ギラリと輝く双眸。
鹿とも馬とも称しにくい姿。
蹄は威嚇するように地を掻く。
甲高い嘶きが空気を振るわせた。
「ひっ!」
年若い陰陽生は咽喉を引き攣らせて、短く悲鳴を上げた。
彼は今だ片手に満たないくらいの回数しか、妖の調伏を行ったことがない。
しかも調伏した妖はどれも小物で、先輩の陰陽生もすぐ傍についていたので楽に退治することができた。
はっきり言おう。彼はまだ新米の駆け出し陰陽生である。
故に経験を積んだものから見ればちょっと手応えがあるやつ程度の妖も、立ち向かい難い強敵として目に映るのであった。
そんな未熟者の陰陽生が偶然一人の時に妖と遭遇してしまったらどうなるか?
答え、体が竦んで身動きが取れなくなる。
足の裏は地に根付いたように張り付いたままで、体全体も血の気が下がったように冷えて震えている。
呼吸は乱れ、忙しなく繰り返される。
つぅ・・・・っと冷たい汗が頬を伝い落ちる。
動きの見せない相手を見、妖は瞬発的に襲い掛かった。
ダンッ!
地面を踏み切る音が闇に木霊する。
高らかに跳躍した妖は、そのままの勢いで標的に突っ込んだ。
凍り付いていた新米陰陽生は、はっと正気づくとギリギリのところで横へ飛び退いた。
直後―――
ドゴオァッッ!!!
轟音と共に地が割れ、抉られる。
「―――あ、・・・ぁ・・・・・」
新米陰陽生は地面に尻餅をついたまま、言葉にならない声を漏らした。
妖は腰が抜けて動くことができない相手を、今度こそはとしっかり狙い定める。
そして正に襲い掛かろうとしたその瞬間
「オン、アビラウンキャン、シャラクタン――――降伏!!」
詠唱と共に何処からともなく凄絶な霊力が妖へと放たれた。
瞬く間に妖は跡形もなく消し去られた。
新米陰陽生は、その様を呆然と見ていた。
しかし、すぐに誰か助けてくれたものがいたことに気づき、詠唱の声が聞こえてきた方向へ視線を向ける。
そしてその人物は少し先にある辻角に立っていた。
いや、辻角に消える瞬間であった。
ふぁさりと闇に溶け込みそうな宵闇の衣で顔全体を覆っている。
その衣から見え隠れする口元が笑んでいたことだけが、僅かに窺い知れた。
そしてその人物は引き止める間もなく、角の向こう側へと消えていってしまった。
新米陰陽生は萎えた腰と膝を叱咤して急いで立ち上がり、慌てて角を曲がった先を見遣ったがその人物は忽然と姿を消していたのだった。
その人物がいた残り香など、その先の暗い大路からは見出すことができなかった―――――――。
* * *
「おい、聞いたか?また例の人物が現れたらしいぞ」
「なに、それは本当か?」
「あぁ。昨晩運悪く妖と遭遇した若い陰陽生がいてな、その時に現れたらしい・・・・・・・」
「その証言は例の人物と一致していたのか?」
「そりゃあ、顔を覆う宵闇の衣という証言で十分だろう?”宵の術者”は」
「確かに。その特徴さえ一致すれば、十分だな・・・・・・・・・・」
などという会話が、今朝から色んな場所で様々な人達が交わしていた。
”宵の術者”。
これが最近、彼らにとっての一番の話題である。
正体不明の謎の術者で、その顔全体を覆う宵闇色の衣が特徴的なことから彼らはそう呼んでいるのだ。他の意味としては宵の時刻にしか現れないというのもある。
もちろん、顔は隠されているのでその素性は窺い知ることができず、男か女かすらわからない。
妖に襲われて危機一髪の時に何故か現れ、あっという間に去っていってしまう。
彼の人物に助けてもらった者が何人かおり、それがいつの間にか話題の種として扱われるようになったのであった。
まぁ、正体不明という点で彼らの興味を引いてしまったのだろう。
「これで三度目か・・・・・・」
「そうだな。回数はそう多くないが、こうも影をちらつかせられると気になるな」
「一体誰なんだろうな、”宵の術者”は・・・・・」
「まぁ、一部では一般の陰陽師だとは言われているがな」
「でも、普通に市民として生活を送っている陰陽師達に、そんな名のある陰陽師なんていたか?」
「さぁな。俺は知らないよ」
”宵の術者”
彼は一体何者なのか。
彼らの好奇心は尽きない――――――――。
※言い訳
そいういわけで、昌浩の才能が陰陽寮の人たちにバレる(長編小説)シリアス気味。という内容のお話の一話目を書き上げました。ちなみに、このお話は月の夜更様のみお持ち帰りができます。
今回は序章っぽい文になってしまったので、少しだけ短めのお話になりました。
2006/9/10
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