初めて見たときは純粋に綺麗だと思った。 相手を知る度に気高さと孤高さを感じずにはいられない。 何も無い自分にとって絶対の導。 疑う必要性のない不動の星。 その存在がいれば、自分には何もいらないのだ―――――――――。 |
沈滞の消光を呼び覚ませ〜弐拾肆〜 |
太く張り巡らされている根、大きく天に伸ばされた枝、そしてそれに生い茂る葉。 もう何百年も生きているという貫禄を見せ付ける大木の、一番低い枝に煌(こう)は座っていた。 足をぶらぶらと揺らしながら、遠くの景色を見遣る。 その場所が煌にとって一番のお気に入りの場所だった。 この大木は九尾がいつもいる見晴らしのいい切り立った崖のすぐ傍にあるので、九尾の近くにいつもいることができるというのも利点の一つである。 流れる雲を眺めていた煌に、ふいに声が掛かった。 「煌、少し話がある。降りてきなさい」 「?どうしたの?久嶺(くりょう)」 煌は不思議そうに首を傾げつつも、座っていた枝から地上へと飛び降りる。 すたっとほとんど着地音を立てずに地を足に着ける。 そして、崖先にいる九尾へと歩み寄る。 「・・・・・しばらくこの国を空けるぞ。お前も我と共に来い」 「は?空けるって・・・・・・久嶺が自分から動くの??」 珍しい・・・と煌は眼を瞬かせる。 驚いている煌に、九尾は鷹揚に頷いた。 「左様。我自ら手を下さないと気が済まない相手がおるのでな・・・・・・」 「久嶺が相手をしないといけないほど強い妖がいるの?」 「違う。我が直々に屠ってやらぬと気が済まぬ人間がいるのだよ」 「人間・・・・・。久嶺、そいつらと何があったの?何なら俺がそいつらを殺すよ?」 煌は冴々とした眼光をその琥珀色の瞳に宿して、久嶺にそう申し出る。 久嶺の手を煩わせる必要もない。そんなやつらは自分が始末してやろう・・・・・・・・・。 『人間』という言葉を聞いて、煌の心の中に憎悪の炎が燃え上がる。 地獄で燃え上がる黒炎の如く、それが勢いを衰えさせることはない。 九尾はそんな煌の様子を見て、内心満足げに笑みを浮かべる。 そうだ、もっと人間を憎め。怨め。疎め。嫌悪しろ。 人という生き物に一切の情を抱くな。 お前は我の唯一の眷属。共に生きる者だ。 お前が心を揺り動かされる要因など、漏れなく全て排除してやろう。 この三年。九尾はひたすらに煌に人間の醜悪さを見せてきた。 人間という生き物を好きにならせない為に、人間という生き物に敵意と殺意のみを抱かせる為に。 凍える記憶のみを残して、全てを白紙に戻した子どもにそれを教え込むのは簡単だった。 そして自分だけを仰ぎ、盲目的に信を寄せさせることも。 子どもには自分が人間”だった”ということは教えておいた。でなくば残された冷たい記憶と食い違いを起こさせる恐れがあるからだ。 疑いを持たせることはあってはならない。 ただ、人へ冷たい感情を抱くための負の記憶さえあればいいのだ。 相手の”個”の記憶もいらない。 特定の人間ではなく、全ての人間がそうであると思って貰わねばならないのだ。 もう二度と人に好感など抱かせぬ為には、それを揺り起こす懼れのある種は先手を打って潰しておく必要があるのだ。 「・・・・・・何、少々目障りに思っているだけよ。他になど任せず、己が手で抹消してやろうと思っておったのだが・・・・・煌がそう言うのであれば、任せるのもまた一案ではあるな」 己の手で大切と言っていた者達を屠ることができれば、この子どもは二度と道を引き返すこともないだろう。 そう、最終確認の為にも子ども自身に討たせるのは悪い考えではない。 そんな打算的な考えをしているなど表情には億尾も出さずに、九尾は思案する様を装う。 「そうだな・・・・・・そのことについては早急に決める必要もなかろう。お前がその者達を見て、それでも屠ることができるというのなら屠ればいいさ」 「者達って言うからには複数なんだね?ま、いいか。何人いようと必ず全員消し去ってやるよ」 「くっくっくっ!頼もしい言葉だ・・・・・・期待しておるぞ?」 「久嶺の期待に添えられるよう頑張るよ。で?そいつらってどこにいるの?」 国を空けるって言うからには遠い所なんでしょ? 煌はそう言って微かに首を傾げる。 九尾は煌の質問に、愉しげに口の端を吊り上げながら答えた。 「なに、海に浮かぶ小さな島国よ――――――」 * * * ”煌”が目覚めた時に初めて眼に飛び込んできた色は『金』。次いでそれを縁取る『銀』だった。 煙る思考の中、ただ純粋に綺麗だと思った。 眼を覚ました煌は、何も覚えてはいなかった。いわゆる記憶喪失だ。 いや、何も覚えていないと言うのは語弊があるだろう。 記憶はあることにはあった。 残っていたのは辛く、苦しい記憶だけだった。 自分についても、自分を取り囲んでいた人達についても何かもを忘れ去っていたのに、”人間からそういうことをされた”というただの『記録』しか頭の中には浮かんでこなかった。 そんなことをぼんやりと考えていると、ふいに頭を撫でられた。 と、そこで漸く眼にした色彩はその人物が持っている色だと認識した。 いや、”人物”と表現するのは正しくないのだろう。 自分の頭を撫でている相手には耳と尻尾があったのだ、いくら人の姿に似ていようとも人とは称せない。 「・・・・・だれ?」 上手く舌を動かすことができず、些か拙い発音で問いの言葉を紡いだ。 『金』と『銀』という煌びやかな色彩を持つ彼の存在は、思案するように眼を瞬いた後、その口元に鮮やかな笑みを浮かべた。 「我が名は九尾。古より生きる妖だ」 「あ、やかし・・・・?」 「左様。人の呼び方を取れば・・・・だがな」 「・・・・・・・・俺、どうして・・・ここ・・・・・・」 混乱する思考で、上手く言葉を紡ぐことができない。 記憶がなくても一般知識は残っているようだ。 人と妖は交わることはない。 己の思考はそうはっきりとそう告げていた。 では、己はこの目の前にいる妖に食われてしまうのだろうか? 子どもの疑問を他所に、九尾と名乗った妖は穏やかな口調で子どもの言葉に答えた。 「我がここにお前を連れてきたのだ」 「それは・・・・俺を食べるため?」 「・・・・いや、お前が我の眷属だから連れてきたのだが・・・・・・・何も覚えていないのか?」 「俺は・・・・・・・・・・・」 何も覚えていないのかと聞かれて、子どもは返答に窮する。 覚えていないと言えば覚えていないのだろう。 頭の中で再生される記憶の中には、己を示してくれるようなものは何もない。ただ、酷く裏切られた様な痛みだけが感じる。 相手の話振りだと目を覚ます以前にも面識があるようだが、生憎目を覚ます以前の記憶はほとんど無いに等しい。 故に子どもは頷いて妖の言うことを肯定した。 「ちょっとは・・・・あるみたいだけど、ほとんど覚えてない。自分のこととか・・・・・何も、覚えてない」 「・・・・・・・お前は、どうやら過去にあった辛いことで記憶をなくしているようだな」 「?どうして貴方にそんなことがわかるんだ?」 今の自分でさえ知ることのない出来事を、さも知っているかの様に話す相手を不思議に思う。 相手はさも当然といったように笑いを含んだ声で、子どもの疑問に答えた。 「お前は我の唯一無二の眷属だ。少し前にお前の悲痛な叫びが我の元に届いた・・・・・・それ故にお前を迎えに行き、ここへと連れてきたのだが・・・・・・・。余程辛いことがあったのだな、我のことを忘れてしまうくらいには・・・・・・・・」 「眷属・・・・・・先ほどから何度も言っているけど、俺は人間で貴方は妖だ。なんで眷属なんだ?」 「・・・・確かに、お前の姿は人間だ。事実、人間だった」 「?”人間だった”?どういうこと??」 含みのある言葉に、子どもは訝しげに眉を寄せる。 「お前は我の眷属。何年も前に契りを交わし、我と魂を分かちた。その際に我の力の一部もお前に渡した・・・・・・今は奥底に眠っているが、お前がその気になれば力も簡単に引き出せるだろう」 「魂を・・・・分かつ?」 「左様。故に我とお前は眼に見えぬ繋がりを持っている。だからお前の心の叫びが我に届いたのだろう・・・・・・我はその時遠く離れた所にいたからな、お前の様子を直ぐに伺うことはできなかったが何かがあったことは知ることができた」 「・・・・・何があったんだろう?自分のことなのに、わからないや・・・・・・・・」 子どもは困惑した表情で話す。 九尾はわかっていると、再度子どもの頭を撫でた。 「お前は先ほど少しは記憶が残っていると言ったな?何か関係ありそうな記憶はないか?」 「・・・・・・・・・どうだろう?どれも悲しくって・・・・・・痛いし、なんでこんな記憶しか残ってないんだろ?変なの、こういうのって普通嫌な記憶を忘れるものなんじゃないの?」 「それについては我は何も言えぬが・・・・・・辛かったであろう?これからは我が傍にいてやる。最早人に手など出させはしない、我が護ってやろう」 「?これってやっぱり辛いことだったのかな・・・・?」 戸惑ったような子どもの言葉に、九尾はさも驚いたような表情をその顔に浮かべた。 「他にどんな感情があるというのだ?そのようなことをする相手に憎しみこそ抱きすれ、何も思うことが無いなど可笑しいのだぞ?」 「憎しみ・・・・・可笑しいことなの?今の俺はそんな感情、沸いてこないんだけど・・・・・・・」 「恐らく、今は記憶をなくしてしまって感情が追いついていないのだろう。もう少し落ち着いたら自分が何を思っているのか、自ずと向き合えるだろう」 九尾は慰めるかのように子どもの頬に手を添える。 その金の瞳は静かに凪いだ泉のように寂寥とした輝きを浮かべている。 子どもはそれを見て、落ち着いていく心の動きを感じた。 「そっか・・・・・そうなのかな?やっぱり俺、混乱してる??」 「きっとそうであろう。なに、ここには誰も来ぬ。考える時間はたっぷりとあるさ・・・・・・」 「・・・・・・傍に、いてくれるの?」 「何を当たり前なことを!我が唯一の眷属を独りにするはずがなかろう?安心しろ、我はお前を決して独りにはせぬ」 「・・・・・・・うん」 頬に添えられた掌から温もりを感じ、子どもは安堵したように目を伏せた。 だから気づかない。 その時九尾の口元に艶やかと評していい位に壮絶な笑みを浮かべたことに。 そう、時間はいくらでもある。ゆっくりとその心を絡め取ってやろう―――――――――。 ![]() ![]() ※言い訳 テストの合間を縫って続きを更新。 ということで、気になっていた方もいたかもしれませんが、弐拾壱話の昌浩精神破綻後の遣り取りについて今回は書きました。(あれ?なんだろこの甘い空気は・・・・;;) 九尾、嘘は一つも言っていないのですが全部は話しません。自分に都合がいいように話を切り貼りして煌(昌浩)に話し聞かせます。まどろっこしいな・・・・この場は一先ず昌浩と表記します。で、記憶喪失状態の昌浩も頼れる人がいない状態ですので、相手が妖とわかっていても縋り付きたくなります。何も覚えていない状態で、暗闇の中一人にされては堪りませんよね?そして精神的に物凄く弱っている昌浩をじわじわと懐柔していこうとする九尾・・・・なんてエグイ奴だ!(自分で書いておいて何を言う) んで、昌浩が人間じゃない云々については次回のお話で説明致します。あ〜、いつになったら平安京に辿り着くんだろ?でもこの説明いれないと話がわかりにくくなるんで・・・・・・しばらくは九尾と昌浩の遣り取りで我慢してください。 感想などお聞かせください→掲示板 2006/9/23 |