呼吸をしているかも怪しいほど静かに眠る子ども。









自分はその寝顔を見ているだけ。









いざという時にほど、己は役に立たず









そのことに歯がみする思いだけが時間と共に強くなっていく。









自分の名を呼ぶ声は、お前にちゃんと届いているだろうか―――――?















水鏡に響く鎮魂歌―拾漆―
















場所は安倍邸。

朝になっても眼を覚まさない昌浩に一時騒然となっていた安倍邸であるが、今は様子見ということで取り合えず落ち着きを取り戻していた。
安倍邸の昌浩の自室には、未だ眠り続けている部屋の主とそれを見守る物の怪、それと最近ではお馴染みの面子となった六合の姿があった。

元々寡黙さを上位で誇っていた二人である、昌浩が話さない今は誰一人声を発する者も無く、ただ静かな時間だけが流れていた。
物の怪は眠る昌浩の傍に鎮座し、ただただ心配げに揺れる瞳でその寝顔を見ていた。
そして六合はそんな物の怪を静かに見ていた。

昌浩の”魂”が昌浩の体から抜け出していることに気づいた晴明は、今は自室に戻り昌浩の”魂”の行方を占じているところだ。
早く昌浩の体に抜け出した”魂”を戻さないと生命危うくなる、彼らの主である大陰陽師部屋を去る際にそう言っていた。
今は大丈夫かもしれないが、時が経てば段々と衰弱してくるであろうとも・・・・・・・・・・。
そう言われて何もせずにはいられない物の怪であったが、実際彼にできることはなにもなく、ただこうして懇々と眠る子どもの傍にいることしかできないでいる。

自分が傍についていながら愛し子の危機に気づくことができなかったことに悔しさがこみ上げてくる。
”守る”。己の心に誓った言葉。
しかしこの有様はなんだ。つい昨晩、子の魂の一部が欠けていることを知ったばかりなのに今度は一部どころか半分。
知らぬ間に危機の境地へ立たされている昌浩に、己の不甲斐なさと無力感だけが心の中を満たす。


「昌浩・・・・・・・・・・・・・」


無意識の内に零れる言葉。


「昌浩・・・・・・・・・昌浩・・・・・・・・・・・・・・」


昌浩。ただこの単語だけを物の怪は繰り返して言う。
まるでその言葉しか知らないようにただひたすらに・・・・・・・。

この声が届けばいいと、今は行方の知れない子の魂に向けて思いを込めて名を呼ぶ。







――――と、その時変化が起こった。

ぴくり。
眠っていた昌浩の瞼が微かに震えた。


「・・・・・・・昌浩?」


昌浩の微かな変化を物の怪が見逃すはずもなく、その寝顔を凝視する。
物の怪が見つめる中、昌浩はその瞼をゆるゆると持ち上げる。


「―――っ!昌浩!!」


眼を覚ました昌浩に、物の怪は思わず声を荒げる。
目覚めたばかりの昌浩は光に眼が慣れていないせいか、数度瞬きを繰り返す。
ついでその眼を自分の傍にいる物の怪へと向けた。


「―――・・・・・もっくん・・・・・?」

「昌浩・・・・・・眼が覚めたか?」


昌浩が自分の名を呼んだことで昌浩が眼を覚ましたことに漸く実感を持つことができ、物の怪は肩に入った力を抜く。


「・・・・・・やっぱり、心配かけちゃったな・・・・・・・・」


そんな物の怪の様子を見ていた昌浩は、微かに眉を顰めて溜息を吐くようにそう呟いた。


「っ!当然だ!!朝起きてみれば目を覚まさないし、挙句の果てには魂が半分もどっかへすっぽ抜けたときた!これで心配するなと言う方が無理に決まっているだろう!!!」


昌浩の呟きを聞き取った物の怪は、柳眉を逆立ててそう怒鳴り返した。
そんな物の怪の大声に、昌浩は五月蝿そうに顔をしかめる。
はっきり言うと、寝起きの体に大声は耐え難い苦痛にしか感じられない。


「もっくん、声が大きい。・・・・・そんなに大声を出さなくてもちゃんと聞こえるから」

「何を言うか!こっちはどれほど心配したか――――」

「・・・・・うん、わかってる。ごめん」

「―――っ!・・・・・・・はぁ。まぁ、お前が無事ならそれでいい・・・・・・・・」


不意討ちで謝られた物の怪は一気に怒気を削がれ、脱力感と疲労感に襲われていた。
そんな物の怪を見て、昌浩はおもしろそうにくすくすと笑う。
笑われた物の怪はやはりおもしろくないのか、憮然とした顔になる。

物の怪を取り巻いていた昌浩が眼を覚ます前までの張り詰めたような空気は綺麗になくなっている。
このことからも物の怪にとって昌浩がいかに大事であるかが窺える。


物の怪の様子を窺っていた六合は、それを見て昌浩が目覚めたのだと言うことを知った。
人知れず溜めていた息をそっと吐き出す。
六合は物の怪の次に彼の子どもと付き合いが長い神将なのだ、彼とて昌浩のことを心配していないわけがないのだ。
二人の様子を見守る彼の眼には安堵の光が微かに混じっている。


「・・・・・・・晴明に知らせてくる」

「あぁ、頼む」


六合は今まで背を預けていた柱から背を離して立ち上がり、そう一言言った後昌浩の自室から出て行った。


「今、何時くらい?」

「そうだな・・・・巳の刻あたりだな」

「うわー、かなり起きるの遅くなちゃったなぁ。出仕の時間からかなり過ぎちゃってるよ」

「問題はそこか!・・・・・てか、まさかだとは思うがお前、今日出仕するつもりでいたのか?」


昌浩の言葉を聞いて胡乱気に聞き返す物の怪。
それに対しての昌浩の反応はというと、きょとんとした顔で首を傾げさも当たり前のように


「へ?そうだけど??」


肯定した。


「馬鹿かお前は!つい昨日腹をぶっ刺されて大怪我をした奴が何を言うか!傷は完治していないんだ、んな出仕ごときのために傷の治りが遅くなるなんてことは俺が許さんからな!!」

「そんな大袈裟な。陰陽寮の仕事でそんなに激しく動くわけでもないんだから、休むほどじゃないよ。後は数日間夜警を控えて大人しくしてれば問題ないでしょ?」

「お前に言わせればそうかもしれんが、よく考えてみろ。出仕してから何かのはずみで傷口が開いたとする、流血沙汰で大騒ぎされることは必須だぞ」

「でも・・・・・・」

「それで吉昌や成親達に迷惑なんかかけてみろ、それこそ完治するまで邸に閉じ込められるぞ」

「うっ・・・・・・・」


流血沙汰うんぬんはともかくとして、父や兄達に迷惑をかけることは非常に避けたい。
言葉に詰まる昌浩を見て物の怪は満足そうに一つ頷いた。


「わかったら大人しく寝ていろ。完治するまでとは言わんが、せめて二・三日は大事をとって休め。何、今回は事情を話せばあっちも納得するさ」


出仕にこだわる理由に思い至った物の怪は、昌浩を安心するようそう言った。
内心では『あんの口だけ一人前の成り下がり陰陽師が!!』と、以前欠勤が多かった昌浩を詰りに詰ってくれた人物に向かって雑言罵詈の限りを尽くしていたことは、本人以外に知る由もなかった。


「うん・・・・・そうだね」

「漸く納得したか。・・・・・わかったらもう一眠りしておけ」


物の怪はそう言って、ずり下がった桂の端を器用に肩口まで掛け直してやる。


「うん。――――そうだ、もっくんに言っておきたいことがあたんだよね」

「言っておきたいこと?なんだ??」


首を傾げて聞いてくる物の怪に、昌浩は笑みを向けながら口を開く。


「ありがとう」

「は?」

「多分、もっくんだと思うけど・・・・。名前、呼んでくれてたから・・・・・・・帰ってこれた」


そう言って昌浩はその笑みを深めた。


「だから、ありがとう」

「・・・・・別に、大したことじゃない」

「うん・・・・・・でも、助かったことに変わりはないから・・・・・・・」


だから”ありがとう”っていいたかったんだ。


「・・・・・・・そうか//////」

「あ、もしかして・・・・・照れてる?」

「うるさい!さっさと寝ろ!!」

「あははっ!じゃあ、大人しく寝るよ」

「あぁ・・・・・」


ひとしきり笑った昌浩は目を閉じ、暫くした後静かに寝息を立て始めた。


物の怪はそれを穏やかな目で見守っているのだった―――――。











束の間の休息。
















その時はただ穏やかに流れる。















暖かなぬくもりと共に―――――。














                         

※言い訳
やっと昌浩の魂が体に帰ってきました。
あー、最初の予定よりかなりのびたなぁ・・・・・・・。これだから話の進展が遅いんだよ。
次はもう少し話が進んで欲しいな・・・・・というか私が進めないとダメなんだけれど;;
多分、そろそろボス(爛覇)とかも出していきたいな・・・・・頑張って書きます。

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2006/3/2