天馬は本来その毛並みは白である。越影は稀に見る例外でその毛並みの色は黒であったが、昌浩は違う。彼らの記憶が正しければ、昌浩もその毛並みの色は白であった。
しかし、今目の前にいる昌浩の毛並みは赤銅色・・・・・・どう見ても元の色に似つかない。
胡乱げに見つめてくる天馬(主に翻羽)たちに、昌浩はうっと声を詰まらせ、視線をあらぬ方向に彷徨わせた。
「昌浩・・・・・」
「えっと、これは、そのう・・・・・・」
「言え」
「・・・・・はい」
じと目で睨んでくる兄貴分に、昌浩はとうとう折れて事情を説明した。
曰く、破邪の剣の主となった代償とのこと。
その説明を聞いた翻羽は、昌浩の方にぽんと手を置き、いい笑顔を浮かべながら一言だけ告げた。
「捨ててこい」
「え゛っ、いや、それはさすがに・・・・・・」
「捨ててこい」
「でも・・・・・・」
「す・て・て・こ・い!」
「・・・・・・;;」
んな、何の影響を及ぼすかわからないようなものを持ってるんじゃない!と、翻羽はこめかみに青筋を浮かべて怒る。
踰輝はそんな翻羽の隣で、ただただ心配げな視線を向けてくる。
正直言ってかなり居心地が悪い。
そして極めつけが―――
「昌浩・・・・・・」
「はい・・・・・・」
「帰ったら説教な」
「・・・・・・・はい(泣)」
越影に静かに宣告され、昌浩はとうとう頭を垂れた。
や、確かに怒られるかなぁ〜とは思ったけどさ。でも、これってないよね?俺色々と頑張ったんだよ?!
言いたいことは山ほどにあるが、恐ろしいまでに綺麗な笑みを浮かべる兄貴分達に、正面から食って掛かるような命知らずな真似を昌浩はすることができなかった。
あぁ、漸く平和が戻ってきたな・・・と、明け始めた空を仰いで実感したのであった――――――。
※言い訳
お、終わった・・・。無理矢理に終わらせた感がありありと伝わる文章になってしまいましたが、とにかく終わらせることができました。うわっ!このお話の中では一番長いんじゃ・・・・・。
もう、ほんとごめんなさい!最後ギャグ落ちって・・・・;;翻羽とか越影とかキャラが大変なことに!散々シリアスな展開でやってきたのに、最後がこれって・・・・ねぇ?最終話を読んでがっかりされた方、ほんっとうに申し訳ありませんでした;;
2007/7/19 |