水面に広がる波紋。









不快に起こる漣。









全ては掴み取れぬ陽炎の所為。









思い出させるな。









己に変えられぬ過去があったことを―――――――――。
















沈滞の消光を呼び覚ませ〜参拾参〜
















「あ〜ぁ、今日はあんまりいいことなかったなぁ・・・・・・」


歩く吉量(きちりょう)の背に乗っている煌は、鬱屈そうに息を吐いた。

大丈夫か?と金色の双眸が、こちらを振り返ってくる。
煌はそんな吉量に気がつき、大丈夫だと笑い返してその首筋を優しく撫でてやる。
そこで漸く安心したのか、吉量は再び視線を前へと戻した。
そして心持歩く速度を上げる。
どうやら早く潜伏場所に戻ろうと、気を配ってくれているようだ。


「・・・・・・ありがと、吉量」


お礼を言う煌に、吉量は無言の返答を返す。

煌はゆるやかに目を閉じた。
そして今宵あったことを振り返る。

突如として感じた違和感。いや、異変とでも言った方がいいのか。
まるで水面へと上ってきた泡沫のように、一瞬現れては消える映像と声。
あれは自分が失った記憶なのだろうか?
確かに映像を見たと思った次の瞬間には、それは掌に残ることなく霧散する。
そう、水を手で掴もうとするが如く、形を保つことがない。
きっと”何か”を思い出しかけたのだろうが、その”何か”を記憶として脳裏に再生できるほど強くは保持することができなかった。


「何か・・・・もう、気持ち悪っ!」


漣を立てる水面に映し出された像のように、それは形を留めることがない。

こんなことは初めてだ。
この都に来てから、あの二人の陰陽師と三人の神に座する者達に会ってから、己の中の最奥が酷くざわめき立つ。


「煩い・・・・・・うるさいうるさいうるさいっ!!」


音を遮断するように耳を手できつく塞ぐ。

そんな煌を吉量は再び心配げに見ていたことに、本人は気づかない。

この三年、ずっと凪いでいたはずの深奥が揺らめぎをみせる。それが不快で仕方ない。
己の意思や感情とは別のところで、己自信が反応をみせることが煩わしい。


『昌浩なのか?お前はっ!』

「知らないっ!俺の名は『煌』だっ!」


本来、忘れてしまった記憶の手掛かりとなる相手が見つかれば、それは喜ばしいことのはず。
なのに、拒絶の反応を示す己の不可解さに煌は気づかない。

煌という名は記憶をなくしてしまった後、九尾が付けてくれた名である。
だから『昌浩』と自分の知らぬ名で自分を呼ぶ者がいても、にべもなく切り捨てる理由などないのに煌は只管否定の言葉を吐く。何を思って否定するのか、自分自身もわからぬままに・・・・・・・・・。

そうしてしばらくの間吉量の背で身を固くしていた煌は、ふと吉量が立ち止まったことに気がつき徐に顔を上げた。


「吉量?どうしたの・・・・・・・?」


怪訝そうに吉量へと声をかけた煌は、そこで進行方向すぐ目の前に一匹の子犬が座り込んでいるのを見つけた。


「何だ?野良犬かな・・・・・・・」


と、そこで子犬が突然その身体に見合わない大きな声で遠吠えをした。
すると、やや離れた所からその声に応えるかのように、別の犬の遠吠えが聞こえてきた。

不思議そうに目を瞬かせて子犬を見ていた煌は、ふと視線を遥か遠くに滑らせた。
そして目を軽く眇めさせる。

と、突然吉量の背から身軽な動作で飛び降りた。
どうした?と吉量が不振げに問い掛けてくる。


「吉量、悪いんだけどさ・・・・・・先、帰っててくれる?ちょっと用事ができたからさ・・・・・・・・・」


有無を言わさず目のみで「行って」と言う煌に、吉量は大人しく従う。
去り際、ちらりと子犬に視線を投げつつ、素早く闇に紛れ込んで行った。

煌はそれを見送ってから、改めて足元にちょこんと座ったままでいる子犬へと視線を向けた。
自分も屈み込んで、なるべく子犬と視線の高さを合わせる。


「―――で、君の主人は一体何者なの?」


つぶらな瞳で見つめ返してくる子犬に、煌は溜息を吐きたい気分を抑えて話し掛ける。
しかし相手は犬。返答など返ってくるはずもない。

クゥーン・・・・と鳴く子犬を抱き上げ、ほとほと疲れたように煌は虚空を見上げた。







                       *    *    *







静かな街で微かに聞こえてくる犬の遠吠え。
それは目当てのものが見つかった合図。


「あぁ、どうやら見つかったみたいだな」


耳を済ませて風に乗って聞こえてくる犬の遠吠えを聞いていた招杜羅(しょうとら)は、遠吠えの聞こえてきた方角に視線を向ける。
招杜羅と共に行動していた珊底羅(さんてら)は、同様に遠吠えが聞こえてきた方角へ視線を向けていた。


「ここからそう遠くは離れていないようだな・・・・・」

「そうだな。・・・・今から行けば間に合うかもな」

「ならば、行くとしようか」


二人は頷き合うと、遠吠えが聞こえてきた方角へと駆け出した。







                       *    *    *







煌は抱き上げた子犬と戯れながら、こちらへと近づいてくる二つの神気が到着するのを待っていた。
すぐそこまで神気がやって来ていて、そこで漸く煌は視線を子犬から上げた。

姿を現したのは藍色の髪を肩の下くらいまで伸ばし、脇の髪だけ後ろで束ねた琥珀色の瞳をした青年と短髪よりやや長めの水色の髪に眼帯で左目を覆っている青年だった。


「どっちがこの子の主?」

「俺だ。・・・・・・まさか待っているとは思わなかったぜ」


腕の中の子犬を見せつけ問い掛けてくる煌に、招杜羅は即座に答えた。
煌は腕の中にいる子犬を、地面へと放してやる。
自由の身となった子犬はトコトコと招杜羅のもとへ歩いて行き、彼の目の前までやって来ると一鳴きした。そして再び歩き出してそのままどこかへと歩き去って行った。


「犬を使役できるってことは・・・・・・・・もしかして犬の神様とか何か?」

「いいや、俺は武神だ。犬を使役できるのは・・・・・・まぁ、生まれつきの特典みたいなものか?」

「ふぅ〜ん、まぁどうでもいいことなんだけどね。で?その武神様はどうして俺のこと探していたのかな?」

「厳密に言うとお前じゃなくって、九尾の配下のやつだがな」

「・・・・・・お前達はこの国で何をしようとしている?」


珊底羅の問いに、煌は煩わしげに眉を寄せた。


「またその質問か・・・・・・神様って、同じことを質問するのが好きなの?」

「同じ・・・・・といことは以前に我々とは別に神に会ったのか?」

「うん、ついさっきね・・・・・・・。赤い髪の男の人と鳶色の長髪の男の人と黒髪の女の人の神様」

「・・・・・あぁ、彼らか」

「何?知り合い?だったらあの人達にでも聞いて、同じ質問を二度答えるなんて面倒くさいから」


煌はそう言って軽く肩を竦める。
そんな煌を見て、招杜羅は挑戦的な笑みを浮かべた。


「へぇ、面倒ねぇ・・・・・・・・。だが、お前が奴らに答えた言葉が全てだったとは限らないだろう?けちらずにもう一回話せよ。てか、喋らせる」

「何?最近の神様って力に訴えるのが流行ってるの?さっきの人達といい・・・・・
吉量を先に行かせて正解だったね


言葉の後半は小さな声で呟かれたために聞き取ることはできなかったが、半分に伏せられた目が呆れを示していることは招杜羅達にも知ることができた。

招杜羅は口の端だけ持ち上げてにっと笑むと、その腰に佩びた剣をすらりと抜き放った。
全く、招杜羅は好戦的だな・・・・・と珊底羅は呆れたように苦笑いをして法螺貝を取り出した。
煌もそれに対抗すべく、剣を取り出して構えた。


「んじゃあ、覚悟はいいか?」

「はっ!誰にもの言ってるのさ?・・・・・・負けないよ?」

「いいねぇ、その心意気!」

「周囲に被害を出さないようにな、招杜羅」

「へいへい。肝に銘じておくようにするよ。それでいいだろう?」

「あぁ、わかればいい・・・・・・・・。では参るっ!」

「行くぜ!」


合図と共に、珊底羅が空気を振動させて衝撃波を放つ。
衝撃波は空中を駆け抜け、煌へと襲い掛かる。


「うわっ!空気なんて目に見えないじゃん?!ずるいっ!!」


煌は珊底羅の攻撃に文句をいいつつも、余裕で回避する。
煌が先ほどまでいた場所を見えない何かが通り過ぎていく。


「余所見をしてるとは余裕だな!」


珊底羅が攻撃を放つと同時に駆け出していた招杜羅は、距離を詰めて剣を振るう。
煌も同様に剣を振るうことでそれを迎え撃つ。
鋼と鋼が交わる硬音が、闇夜に響き渡る。


「・・・・・なぁ、一つ聞いていいか?」


剣を交わらせたまま、ふいに招杜羅が口を開いた。


「何?・・・・・といっても、答えてあげるかどうかは別だけどね」


煌は剣に加えていた力を抜き、即座にその場から飛び退く。
着地と同時に、珊底羅に向かって術を放つ。
珊底羅も同時に衝撃波を放ち、互いに相殺し合う。

そんな中、招杜羅が煌へと間合いを詰めて蹴りを放つ。
煌はそれを半歩後方に下がることでギリギリかわし、間髪いれずに剣を招杜羅へと突き出す。
招杜羅はそれを剣を交わらせることによって外側へと軌道を逸らし、そのまま横へと払った。
そして煌の剣の間合いから退く。


「あのよぅ、お前って人間だろ?なんで九尾なんかの仲間に入ってるんだ?」

「どうしてそんなこと聞くのさ?人間が妖の仲間になってるのがおかしい?と言っても、それもちょっと語弊があるね。だって俺、人間じゃないし・・・・・・・」

「は?・・・・・・あぁ、微量だけど妖気が感じるな。だがどうした?今はそうだろうけどな、お前元は人間だろう?人から妖へと身を変えてまで何を望む?」

「さぁね?俺がその質問に答えてあげる義理なんてないよっ!」


今度は煌から招杜羅へと斬りかかる。
その際、珊底羅から見て煌が招杜羅の影に隠れてしまような絶妙な角度から攻撃を仕掛ける。
これで珊底羅は迂闊に衝撃波を放つことができなくなる。


「っ、招杜羅!立ち位置に気をつけろ!!でなくば援護も容易にできない!!!」

「ちっ!んなこと言ったってなぁ・・・・・」


自分の体が煌と珊底羅の間に入り込んで、珊底羅の攻撃の邪魔をしていることは招杜羅もわかっている。わかっているので邪魔にならない様に移動してみてはいるのだが、煌が巧みに動いてそれを許そうとしない。


「へっ!小賢しい真似をしてくれんじゃねーの!!」

「何を言うのさ。これも立派な戦略でしょ?」


軽口を叩き合いながら、何度も切り結び合う。
何回目か剣を交え、距離をとった時、煌は妖剣に話し掛けた。


「ねぇ、不知火。少し暴れてみない?久々に許可出してあげるからさ」


煌は不適な笑みをその口元に浮かべると、手元の剣に視線を落とす。
それに呼応するかのように、妖剣が纏う気を増大させた。


「ふふっ!久方ぶりに暴れられるから嬉しいんだ?いいよ、命一杯力を解放して」


オオォォォン!

不知火の妖剣が喜びの喚声をあげる。


「いくよ・・・・・・妖狼咆振撃の舞」


煌は剣を構えると、それを真一文字に薙ぎ払った。

それと共に膨大な妖気が濃密かつ鋭利な斬撃となって招杜羅へと放たれる。
その様、正に狼が獲物に襲い掛かるが如し。


「なっ、くそっ!」


流石に剣だけで防げる攻撃ではないと判断した招杜羅は、咄嗟に横へと飛び退く。
が、ほんの僅かに回避が遅れたために数箇所に獣の爪で抉られたような切り傷を負う。

招杜羅は忘れていた。
煌・招杜羅・珊底羅はほぼ一直線に並んでいたのだ、招杜羅が攻撃を避ければもちろん珊底羅へとその攻撃は向かう。
しかも招杜羅が攻撃を避けるまでは、その攻撃は珊底羅にはほとんど見えていないのだ。
必然、防衛に遅れが生じる。


「!しまっ、珊底羅!!」

「くっ!」


自分へと向かってくる攻撃に気がついた珊底羅は、瞬時に自分の前方に障壁を築く。
が、何分性急に作り上げた障壁だ。無論通常の障壁よりその耐久性は劣るわけで・・・・・・・・。

パリィィン!

煌の攻撃を完全に相殺しきれずに、障壁が砕け散る。
もちろん珊底羅に回避する余裕などあるはずもなく、その身に攻撃をもろに食らった。

全身、至る所を切り裂かれた珊底羅は、そのまま立っていることもできずにがくりと膝を着いた。
その拍子にぱたぱたと赤い雫が地面へと零れ落ちる。


「珊底羅っ!!」


招杜羅は慌てて珊底羅の元へ駆け寄る。
それを見て、煌は余裕の笑みを浮かべて問い掛けた。


「――で?まだやる?やめた方がいいと思うな〜。というかそれが賢明な判断だと思うけど?さっさと立ち去ってくれる?俺は別にあんた達を殺すのが目的なわけじゃないし」

「・・・・・・今日のところは引くぞ、珊底羅」

「あ・・・・あぁ、すまない・・・・・・」


珊底羅に肩を貸して立ち上がらせた招杜羅は、ちらりと視線を煌に向ける。
煌は腕組をしていて、これ以上攻撃を仕掛けようという素振りはみせない。


「・・・・・・・・次は必ず貴様を倒してやる」

「ふぅん?勝手に言ってれば?あっ!そうだ。一つだけ・・・・・・・・・俺達に張り付けてる見張り、外してくれる?いくら罪のない動物っていったって、ずっと見張られてると殺したくなっちゃうから。ね?」

「・・・・・・・・」


招杜羅はその言葉には答えず、珊底羅を担いだままその姿を消した。
後には煌一人がその場に残される。





「良しっ!これで煩い視線は何とかできたかな?」





煌はすっきりしたような笑みをその顔に浮かべた。













邪魔者には容赦しないよ―――――――?



















                         

※言い訳
はい、やっとこさ更新致しました。
今回はアンケートで第三位の珊底羅を登場させました!・・・・といっても招杜羅の方が出張っていた気もします;;
煌、吉量を先に帰したのは招杜羅達と派手にやり合うためです。非戦闘要員の吉量をあまり戦わせたくなかったからというのが理由。一部のものにだけめちゃくちゃ優しい煌。かなり排他的な面もありますけどね。そして不知火の妖剣がかなり重宝した回だとも思います。斬撃を飛ばすことができるって、反則ですか?でも。『妖』剣なんですから、少しくらいありえない技があってもいいですよね?(聞くなよ;)あ〜、といいますか、色んな人と遭遇させ過ぎですか?一夜で三戦もするってどうよ?

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2006/10/12