切実に訴えかけてくる姿なき声。









唯一その声を聞くことができる少年は闇の中を彷徨う。









声の主はただ願うだけ。









孤絶な魂の救済を―――――――。















水鏡に響く鎮魂歌―拾伍―
















冷たい闇の中に漂う意識。


五感がすべて封じられたかのように何も感じることはない。


あの人は自分に帰るように言っていたが、困ったことに帰り方がわからない。いや、見失ってしまったという方が正しいかもしれない。
確かに先程までは”こうすれば帰ることができる”という漠然とした感覚があったのだが、今はそれがない。
意識が途切れている間に”道”から外れてしまったようだ。


どうしよう・・・・・・・・どうすれば帰ることができる?


帰ろうにも帰り方がわからず、途方に暮れる。
――――とその時、雫が水面を叩く微かな音が耳朶を掠めた。


―――水?こんなところに??


疑問に思いつつも、音が聞こえてきた方へ視線を向ける。
視線を向けた先―――やはり闇に包まれて何も見えないが、今まで気づかなかった水気が確かに漂ってきているのがわかった。


ここで右往左往しているよりましか・・・・・・・・・・


そう考え、水の気配が漂ってくる方へ足を進めた。





                       *    *    *





一方、朝を迎えた安倍邸ではちょっとした騒ぎが起こっていた。


朝になり、そろそろ起きなければならないという時間になっても起きる気配のない昌浩を怪訝に思い、物の怪は起きるよう呼び掛けたのだが目を覚ます気配がない。
最初は怪我の影響で起きるのが遅いと思っていた物の怪だが、いつになっても起きる素振りの見せない昌浩に不安を募らせる。
これはおかしいと焦る心を抑えつつ物の怪は何度か呼び掛けたが、昌浩は何も反応を返さない。
眠り続ける昌浩と途方に暮れている物の怪のところに、様子を見に来た晴明がちょうど訪れた。


「―――紅蓮?どうしたのじゃ、何かあったのか??」


未だ眠っている昌浩はともかく、不自然に固まっている物の怪を不思議に思い問い掛ける。
問い掛けられた物の怪は緩慢な動作で晴明を仰ぎ見、ひどく無機質な声でぽつりと呟いた。


「晴明・・・・・昌浩が目を覚まさない」

「・・・・・何じゃと?」


物の怪の言葉を聞き、晴明は改めて自分の末孫に視線を向ける。
そしてすぐに何かに気づき、眼を瞠る。


「――――!これは・・・・・・・・」

「っ!晴明!一体何が・・・・・・・・昌浩はどうなっ!!?」


昌浩を見て驚きを顕にする晴明に、物の怪は心配の臨界点をついに越えてしまった。
焦る内心を隠さず、自分よりも状況を理解しているらしい晴明に詰め寄る。

「(はぁ・・・・・)――――紅蓮や・・・・・ちと落ち着け。そう焦っては大事な言葉も聞き逃すぞ」

「うっ・・・・・・・・だがっ!だが昌浩が・・・・・・・・・」

「だから落ち着けと言うとるじゃろうに・・・・・・」


全く、昌浩のことになると途端に冷静さをなくしおって・・・・・・・・。

呆れたように溜息を吐きつつ晴明にそう言われて、物の怪は漸く落ち着きを取り戻す。
肩に入っていた力を抜き、溜めていた息をゆっくりと吐き出す。


「・・・・・・・・すまない。で、昌浩は今どんな状態なんだ?」

「一言で言うと――――魂が抜けている」

「たまっ!?っておい!!!」

「話は最後まで聞け。魂と言っても魂魄の”魂”だ」

「魂魄の”魂”・・・・・・・・?」

「そうじゃ。”魂”は人の精神を司り、”魄”は人の肉体を司っている。昌浩の魂魄は”魂”の方が体から抜け出し、”魄”だけが止まっている状態じゃ、まぁ”魄”の方が残っているわけじゃし、すぐに命が危ないとかそういうわけにはならんから安心せい」


晴明は物の怪の頭を数度優しく撫でる。
この優しい神将のことだ、すぐ傍にいたのに子どもの異変に気づけなかった己のことを酷く責めているに違いない。
仕方のないことだと言ってやることはいくらでもできる、しかしこの神将はそんな言葉では納得しないだろう。
だから自分はこの神将に、己一人の責ではないと言ってやることくらいしかできない。


「しかし、この晴明さえにも気づかれずに、昌浩の”魂”を抜き取るとは・・・・・・・・向こうもなかなか手の込んだことをする」
「抜き取る?」

「左様、上手く消してはいるが微かに術の気配が残っておる・・・・・・・・・。術の元を探し出すことはできないが、人為的なことだということは確かじゃ」


そう、何らかの術で昌浩の”魂”は体から離れてしまった。
それは微かな術の残滓みたいなものでわかる。逆に言ってしまえばその残滓がなければ事故なのか故意なのか皆目つかなかったというわけだ。


「しかし、このような状態がいつまでも続くとなると話は別じゃ。人の魂というものは”魂”と”魄”両方揃ってあるからこそのもの・・・・・・どちらか一方が欠けてはダメなのじゃ。今は何ともなくともいずれ歪みが出る。その前に何とかせんとな・・・・・」

「そんな・・・・・・・・」


晴明の言葉に物の怪は言葉を無くす。
物の怪の視線の先には静かに眠る昌浩。
呼吸の為に胸が上下に動いていなければ、本当に死んでしまっているようにしか見えないだろう。


眠る昌浩が目を覚ましはしないかと、二人は静かに見つめるのであった。





                      *    *    *





水の気配がする方へ歩みを向けていた昌浩は、出所らしきところへやって来ていた。

漆黒に塗りつぶされた世界の中で、その場所だけは何故か仄かに光を放っていた。
その光は蒼みを帯びていて見た目からは清涼な感覚を受けた。
光量も限りなく少なく、闇に慣れた眼にもさしたる負担は掛からなかった。


「――――?水・・・・溜まり・・・・・・泉?」


光源は(さして広くはないが)泉であった。
泉であるからか、光を放っているからか、はたまた両方であるからか・・・・・・・。その泉は闇の中ではひどく浮いたものに見えた。

何故こんなところにあるのかとか、どうして光を放っているのかとか疑問は尽きないが、昌浩はとにかくその泉に近づいてみることにした。
泉の淵まで歩み寄り、泉の中を覗く。


「・・・・・・・・・・・あ、れ?」


泉を覗いていた昌浩はあることに気づき、微かな驚きを含んだ声を漏らす。
水に映っていたのは昌浩。しかし昌浩ではなかった。

通常、水面を覗き込めばそこには鏡と同じように対面する自分が映っている。しかし、今昌浩が覗き込んでいる泉の水面には覗き込んでいる昌浩は映し出されてはいなかった。
水面に映し出されていたのは目を閉じ、静かに横になっている”昌浩”。


「え・・・・俺?いや、俺じゃ・・・・・・ない??」


水鏡の中に”いる”自分に昌浩は困惑の視線を送る。―――と、ふいに水鏡に映っていた”昌浩”が目を開いた。
そして昌浩と”昌浩”の視線が初めて交じり合った。


「え・・・・・・昌浩?」


水面に映る”昌浩”は数度、ゆっくりと瞬きをして戸惑いながらそう言った。




水面を挟んで向き合う二人の昌浩は、お互いに呆然と見つめ合う。














暗闇の世界で”二人”は思わぬ出会いをする。













果してこれは偶然か必然か。












闇を彷徨う魂は未だあるべきところに帰らない―――――。
















                       

※言い訳
何だか予定外の展開になってしまいました。昌浩が迷子に!?(←違うから)
果して無事帰ってくることができるのだろうか!?・・・・・いや、ちゃんと帰ってきますよ?
微速前進で頑張って書き進めていきます。

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2006/2/16