闇夜に大きく広げられた翼。









忘れもしないその姿。









同胞達を、郷を赤色に沈めたその根源。









目を閉じれば瞼の裏に蘇る仲間の無残な亡骸。









そう、全てはあの日から狂い始めた――――――――。

















天馬の嘶きは天に響く〜肆〜


















『ようこそ、贄の娘よ』




門の向こう側に立っていた妖は、口元に満面の笑みを乗せて少女を出迎える。




『晴明、彰子姫がいないわ!』




少女の不在を、血相を変えて部屋へと飛び込んできた幼き神将が告げた。




『我が主の言伝をお持ちしました』




少女を返して欲しくば・・・・と、その手は静かに東方に位置する山を指し示した。




『大文字山、か・・・・・・・』




そこが、決戦の地―――――――――。










大文字山の付近。木々の連なる峰の一角に、鳴蛇は佇んでいた。

星一つ見えない曇天を仰いでいた鳴蛇は、ついと視線を足元へと落とした。
彼の妖の視線の先には、木の根元で小さく蹲っている少女がいた。


『・・・・・・さて、方士はなんとしてもここまでやってくるでしょう。そうなれば、あなたは用済み』


木の根に背を押し付けて蹲っていた彰子は、鳴蛇の言葉にぴくりと肩を揺らした。


「・・・・・っ・・・・・・」


喉から迸りそうになる悲鳴を、必死に押し殺す。
鳴蛇はそんな彰子の様子を、愉しげに見ていた。
彰子はそれを見てさらに体を強張らせる。

しばらくの間そうして彰子の様子を眺めていた鳴蛇であったが、徐に彰子の傍へとやって来るとその顔をずいと彰子へ近づけた。
人の瞳にはあらざる、縦に細長く走る瞳が間近に見えた。

ひやりと、鳴蛇の温もりを感じさせない冷え冷えとした手が、彰子の首へとかかる。


『あなたはあの窮奇が欲した贄だそうですね。主の為にここまで尽力を尽くしたのです。あなたの肉の一欠片、血の数滴を私が褒美にいただくのは、理に適ったことだと思いませんか?』


鳴蛇の薄く割れた唇の奥に、二股に割れた細い舌がちろちろと覗いた。
彰子は目の前の妖の言いたい事を理解し、その瞳を凍りつかせた。


『どんな味なのでしょうねぇ、あなたの肉は、血は。今から楽しみで仕方がない・・・・・』


鳴蛇は何れ味わうであろう極上の味に思いを馳せ、うっとりと笑みを浮かべた。
至近距離で、生臭い吐息がかかる。彰子は思わず顔を背けた。


「・・・・・晴明、さま・・・・・・・」


刹那。
風が唸り、二つの影が飛来した。
鳴蛇ははっと顔を上げ、忌々しげに舌打ちをした。


『天馬・・・・・・・!』


目を見開いた彰子が視線を走らせる。
闇の中で、何も見えないはずなのに。彰子の目には鳴蛇が天馬と呼んだ二頭の妖がはっきりと映った。
漆黒の天馬が降り立つと共に転身し、鳴蛇に踊りかかる。


『踰輝(ゆき)に手を出すな・・・・・!』


迸る妖力が鳴蛇を吹き飛ばしたかに見えた。が、鳴蛇は中空で身体を回転させ、滞空したまま天馬達を見下ろした。


「踰輝、そこにいるのか?・・・・・・・・・!違う、踰輝じゃない・・・・・・・」


漆黒の天馬が転身した青年―――越影(えつえい)は、暗がりの中踰輝だと思って駆けつけた少女が踰輝本人ではないことに気がつき、落胆に声を沈ませた。
越影の言葉を聞いた純白の天馬が転身した青年―――翻羽(ほんう)も、僅かながらに期待をのせて輝かせていた瞳を悄然と閉ざした。
人違いであったことに気づいた二人の天馬は、改めて鳴蛇へと向き直る。


「踰輝を、踰輝をどこへやった・・・・・・・!」

『しつこいですねぇ。そんなにあのか弱き天馬が大事ですか?』

「当たり前だ!俺に・・・・俺達にとって踰輝は掛け替えのない存在なのだからな!!」


轟と、翻羽の叫び声と共に風が縦横無尽に吹き荒れる。
苛立ちも顕に睨み付けてくる天馬達に、鳴蛇は嘲るような笑みを笑い返した。


「くす・・・。そういきり立たないでください。ほら、あなた達が求めて止まない天馬はあちらにいますよ」


ついと鳴蛇が指差した先には、動きを見せるわけでもなくただ立ち尽くしている天馬の少女がいた。
その姿を目に入れた二人の天馬は、後先構わずに少女へと駆け寄った。
二人が少女のもとへ駆けつける時に、鳴蛇が冷笑を浮かべたことにも気づかずに―――。





『・・・・・・・・目障りな、天馬ども』





ふいに、佇む少女の背後にある闇が膨れ上がった。
それが何であるのか察した瞬間、翻羽と越影は激情のままに叫んだ。


「貴様、嶺奇――――――!」


瞬間、闇が一気に拡散する。そしてそこから現れたのは、強大な妖気をその身に纏った虎の四肢に大鷲の翼を具えた異邦の大妖であった。
その姿に、嫌なほど覚えがあった。その妖は、己の身に瘴気を深く刻み込んだ。
言葉に表せない衝撃が、背中を駆け下りていく。
戦慄に囚われた彰子の、蒼白になった面持ちを眺めやり、大妖は地を這うような声を発した。


『娘・・・、恐ろしいか・・・・・・』


鋭い牙が覗くその口を歪め、彼の大妖は嗤った。


「・・・・・窮奇・・・・どう・・して・・・・・・」


息も絶え絶えに呟く彰子に、少し離れた所に立っていた越影が答えた。


「あれは、窮奇ではない。窮奇と血を分けた化け物、嶺奇だ」

「・・・・・嶺、奇・・・・・」


彰子は青年の言葉を反芻する。
硬い表情で己を見返してくる娘と、憎悪も顕に睨み付けてくる天馬達を見で、嶺奇は低く哂った。


『生憎、今の我には以前ほどの力はない。何せあの忌々しい同胞(はらから)に先日まで大岩に封じられていたのでなぁ。ちょうどいい、天馬、そして娘よ!我が糧となってもらおう!』


嶺奇の唸りが闇に轟く。それまで抑えられていた妖力が一気に爆発した。
荒れ狂う風が、その場にいた者達全員に襲い掛かる。


『人間など後でいくらでも殺せる。まずは天馬、貴様から喰ろうてやろう!』

「くっ―――!」


強大な妖力が、目標と定められた越影へと目掛けて放たれる。
あまりにも強すぎるそれに、越影は耐え切ることができずに後方へと弾き飛ばされる。


「越影!」


翻羽が越影の許へと向かおうとするのを、鳴蛇が行く手を阻んだ。


『嶺奇様の邪魔はさせませんよ!死になさい、天馬!』


鳴蛇の妖気が飛礫となって翻羽に襲い掛かる。身に纏う衣が裂け、見る間に赤い飛沫が散り始めた。


「くそ・・・っ、一族の・・・・仇め・・・・・!」


平和に暮らしていた天馬達を、窮奇と嶺奇が滅ぼした。鳴蛇のこの技で全身蜂の巣のようになって倒れていった仲間達の姿が目の奥に焼きついている。


『脆弱な天馬。だが、妖力は強く、肉の味もいい。嶺奇様だけでなく、我らも存分に堪能させていただきましたよ』


翻羽と、嶺奇の攻撃を必死で防いでいた越影は、愕然と己の目を瞠った。
急襲されて以来、二人は一度も郷には戻っていない。それでも、いつの日にかは同胞達の亡骸を葬ってやらなければと思っていた。
翻羽の瞳が、嫌過ぎる予感に震える。いや、それはもう確信に近かった。


「まさか・・・・・みんな・・・・・」


鳴蛇の二股の細い舌が、過去に味わった味を思い出すかのように青白い唇を舐めた。


『残るは貴様達だけよ・・・・!』


嶺奇の咆哮が天地に響き渡る。激しい妖気の嵐が、半ば放心状態の翻羽を撥ね飛ばした。


「翻羽!」


越影の気が一瞬逸れる。その隙を逃すものかと、嶺奇は突進してきた。
すぐに逸れた意識を元に戻した越影であったが、大妖との距離は回避するにはもう十分過ぎるほどに手遅れのものであった。


「くっ・・・!」


眼前へと押し迫ってくる巨大な体躯に、越影は心を決めて己から飛び込んだ。


「っ、越影!」


予想だにしなかった越影の行動に、翻羽は驚きと焦燥に叫び声を上げた。が、それももう遅い。
無慈悲にも、二つの影が交差した。


「うっ・・・・・ぐっ、ぁ・・・・・!」

『グ、ガアァァァァァァッ!!!』


暗闇の目にもはっきりと映る、飛び散る鮮血。
越影は呻き声を、そして嶺奇は苦悶の絶叫を上げた。

鮮血の出所は二ヶ所。
一つは越影の肩から。嶺奇の四肢に具わっている鋭い鉤爪が、その場所を抉っていたのだ。
そしてもう一つは嶺奇の両目から。越影が己の妖力で作り出した鋭い刃に、その目は奥まで深く切り刻まれていたのだ。


『嶺奇様・・・・・!』

『ウグッ・・・・おのれぇ天馬め!よくも我が目をっ・・・・・・!』


真っ赤に染まり上がった視界で、嶺奇は目の前にいるであろう天馬を睨みつけた。


『くっ・・・・・致し方あるまい。傀儡よ!娘をこちらへ連れて来い。こうなればその娘から喰ろうてやる!』


嶺奇は一旦その場から飛び退いた後、やや余裕を欠いた声でそう命令を告げた。
その声に反応を示したのは、それまでぴくりとも動きを見せなかった天馬の少女。
そのことに気がついた越影は、少女―――踰輝へと向けて声を張り上げた。


「踰輝、踰輝っ!」


しかし踰輝は越影の声には反応を示さず、ただ黙然と地面に座り込んでいる彰子へと近寄った。そして有無を言わさずに彰子を引きずり立たせて、嶺奇の許へと引き返した。
近づけば近づくほどに濃厚になっていく妖気に、彰子は苦しげに呼吸をする。
踰輝はそんな彰子に構うことなく、己に命じられたことを従順にこなす。

越影は追った怪我ですぐに動くことはできず、翻羽もまた目の前を阻む鳴蛇によって身動きをとることができない。
己の許へと近づいてくる娘に、嶺奇はその口元に歪んだ笑みを浮かべた。


『そうだ。その娘を我の許へ――――』








「駄目だよ、踰輝」








場に釣り合わない、穏やかな声が嶺奇の言葉を遮った。
瞬間、その場を支配する空気の色が変わった。
何事かと訝しむ間もなく、それは起こった。










鮮烈な力を放った刃が、鎖に囚われし天馬の胸を貫いた――――――――。














                        

※言い訳
ぐっ、また昌浩の出番がなかった・・・・・。あ、このお話では、彰子の魂の色が踰輝のに似ている云々というのは無しになります。だって、踰輝は生きていますしね。越影、嶺奇に手傷を負わせるとはなかなかやるなぁ。(自分で書いたんだろうが!)次回、漸く昌浩と翻羽達が再会します。これまで彼らの間で一度も会話がなかったことに驚き・・・・・。



2007/7/17