止まっていた歯車がゆっくりと動き出す。 停滞していた時が流れ始める。 さぁ、最初にして最後の賭けをしようじゃないか。 己が勝つか、お前達が勝つか。 負けてやる気などさらさらないけれども――――――――。 |
沈滞の消光を呼び覚ませ〜弐拾碌〜 |
屋根に上った物の怪は、蒼天を流れていく雲を眺めていた。 三年。 物の怪にとっての唯一の愛し子が、何者かに連れ去られてから経った年月である。 物の怪はこの三年間ずっと愛し子を想い続けてきた。 本当は自ら捜索に乗り出したかったのだが、主に制止を掛けられて苦々しくこの邸に留まる他なかった。 愛し子の行方は晴明と、身動きが軽く取れる十二夜叉大将達が追っている。 子が連れ去られる原因ともなった彼らに捜査を任せっきりにするのは甚だ不服だったが、そこは主を筆頭に十二神将達(といっても極一部)からも散々言い含められていた。 何もすることができないことを歯痒く思いつつ、物の怪は今日も空を見上げるのだ。 果てしなく続いている空の下のどこかで、子どもも同じように空を見上げていることを願って。 「―――騰蛇」 「・・・・・・何だ、勾」 静かに掛けられた声に、物の怪は肩越しに背後を振り返った。 物の怪の直ぐ後ろには同胞の十二神将・勾陳が佇んでいた。 「・・・・・・・また、空を眺めていたのか?」 「あぁ・・・・・俺はこうして空を眺めながらあいつが無事でいることを祈ることしかできない・・・・・・・」 「もどかしいのはお前だけではない。私も・・・・・・他の者達も皆が思っていることだ」 「・・・・・・・わかっている」 「晴明達とて全力を尽くしている。後は何か動きが起きるのを待つしかないさ」 「それも・・・・・わかっている」 肩越しに振り返っていた物の怪は、再び視線を空へと戻した。 どこか寂しさを漂わせた物の怪の背を眺めていた勾陳は、ふと思い出したように瞬きをした。 肝心な用件を忘れるところであった。 「―――言い忘れていたが、晴明が呼んでいるぞ」 「・・・・・・。勾、それをまず一番初めに言わないか?」 「なに、誰かの腑抜けた様子を見て用件を忘れてしまっただけだ」 「悪かったな、腑抜けてて」 「ほぅ、自覚はあるのか。ならばその鬱陶しい湿った空気をなんとかしろ」 「・・・・・できたら苦労しないさ」 物の怪は重々しく息を吐いた後、よいせと立ち上がった。 「では行くか、勾」 「そうだな」 そして二人は主である晴明の部屋へと向かった。 「晴明、入るぞ」 勾陳はそう一言言い置くと、さっさと部屋の中へと足を踏み入れる。物の怪もその後に続く。 部屋の中には晴明と六合がいた。 「―――で?用件は何だ?晴明」 物の怪が早速と話を切り出す。 晴明もそんな物の怪に一つ頷いて応答を返す。 「うむ・・・・先ほど占盤で占ったところ、あまり喜ばしくない結果が出てのぅ」 「・・・・まさか、昌浩の身に何か起こったのか?!晴明!!」 「いや、昌浩については占盤では何も示されることがないということくらい、この三年でお主も知っているじゃろうて。そうではなくて、占いの結果に不穏な影が出た」 「?不穏な影とは?」 晴明の言葉に、勾陳は訝しげに聞き返す。 「はっきり言って歓迎できん結果だったのぅ。・・・・・占じにはこう示されている”招かれざる来訪者”」 「なっ・・・・!」 「おい、晴明それは・・・・・・・・・・」 「・・・・・・・異邦の妖異、か?」 「・・・・・・そうじゃ。再び窮奇のような妖がこの国を訪れようと―――いや、もしかしたら既に訪れているかも知れぬ」 老いた身ではちと骨が折れるのぅと晴明は軽口を叩くが、その瞳は至って真剣な光を宿している。 昌浩がいない今、必然的に晴明が並みの陰陽師では手に負えない妖の調伏にあたっている。 無論異邦の妖異―――それも窮奇並みの強さを持った妖の相手となれば、稀代の大陰陽師の安倍晴明しか相手をすることはできないだろうことは明白だ。 それが理解できるからこそ、物の怪達はその表情を険しくしていく。 老い先など限られている主に、必要以上の負担など掛けさせたくはない。だが、現実はそうも言っていられないのだ。 室内に重苦しい空気が流れる。その時――― 「失礼する。晴明殿はいらっしゃるか?」 部屋の入り口に、肩より下くらいの長さの銀髪に蒼い眼をした人物―――十二夜叉大将の宮毘羅(くびら)が立っていた。 彼の姿を見咎めた物の怪は、嫌そうに眼を眇めた。 宮毘羅もそんな物の怪に気づいたが、一瞥するだけに止めて部屋の主へと視線を向けた。 「如何なされた、宮毘羅殿?」 「我々の仲間の内の一人が不穏な情報を持ってきたので、そのご報告に上がった」 「ふむ、して?その不穏な情報とは?」 「・・・・・・この国にある妖が向かってきている」 「「「!!」」」 宮毘羅の言っている内容が、つい先ほど晴明が告げた内容と酷似していたので神将達は少なからず驚いた。 晴明も脚力平静を取り繕って言葉を返す。 「異邦の妖異、ですな・・・・・・?」 「知っておられたか・・・・・・その通りです。理由を推し量ることはできないが、奴らはどうやらこの国にやって来ようとしているとのこと・・・・・・」 「この国に来訪しようとしている妖について、何か詳しい情報は掴めましたかな?」 「少なからずは。故にその相手が厄介だともはっきりと言えます」 「・・・・・・・・では、掴んでいるだけの異邦の妖異についての情報をお教えください」 宮毘羅の表情を見るからにも、その妖が非常によろしくないことは窺い知れた。 その場にいた者は、全員姿勢を正して宮毘羅の続きの言葉を待つ。 四対の視線が集まる中、宮毘羅はゆっくりと言葉を紡いだ。 「この国に訪れようとしている妖、その名は―――――大妖・九尾だ」 * * * 潮の匂いをふんだんに含んだ風が通り抜けていく。 月影に照らされてゆらゆらと光を反射している黒海を、煌(こう)は無言で眺めていた。 砂浜に打ち寄せる漣の音だけが、静寂な世界に振動を齎していた。 「何をしているのだ?煌よ」 「久嶺(くりょう)・・・・・。別に、ただ海を眺めてただけ」 「そうか。そろそろ寝た方が良いぞ?明日は海を越える。身体に要らぬ疲労は溜めないに限る」 声を掛けられて振り返った煌は、海を眺めるのを止めて久嶺の元へと歩み寄る。 目の前にやって来た煌の頭に手をのせ、久嶺――九尾は幾分か目元を和らげた。 半妖といえど人の身と差ほど変わりはないので、九尾は煌に休息を取るように促す。 煌も九尾の言葉に素直に頷く。 「うん、そうだね・・・・・・・・。ねぇ、久嶺―――」 「何だ?」 「俺は記憶を失くす前、今から向かう国にいたっていうのは本当?」 「あぁ、本当だ。我はあの国からお前を連れ出してきたのだ」 「・・・・・・じゃあ、俺のことを知っている人と会うかな・・・・・・・・?」 「さぁ?いくら島国といえど国だからな。会うかもしれぬし、会わぬかもしれぬ。こればかりは天の配剤だな」 純粋に疑問を抱いて問い掛けてくる煌に、九尾は気づかれぬ程度に目を眇めた。 無論、気づかれぬ程度であるために煌が気づくはずもなく、そっか・・・・と納得したように頷き返すに留まっていた。 「―――会いたいのか?」 「まさかっ!あんな記憶しかくれない奴らにどうして会いたいと思うのさ。寧ろ会った瞬間に殺してやりたいくらいだよ」 「ふっ、だが顔をはっきりとは覚えていないのだろう?会ったところでわからぬだろうさ」 「ははっ!それもそうだね。だったら皆敵だとでも思っておこうか?」 「そう気を張り詰めることもないだろう?仮に奴らがお前に手を出そうとするのなら、その手がお前に触れる前に我が八つ裂きにしてやろう」 九尾は煌を落ち着かせるために、その頭を緩やかな動作で撫でる。 煌もそんな九尾の行動に、肩に入れていた力を抜いていく。 心細いのか、幼子の様にぎゅっと九尾の衣を握り締めて離さない。 九尾はそんな子どもの仕草に、安心させるために懐へと抱き寄せた。 互いに互いの体温を感じ合う。 しばらく無言で抱擁を交し合っていたが、ふいに煌がその身をついと離した。 「ん、何か落ち着いた・・・・・・・もう寝るよ」 「そうしろ。・・・・・・不安など抱くな、我はいつでもお前の傍にいてやる」 「うん!・・・・ずっと、傍にいてね?久嶺」 「無論だ」 互いに互いを必要としていることを確かめ合い、二人は共に空を見上げた。 数多に輝く星々の中、燃え上がるような紅の星が確かに輝いていた―――――――。 ![]() ![]() ※言い訳 あー、やっとこさ続きを書きました。 お話の前半、久々に紅蓮達が出てきました!ほんと久々だなぁ〜。宮毘羅は瑠璃に連絡係としてパシらされました☆晴明の部屋の前に辿り着いて、中にもっくん達(主にもっくん)がいることに気づいて多大に顔を顰めたはずです!私はそう思っている。 で、後半は九尾と煌の話になるのですが・・・・なんだこれ?やたら空気が甘ったるいんですけど?!は?こんな甘い話に書く気なんてさらさら無かったんだけどな・・・・・どこで間違えた??謎・・・・。 九尾、天の配剤云々と言っていますが、会わせる気満々!偶然を装った必然を起こすつもりです。やだなぁ〜この人。何企んでるんだろうねー?(お前が言うな) 感想などお聞かせください→掲示板 2006/9/29 |