孤絶な桜の声を聴け〜捌〜

















滲み出る妖気。



発生源は血染め桜の木。



そして何故か桜の木は所々傷ついており、幹の硬い皮が剥げてその下の柔肌が見える。


「一体・・・・何があったんだ?」

「昌浩、よく見てみろ。目の前に犯人がいるだろーが」

「え?・・・・・あ・・・」


物の怪が視線を投げた先には一匹の妖がいた。

猫とも狐とも言いようがつかない姿をした妖。
薄茶色の毛並み。
尖った牙。
鋭く磨がれたような爪には木の皮がこびり付いており、その爪で目の前の桜の木を抉った事実を如実に示していた。

妖は金色の瞳を爛々と輝かせながら、目の前の桜の木を凝視している。


「あいつが桜の木をこんな風にしたのか?」

「だろうな。どう見てもそうとしか考えられないだろ」

「だが、理由がわからない」

「そうだね・・・・・あの妖、なんで桜の木に襲い掛かってるんだろう?」


妖の行動の動機が分からず、昌浩達は互いに視線を交わす。

と、そこで空気がざわりと動いた。

それに気づいた昌浩達は、改めて桜の木と妖へと視線を向ける。
攻撃の姿勢をとった妖は、そのまま桜の木へと踊りかかる。
危害を成す者の存在に気づいた桜の木は、己が身を守るためにその太い木の根で叩き伏せようとする。
なんとか懐に忍び込もうとする妖は、行く手を阻む根を邪魔だと言わんばかりに牙や爪で削り落とす。

徐々にだが傷を増やしていく桜の木から、段々と瘴気が立ち上ってくる。

その様子を見ていた昌浩は微かに訝しげに眉を顰めた。


「あの瘴気・・・・・なんかおかしくないか?」

「おかしいって・・・・何がだ?」


ぽつりと洩らされた昌浩の呟きを聞き取った物の怪が、怪訝そうにこちらを仰ぎ見てくる。
物問いたげな物の怪の視線に、昌浩は胸中に燻る違和感を言い表すのに適した言葉を探す。


「なんて言えばいいのかな?あの瘴気、桜の木が自分から発しているって言うよりは、抑えきれずに漏れてるって感じがする・・・・・・」

「漏れる・・・・・・?」

「つまりはあの木が自ら瘴気を抑えていると?」

「うん・・・・なんかそう感じた。いや、俺がそう思っただけだからね?」


本人もよくはわかっていないようで、些か自信なさげにそう言った。

昌浩の言葉を聞いた物の怪と六合は、改めて桜の木の様子を窺う。
牙や爪を突き立てられ、ぼろぼろな姿になっていく度に桜の木から発せられる瘴気が濃く強くなる。その様は確かに、自ら発しているというよりは堪えきれずに洩らしているという見方ができなくもない。

なるほどと頷く物の怪と六合。

ふいに風向きが変わる。

ザアァァッ!と一瞬強い風が吹いた。


「うわっぷ・・・・・何?」


昌浩は強い風に思わず眼を瞑った。
そして目を開けた次の瞬間には、目の前に淡い紅色の袿を纏った少女が立っていた。
巻き起こった風に、濃い茶色の髪がふわりと揺れる。

突然姿を現した少女に、物の怪と六合は反射的に身構える。
そんな物の怪達の態度など視界にも止めず、少女は昌浩へと視線をまっすぐ向ける。


「お願い・・・・・桜の木を守って・・・・・・」


淡い緑色の瞳に痛切な光を乗せ、少女はそう言葉を紡いだ。
その必死さは苦しげに歪められた表情がありありと告げていた。眼の下に落とされた暗い影に、少女の焦りと疲労が色濃く浮かび上がる。


「守るって・・・・・」

「今日なの!今日で最後・・・・・・満月が完全に満ちきれば、すべてが終わる・・・・・それまででいいの!守って!!!」

「すべてが終わる??」

「お願い、今は瘴気を抑えるので精一杯なの!守りまで手が回らない・・・・・・」


はっきり言えば少女の言っている言葉の意味が昌浩にはよくはわからない。
しかし、その必死さに突き動かされ、昌浩はこくりと頷いた。


「わかった・・・・あいつから桜の木を守ればいいんだね?」

「えぇ・・・・・ありがとう・・・・・・」


昌浩が諾の返事を返せば、少女はほっとしたように僅かに目元を緩ませた。
桜の木を守ることを承諾した昌浩は、未だ少女への警戒を怠っていない物の怪達に視線を向けた。


「―――というわけだから、取り敢えずあの妖を払おう」

「おいおい、昌浩くんや。俺はちっとも状況についていけないのだが?」

「俺だってよくはわからないよ!とにかく、話はあの妖を片付けてからゆっくりしよう・・・・・・いいよね?」


やや苛立ちながら物の怪にそう返事を返し、言葉の終わりに目の前に居る少女に確認をとる。
問いかけられた少女は黙って頷き、了承の意を告げる。


「・・・・・とにかく、あの妖を片付ければいいのだな?」

「そういうことっ・・・・・我が身は我にあらじ、神の御盾を翳すものなり!!」


飛び出した昌浩は桜の木と妖の間に滑り込み、呪言を放つ。
昌浩の目の前に眼には見えない盾が現れ、飛び掛ってきた妖を弾き飛ばす。

体勢を崩した妖に六合が槍ですかさず切り伏せ、人型へと姿を転じた紅蓮が炎蛇で締め上げる。
妖の耳を劈くような叫び声と、じゅうと音を立てて焼かれる肉の匂いが辺り一帯を埋め尽くす。


「臨める兵闘う者、皆陣列れて前に在り!――万魔拱服!!!」


止めと言わんばかりに昌浩から術が放たれる。
妖の体に無数の亀裂が生じ、跡形も無く消え去った。

辺り一帯に漂っていた妖気が霧散する。
桜の木から発されていた瘴気も、今は微量程にも感じられない。


「一応払ったけど・・・・これでいいの?」


昌浩は少女に視線を向け、そう問いかけた。
問われた少女は微かに息を吐きながら静かに頷いた。


「えぇ・・・・・ありがとう。助かりました」

「早速だけど・・・・話、聞かせて貰えるかな?」

「えぇ・・・・・・。まずは私の正体について教えるわ。私は・・・・・・あなた達が血染め桜と呼ぶ桜の木よ。精霊と言った方がわかりやすいかしら?」

「せい・・・れい?」

「そう、精霊。あなた達はどうしてこの桜の木の花が紅いのか知っているかしら・・・・・・?」


昌浩達に問い掛けながらも、少女は記憶の底を浚うように視線をどこか遠くへと向けた。






桜の木はかなりの昔からこの地で生きてきた。

御神木として扱われる木々たちも、長年を過ごしてきた大木が殆どである。
この桜の木も御神木とは呼ばれないものの、長い時を経てそれなりの霊性を持つようになった。
今でこそ血染め桜と呼ばれ奇異の眼で見られているが、この桜の木とて初めから紅い花など咲かせてはいなかったのだ。

事の起こりはこの地に人が住まうようになってからである。
平安京と呼ばれているこの地は、元々霊の集まりやすい場所であった。
この地に平安京を作った人間達は、都全体を覆う大きな結界を張った。それですべて問題なく済むと考えたのだろう。
しかし、人間というのは欲を持った生き物である。
結界を張ったことで霊は左程集まることは無くなったが、人間がもたらす恨みや妬み、憎しみなどの負の気が序々に溜まりだしたのである。
結界によって外へ流れ出ることも叶わず、負の気はその内に溜まっていくしかない。
行き場の無くした負の気は、やがて一箇所に集うようになる。


「この場所もそういった負の気が溜まりやすい場所なの」


そうして溜まった気は地の底へと沈む。一見消えてしまったように思えるが、潜伏しただけであって昇華されたわけではないのである。そしてまた負の気が溜まり、沈む。
その繰り返しだけが行われ、いつしかとても大きな気溜まりが出来上がった。

もちろん桜の木はそれを良しとはしなかった。

溜まった負の気を己に取り込み、浄化する。
徹底的に行う必要はない。ようは自分やこの地に害が及ばなければいいのだ。
そして桜の木は少しずつ浄化を行うようになった。その際にだ。花弁の色が薄紅から紅に変じたのは。
取り込んだ負の気が、色に変じて表面化したためだろう。


「それからよ。私が血染め桜と呼ばれるようになったのは・・・・・・」


そしてまた時が過ぎる。

紅い花を咲かせる桜の木は一人の幼い少女と出会う。
幼子は桜の木に無邪気に笑いかけて名を与えた。

慶びを招く桜という意味を込めて”慶桜”<けいおう>と。

日々瘴気の浄化に努めているにも関わらず、己の存在を疎んじる身勝手な人間達に愛想を尽かしかけていた桜の木は、その幼子に出会って再び活気を取り戻した。

幼子は生まれつき体が弱く、僅かな瘴気にも過敏に反応しよく体調を崩していた。
桜の木は今までにもまして瘴気の浄化に励んだ。幼子の健やかな成長を守るために―――。
だが、桜の木の願いも虚しく、子は若くしてその命の灯火を消し去った。十六年という短い月日であった。


「名は桜華。私に・・・・・桜の木にちなんで付けられた名前。そして私が今取っている姿が彼女が亡くなる直前、私が最後に見た姿」

「その姿が?」

「えぇ、これは彼女の姿を私が模しているだけよ」


桜の木が慈しんだ子は決して長くはない月日を精一杯生き、この世を去っていった。
桜の木にとっては瞬きにも等しいあっという間の日々を――――。


「あの子はよく言っていたわ。自分は体が弱くて外へ出ることができないけど、この庭が・・・・桜の木があるから外へ出ることが叶わなくとも寂しくはないとね・・・・・・・。だから私は決めた」


あの子の外の世界がこの庭だけだと言うのなら、己の全てを賭けて守り抜こうと。
あの子が愛し、慈しみ、それだけしか知ることが無かったこの庭をずっと残しておきたいと思った。

そう決心した桜の木は、徹底的にこの地に根付いた負の気の昇華に当たった。
それこそ全身全霊。己のすべてを賭して。
そして今日。満月が完全に満ちる時。その浄化は完了するのだ。


「今、桜の木自身には今までに溜まりに溜まった負の気が凝縮されているわ。さっきの妖はその気に惹かれてやって来たみたい。でも、今の私は負の気を浄化することで手一杯だったからあなた達にあの妖を何とかして貰おうと思ってお願いしたの」

そこまで話を聞いた昌浩は、はっと何かに気づいたように眼を見開いた。


「じゃあ、昨日聞こえた声は・・・・・・・・」


”―――――を・・・・・・・まで・・・・ま・・って・・・・・・・"


「そう、『桜の木を月が満ちるまで守って』って言ったの。どうやらちゃんと声は届いていたようね・・・・・・」

「うん・・・・はっきりとは聞き取れなかったけど、ちゃんと聞こえてたよ」

「昌浩、お前そんな事いつあったんだ、いつ!俺は聞いてない!!」

「当たり前じゃん!俺、もっくんにそんなこと言った覚えないし・・・・・」

「・・・・・・・・・」


一体どういうことだと物の怪が恨めしげに視線を寄越してくるが、昌浩はしれっとした態度を崩さずにそう答えた。


「くすくすくす。・・・・・・・あぁ、もう月が完全に満ちるわね・・・・・・・」


昌浩と物の怪の遣り取りを見て笑っていた桜の木の精は、ふと空を見上げてそう言った。
その言葉に釣られて昌浩達も空へと視線を向ける。

宵闇の帳が下りた空には、蒼白く冴え冴えとした光を放つ完全な円を描いた月が浮かんでいた。


「最後にもう一つ。お願いを聞いてくれないかしら?」

「・・・・なに?」


空へ視線を向けていた精霊は徐に昌浩へと視線を戻し、そう言った。
その声に昌浩も視線を天から地へと戻す。


「血染め桜の最期。見ていて欲しいの・・・・・」

「最期って・・・・・・・」

「言ったでしょ?全身全霊を賭けてってね・・・・・・私は私という存在を賭けてこの地に染み付いた負の気を完全に浄化するわ」

「・・・・・・わかった。最後まで見守ってるよ”慶桜”」

「―――っ!!?」


昌浩の口から不意に零れた嘗て呼ばれていた己の名に、桜の精霊・・・いや、慶桜は息を呑んだ。


「なんで・・・・・・」

「だって、君にはちゃんと”慶桜”っていう名前があるんでしょ?血染め桜なんて名前なんかより何十倍もいい名前だと、俺は思うけど?」


軽く首を傾げて、昌浩は何てことはないと言ってのけた。
そんな昌浩に、慶桜は目許を綻ばせて綺麗な微笑を浮かべた。


「そう・・・・・そうね。えぇ、私の名はけいおう・・・慶桜よ。せめてあなた達だけでも、覚えていてはくれないかしら?血染め桜と呼ばれていた桜の本当の”名”を」

「うん、もちろん。覚えてるから・・・・・」

「まぁ、いいさ」

「あぁ、覚えていよう」


しっかりと返事を返した三人に、慶桜は心から笑みを浮かべた。


「ありがとう・・・・・・」


その姿が空気へと溶け込む。

と同時に強い風が吹き、桜の花弁を枝より連れ去る。


ザアァァァァッ!!


紅の花弁が漆黒の闇に舞い上がる。

無数の花弁が空気中を舞い踊り、花吹雪と化す。

蒼白い月の光を受けて紅の花弁は仄白く輝いたり、紫にも似た彩を帯びたりなど、その姿を様々に変える。


「・・・・・・綺麗だね・・・・・・」

「そうだな・・・・・・・・」

「あぁ・・・・・・・」


やがて花弁はすべて木の枝から離れ去り、後には丸裸な桜の木が残った。


ビキッ!バキバキッ、バリッバリン!!!ズウゥゥゥン!!!!!


花が完全に散り去った桜の木の幹に無数のひびが生じたかと思った次の瞬間、桜の木はひび割れて地に倒れ伏した。
そして塵に変じたかと思うと、その塵も風に乗り霧散した。

桜の木が立っていた場所には桜の木が立っていた痕跡など、何一つ残されていなかった。いや・・・・・・。


「!もっくん、六合、これ・・・・・・・」

「あ?一体どうし・・・・芽?」

「そのようだな・・・・・・・・」


木が立っていた場所を見つめていた昌浩はあるものに気づき、声を上げる。

昌浩の示した場所には、ほんの小さな芽が土から顔を出していたのだ。

昌浩はその芽を見つけ、目を輝かせた。
物の怪と六合はそんな昌浩を見て顔を綻ばせた。






命は繋いでゆくもの。
繋がっていくもの。






桜の木もまた、新たな命を繋いでいく。






「また、大きく育つといいね」

「そうだな」

「大丈夫だ。きっと育つ」






三人はそれぞれ顔を見合わせ、誰ともなしに笑みを浮かべた。







生まれたばかりの若い桜の木はまた大きく育ち、この地を守っていくのだろう。


何十年も、何百年もの先などわからないが、そう思いたい。


孤絶な桜はもう孤独ではなくなった。









「あなたの名前は<けいおう>ね―――!」









想いは刻を巡る。








いつか再び巡り合うその時まで――――――――。

















                         

※言い訳
はい!孤絶な桜の声を聴け、完結いたしましたぁ〜!!(パチパチ)
話を詰め込んだので、今回はやや長めの文になりました。
なんか戦闘シーンが少ないって?すみません。このお話は当初からの予定でも戦闘シーンは殆どないに等しい文章だったので。昌浩がボロボロになったりはしませんでした。
ただとっしーと夜警をする昌浩を書きたかったがために書かれたお話です。(なんじゃそりゃ)
次の長編は昌浩にボロボロになって貰いたいなぁ〜(決していじめたいわけではありませんよ?)
一年以上のお付き合い、ありがとうございました。

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2006/6/10