心というのは脆く、壊れやすいものだ。









防御する術を剥ぎ取るとあっさりと壊れる。









その強さを誇るのは支える何かがあってこそなのだ。









ならば、その支える何かを取ってしまえばいい。









そうすれば簡単に手に入るのだから―――――――――。















沈滞の消光を呼び覚ませ〜弐拾壱〜
















己を真っ直ぐと見返してくる子ども。
その瞳に僅かな揺らぎも存在しない。

ふと、悪戯心が首を擡げる。
その瞳を猜疑心と絶望へと塗り替えたのなら、この子どもは一体どんな反応をするのだろうか。

子どもは優しさを通り越していっそ愚かだ。
人を嫌うという行為をしない。
いくら己が理不尽な目に合おうとも、苦々しい思いこそ抱けども、それら達に怒りや憎しみの感情を抱くことはなかった。
欠落しているのではないかと思えるほどに、子どもは憎悪や恨みなどという感情を生み出すことは無かった。
彼を取り巻く環境が故意にそう作ったのか、はたまた偶然の産物なのかは知らないが、随分と純粋なものに育ったものだ。

そこまで考えて、九尾は内心で笑いを零した。

ならばその純粋さを刈り取ってくれよう。
純粋さなどというものは、それを保ち続けることは酷く困難であるが、失うことなど一瞬で十分だ。
白は他の色に染まり易い。されど染まった色から元の白さに戻ることはできない。
刈り取られた純粋さのところに、再び純粋さが芽吹くことは決してないのだ。


「子よ。お前が我の言を頑ななに否定するのは、対象者達について少なからず知りえるところがあるからであろう?何も知らぬ赤の他人を同じように擁護することはできない。違うか?」


何も知らないのに、知った風な口は聞けぬからな・・・・・・。

九尾は正論を紡ぐ。
いきなり話し出す九尾に昌浩は胡乱げに思うが、言っていることは事実に変わりないので頷いた。


「うん、そうだね。俺はじい様達のことを知っている。全部なんては言えないけど、知ってるから貴方の言葉をはっきりと否定できる・・・・・・・」

「そうであろう?己が付き合いを重ねて築いてきたその人の在り様の見方と、他者から言われたことに相違が見られれば、己の判断基準を持って肯定も否定もできる。しかし全く知ることのない相手について何かを言われたところで、知らぬことなのだから判断のつけようがない。未知なるものの良し悪しなど、実際に触れてみなければわからぬのだからな・・・・・・・・・・・・」

「そうだけど・・・・・・・・」

「では、知らぬものを外側から見ればそれは第三者の視点となる。当事者達はその内情を把握しているが、知らぬ者たちから見ればまた異なったものに見えよう。一つのものは、それを見る立場の者達によって千差万別に受け取られるものだ。当事者にとってそれが良かれとしたことが、一方では悪しきこととして捉えられてしまうことなどざらであろう?それは一人一人が個として存在している限り、絶対に避けられぬことだ」


九尾はやけに饒舌に言葉を紡いでいく。
昌浩は九尾の言いたいことがわからず、微かに眉を寄せた。


「・・・・・・・それを俺に語り聞かせることに、一体何の意味があるんだ?」

「あぁ、随分と長々に話してしまったな。我が言いたいことを要約すると、子の言い分も所詮は主観の混じった言葉でしかないということだ」

「主観が混じっているのは当然じゃないのか?俺は俺が思ったことを言ってるんだから」

「そうだ。だが、それでは説得力に欠けるのだよ。主観が混じるということは、私情も混じるということだ。それは真実にあらず、お前がそうであって欲しいという願望に過ぎない」

「だから俺の言うことは真実味が薄いって言うのか?だったら、どんな人達の言葉も同じ真実味の薄いものとしか言えなくなってしまう。自分自身の見たこと、感じたことが全てだし、第三者の視点なんて他人が見て初めてそうだって言えるものなんだから・・・・・・・・。自分自身は主観しか持ちようがないじゃないか」


あまりにも無謀なことを言い出す九尾に、昌浩は反論する。
九尾もそれを承知しているのか、同意するように一つ頷いた。


「然り。第三者視点とは己以外の視点で己を見て初めてそれだといえる。しかし子も今言ったように、己のことなど己の視点でしか見ることができない。他者がそれを見てどのように思っているのかなど、知りようはずもないからな・・・・・・・」

「なら、言い分に主観が・・・・なんて、結局のところ水掛け論にしかならない。貴方の言い分は自分が自分自身を第三者として見ることができなければ、決して成立しないものだ」

「そうだな。そう・・・・・・・そのとおりだよ、子よ・・・・・・・」


と、そこで急に九尾が笑い出した。
さも思い通りにことが進んだので、愉快で仕方ないとでもいうように・・・・・・。

急に笑い出した九尾を、昌浩は怪訝そうに見遣る。

一体、何がそんなに可笑しいのだろうか?


「確かに我の言い分は、己を己が他者の視点で見ることが叶わなければ成立しない。・・・・・・・・では、それが可能だとすればお前はどうする?」

「なっ・・・・・?!」


そんなばかな。
例え己が二人に分かれることができて、片方の己が第三者の立場としてもう一方の己の遣り取りを見ても、その根本は同じであるのだから決して第三者の視点として捉える事はできない。そうであっても主観なのだ。
そんな無理な話、どうして可能だと言えよう。


「簡単なことよ。主観をなくせばいいのだ」

「何言って・・・・・・・そんなことできるはずがないじゃないか」

「普通ならば、な・・・・・・・・・」

「普通ならって、普通じゃなきゃ可能だって言うのか?!」

「そのとおりだよ、子よ」


とうとう核心まで迫ったことに、九尾は愉しそうに笑みを浮かべた。
その金の瞳が燦然と輝く。

昌浩はそこで漸く気がつく。
九尾はこのことが言いたかったがために、あの長ったらしい論弁をしたのだと・・・・・・。


が、すでに遅い。


九尾は無情にも言の葉を紡いだ。





「子よ。己を忘れ、他者を忘れ、今一度己が記憶を顧みよ――――」





瞬間。

昌浩の世界が全て白に染まった。






昌浩の瞳から光が消え、その瞳孔が拡散する。

ふらりと前方へ傾いだその体を、九尾は抱きとめた。





「もし、己を失くして尚記憶の中のあ奴らに心を寄せられたなら、いっそ痛みを感じぬ間にその身を食ろうてやろうぞ―――――――」





それが我がしてやれる最大の慈悲だ。

九尾は静かに目を伏せた―――――――。














カーン。カーン・・・・


どこか遠くで何かを打ち付ける音が響く。
その音が聞こえてくる度に、小刻みに体が震えた。
その音が何を意味するのかを、幼いながらに知っていた。

あれは呪う音。怨嗟と憎悪に塗れた、負の塊。

イヤダ、ココニイタクナイ!

目に映るのは混沌とした闇。
無音の世界。
風の吹き抜ける音も、木の葉の掠れる音も、生命の息吹も・・・・何もかもが聞こえない。
ただ、妄執のおどろおどろしい叫びのみがこの鼓膜を支配する。

直ぐにでもこの場から逃げ出したいのに、体は木の幹に縛り付けられて身動きを封じられている。
誰かを呪う声を遮断するために、手で耳を塞ぐことさえ叶わない。

コワイ。
オソロシイ。
キキタクナイ。

心が恐怖に泣き叫ぶ。

カナラズムカエニイクカラッテイッタ。
ドウシテムカエニキテクレナイノ?
ドウシテ?
ドウシテオイテイッタノ?―――ッ!!












目の前に立ちはだかる異国の妖。

自分は少女に掛けられた呪いを肩代わりする。
どうしてそんなことをしようと思い立ったのかは思い出すことができない・・・・・・。
身の内を呪詛が這いずり回る。

イタイ・・・・。

何日も呪詛を引き受けた身で、何でもないように振舞う。

ナゼ、コンナコトヲシナケレバナラナイ?

日を追うごとに、呪詛は己の霊力を削り取っていく。

クルシイ。
ツライ。
ドウシテジブンハタエテルノ?










段々と険しい顔つきになっていく人達。
長期の休みを取るごとに、その目は冷たさと険を孕んでいく。

シカタノナイコトナノニ。

ちくちくと嫌味を言われる日々を過ごす。
とうとう言われてしまった。―――の七光りのくせに、と。

ソンナツモリ、ナイノニ。

気にしない、堪えてないように振舞う。
周りの視線がいくら痛いものであろうとも、仕様がないのだと諦める。
自分だってそうされたならと、自分を諌める。

シラナイクセニ。
キヅカナイクセニ。
ヒトヲキュウダンスルコトダケイチニンマエ。
ダレモ、リカイシテナドクレナイ。









走り抜ける衝撃。
熱を孕む腹。
口と、熱を孕んだ場所から零れていく温かい液体。

アツイ。

遠のく意識。
灼熱は激痛へと転じる。

イタイ。
イタイ、イタイ、イタイッ!!!
ナンデコンナコトニナッタ?









襲い来る灼熱。
手に持った太刀でそれらを打ち払う。
温度だけでも空気は己の肌を焼こうとする。
ヒリヒリする肌の痛みを意識の外へ追いやる。

アツイ。

言霊が完成し、肌を焼き付けていた炎が散じる。
己は太刀をしっかりと持ち直して大きく一歩を踏み出す。

イヤダ。
コレカラサキノコトヲヤリタクナイ!

悲鳴を上げる心とはよそに、体はその目的に沿って動く。
――確かな手応え。
己の目には確かに深々と突き立てられた太刀が見えた。

サシタ?
ドウシテジブンハコロソウトシテル?
コノテニツタウアタタカナミズハ、ナニ?

首を締め上げられながらも、己は必死に言の葉を紡ぎだす。
少ない空気で咽喉を振動させる。
術が完成し、太刀で貫いた体は中身の無い空の器と化す。
自分はそれに手を伸ばす。

ツメタイ。
ウゴカナイ。
コロシタ。
コロシテシマッタ。
ドウシテコンナコトヲシナケレバナラナカッタノ?
テニツイタアカ。
ツミビト。
コロシ・・・・ァ、アァァッッ!!!








自分の魂と引き換えに取り戻した命。
己を忘れた存在。
凍るる瞳が拒絶を示す。

イタイ。
サミシイ。
ドウシテ、フリムイテクレナイノ?

気安く名を呼ぶなと言われた。
苛烈な怒りを宿した瞳が己の心を打ち壊す。

ナヲヨブコトサエユルサレナイ。
ココロガヒエテイク。
オイテイカナイデ。
シカイガキエテイク。
クライ。
イッタイナンノタメニ、トリモドシタ?
ソンナメデミナイデ。
サミシイ。
フリカエッテ。
ヒトリニ、シナイデ。

イヤダ・・・。



イヤダ。



イヤダ。



イヤダ。



イヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダッ!



イヤダ!!













―――だれか、たすけて。











カシャン・・・・・。

その瞬間。
確実に何かが壊れた。












「泣くな、子よ―――」


目覚めればその哀しさからも解放されるから。

九尾は子どもの頬を伝う透明な雫をその手で掬う。
しかし、透明な雫は次から次へと零れ落ちてくる。
その頬が乾くことはない。

大丈夫。

次に目覚めたときには、その頬が濡れた理由など全て忘れ去っているから・・・・・・・。















星が消えた。








その場所に新たな星が生まれた。







そのことに気がついた者は、まだ、いない――――――――。
















                        

※言い訳
ついにやってしまったぁーっ!昌浩精・神・破・綻!!!
書いてて本当に楽しかったです♪(酷)え?いえ、昌浩とっても大好きですよ??ただ、虐められる姿に萌えるだけで・・・・・(何言ってるのコノ子)
九尾はもう、思い通りに弄くってますね。だって、どうして昌浩が彰子の呪詛を引き受けたのか、そこの理由あたりとか意図的に隠してるんですよ?ただただ辛い記憶だけ見せて、楽しかったこととか嬉しい時の記憶なんかひとっっつも見せません。苦しいことの後にあった楽しいことなんか、ご都合主義で切り捨てちゃってます☆あ〜、この時間軸でのお話はこれで終わります。本編の方はこの時より数年経過しています。(ぇ)まぁ、無茶苦茶な設定ですけど、それでもよい方は今後ともお付き合いください。

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2006/9/9