知らない名前。









込められた想い。









自分はそれを知らない。









それを知りたいとも思わない。









それが変動のきっかけとなるのなら―――――――。

















沈滞の消光を呼び覚ませ〜参拾肆〜
















しん・・・・・・と静謐な空気を漂わせている木立の中、ある一本の太い木の前に煌(こう)は佇んでいた。

隙なく周囲へと視線を走らせた後、すっとその太い木の幹へと掌をのせる。
そして煌はそっと目を閉じた。
ゆらりと視認できるほどに強い気が煌から立ち上る。

と次の瞬間、その木を中心に淡い燐光が足元の地面から立ち上る。
煌の体がその燐光に包まれたかと思うと、瞬く間にその姿を消し去っていた。













「久嶺(くりょう)・・・・・・・・・・」

「あぁ、戻ったか。して、都の様子はどうであった?」

「夜だからほとんど人間はいなかったよ・・・・・・・・でも、陰陽師って奴らには会った。あっちの方士達より全然強そうだった」

「そうであったか。お目当ての陰陽師を見ることが叶うてよかったのぅ。・・・・・・・・しかし、その割には浮かない顔をしておる。何か嫌なことでもあったか?」


至っていつも通りの態度を振舞っていた煌であったが、久嶺には通じなかったらしい。
煌の纏っている空気のほんの微かな違いに気がついた久嶺は、全てを見透かすような態度で質問の言葉を投げかけた。
質問された煌は数瞬考え込むように黙し、すいっと視線を久嶺から外した。


「別に・・・・・・・陰陽師に会った後、神に座する者達に会った。それだけだよ・・・・・・・」

「その者達にでも何か言われたのか?少々、お前の気が乱れているぞ?」

「―――っ!」


言い逃れを許すような九尾ではない。
煌の気の乱れをすかさず指摘し、何があったのか説明を求める。

あまり口にするのは気が進まなかった煌は、喉の奥で唸るようなくぐもった声を漏らす。
不自然に視線を泳がせつつも、躊躇いがちに口を開いた。


「名前・・・・・・」


煌からぽつりと零された言葉に、九尾はぴくりと極僅かに動かした。


「知らない名前で、呼ばれた・・・・・・・・。もしかしたら俺のこと知ってたのかもしれない」

「それで?それだけなのか?お前が心乱された理由は・・・・・・・・」

「俺にも、よくわからないっ!突然、覚えのない光景が頭の中に流れるんだ。多分、失くした記憶なのかもしれない・・・・・・はっきりとした映像が残ってるわけじゃないけど、それしか説明のつけようがないし・・・・・・・・・」

「なに?記憶が??」


記憶が戻りかけたことを聞いた九尾は、今度こそはっきりと崩す。
自然と目元が険しくなり、形のいい眉も顰められる。

煌はそんな九尾の変化を具に見て、ビクリと肩を揺らした。
その顔に怯えの表情が滲むように広がっていく。

怯えの表情を浮かべる煌に気がついた九尾は、その表情を元の穏やかなものへと戻して努めて静かな声で問い掛けた。


「煌よ、どうしたのだ?その様な怯えた表情をして・・・・・・」


九尾はそっと煌の頬に手を添える。
それと共に煌の瞳も大きく揺らめく。


「久嶺・・・・・・。俺が記憶を取り戻したら・・・・久嶺、俺のこと嫌いにならない?」

「何故そのようなことを問うのだ?私がお前を嫌うなど」

「だって!俺だって元は人間なんだ!以前の自分がどういった奴なのかは知らないけどっ、人間は意思が脆弱な生き物だって知ってる!!記憶を取り戻すことで、もしかしたら俺も変わってしまうかもしれない!久嶺が嫌いな、浅ましい・・・・醜い生き物になるかもしれない。そんなの嫌だっ!俺は・・・・・・俺はっ!」

「ふっ、何を言い出すかと思えば・・・・・・我は記憶を失くす以前のお前を知っておるのだぞ?お前がそのようなものではないことくらい知っている。お前が仮に記憶を取り戻したとしても、傍にいてくれるなら別に構わないと思っている。お前の記憶が戻らない方がいいと思っていることも確かだが、それはお前が過去と現在の自分に挟まれて苦しい思いをするというなら、思い出さぬ方が良いと思ったからでしかない」


九尾は幼子をあやす様に、丁寧な手つきで煌の髪を梳く。
安心させるように、口元には淡く笑みを浮かべる。


「それとも記憶が戻れば我のことなどどうでもいいと思う位にしか、私のことを想ってはいないのか?煌よ」

「ちっ、違っ!そんなこと、ないっ!!久嶺のことが大好きだから・・・・・だからっ」

「わかっておる。不安であったのだろう?お前が我に寄せる情が薄いなどと、思う筈がない。そんなこと、わかりきったことだ」


必死に言い募る煌に、久嶺は苦笑する。


「安心しろ、我がお前を嫌うことはない。・・・・・・・・あるとすれば、きっとそれはもうお前がお前ではなくなった時なのだろう・・・・・・・・・・・」

「――え?それってどういう・・・・・・」

「眠りなさい」


不思議そうに見上げてくる煌に、九尾は言葉を遮って言の葉を紡いでその目を掌で覆い隠した。
それと共に煌の体から力が抜ける。
意識なくして倒れてきた煌の体を、九尾はしっかりと抱きとめた。


「・・・・・・・・ふむ、随分と成長したのぅ。前はあれほど小さかったというのに・・・・・人とは早く成長するものだな。まぁ、獣に比べればその成長もかなり遅いが・・・・・・・・・・」


獣はその体を一年としない内に大人のものへと変えていく。それに比べて人というものは、それよりも遥かに長い時間を掛けて体を完全なものへとしていく。
数年前に抱きとめた子供を思い出し、あの時より随分と高くなった背丈を見て感慨深げに言葉を紡ぐ。

真、不思議よのぅ・・・・・・。

ぽつりと零された九尾の声が、無音の世界に響いた。







                       *    *    *







雲一つなく、清浄と輝く月と星々を眺めていた瑠璃は、ふとこちらへとやってくる二つの気配に視線を天から地へと戻した。


「どうやら招杜羅(しょうとら)達が帰ってきたようだね」

「えぇ、そのようね」


彼女の傍に控えていた毘羯羅(びから)は、間延びしたような口調でそう告げた。
瑠璃もそれに頷き、彼らがやって来る方角へと視線を向ける。

しばらくした後、二人の下に彼らが姿を現した。

帰ってきた彼らの姿を見て、二人は大きく目を瞠った。


「招杜羅、珊底羅(さんてら)!一体何があったのですか?!」


いたるところに傷を負って姿を現した二人に、瑠璃は慌てて駆け寄る。
毘羯羅も素早く同胞二人に駆け寄った。


「これはまた・・・・・派手にやられてきたねぇ〜二人とも」

「毘羯羅、もう少し言うことはないのかっ!大丈夫か?とかよぉ・・・・・・・・・」

「う〜ん、招杜羅は至って大丈夫そうだね。珊底羅はしんどそうだけど・・・・・・・大丈夫かい?珊底羅」

「あ、あぁ・・・・・なんとかな」

「おい、こらっ!俺のことは無視か?!俺だって怪我してるんだぞ?それだっつうのにお前は珊底羅にしか声を掛けないのかっ!」


喚く招杜羅を見て『う〜ん・・・』と俯いて考え込んだ毘羯羅は、何かを思いついたように顔を上げた。
そしていつものぼへぇ〜っとした表情を、”さも心配してました”というものに作り変えてこうのたまった。


「・・・・・・・。大丈夫かい?招杜羅。僕、君のことが心配で心配で居ても立ってもいられなかったよ。あぁ、君の無事な姿が見れて心底安心したよ・・・・・・・・」

「だあぁぁぁっ!気色悪ぃっ!!これっぽっちも思ってないことを『いかにも心配してました』っていう迫真の表情を作ってまで言わなくっていい!!」

「我が侭だねぇ〜。一体どっちがいいのさ」

「普通に言えってぇーの!さっき珊底羅に言ったみたいにっ!」

「ダイジョウブ?ショウトラ」

「無表情、かつ片言で言うなっ!つか俺で遊ぶな!!」

「おもしろいのに・・・・・・・・」


もう、収集がつかなくなっている。

そんな阿呆な遣り取りを二人が行っている横で、瑠璃は珊底羅に癒しの力を使っていた。
淡い光が珊底羅の体を包み込んでじんわりと傷を治していく。
光が収まる頃には、珊底羅の体のどこにも傷など見当たらなくなっていた。

ほぅ・・・・と息を吐いた珊底羅は、瑠璃に向かって丁寧に頭を下げた。


「お手を煩わせて申し訳ありません、瑠璃様・・・・・・ありがとうございます」

「そのように頭を下げずともよいのですよ、珊底羅。攻撃の術を持たない私を、貴方達は護ってくれる・・・・・・自分では傷を癒すことのできない貴方達を私が治すのは当然のことです。それよりも、一体何があったのですか?貴方達が傷を負ってくるなど・・・・・そうあることではないですよ」

「あぁ、ご報告がまだでしたね・・・・・。実は―――――」



珊底羅は先ほどあったことを瑠璃に話した。



「―――というわけで、情けないことにこうして怪我を負って帰ってきてしまいました・・・・・・・・」

「それは仕方ないことです。貴方と招杜羅の二人を相手にしていても優位に立てる相手が強かったのでしょう。神といっても絶対普遍に強者であるという決まりはありません。それで煌、でしたか?確か九尾が気に入っているという者でしたね。彼が人間であったということは本当ですか?」

「はい。確かに妖気を感じ取ることができましたが、根本的な気は人間のものでした。きっと何らかの方法で妖力を与えられたものと思います」

「そうですか・・・・・・。しかし困ったことになりました。十二神将の方々は人を傷つけてはならないという理があったはずです。そうなると晴明様がお相手になさらないと・・・・・・でも、晴明様もお年ですし」


どうしましょうか・・・・・。

瑠璃は首を傾げて言葉を紡ぐ。


「ここは我らも手助けをした方がいいでしょうか・・・・・・」

「あの・・・・差し出がましいとは思いますが、我らがそこまであの方達に力を割く義理があるのですか?確かに我々はあちらと共同しておりますが、それは偏に『昌浩』という子供を取り戻すためであるのですから・・・・・・」

「珊底羅・・・・・いいですか、我々の本来の務めは多くの衆生を救うことです。九尾の目的が如何なところにあるとしても、人々にとって全く無害で済むはずがありません。被害を最小に食い止めることも、また我らの役目ですよ」

「!・・・・・・その通りですね。申し訳ありません、つまらぬことを言いました」


瑠璃の言葉にはっと顔を上げた珊底羅は、直ぐさま悄然と俯いた。
瑠璃はそんな珊底羅を見て、苦笑を浮かべた。


「よいのです。我らの加護に偏りがあることは否めないのですから・・・・・・・・貴方の言ったことも真実であると私も思います。・・・・先ほどの話では九尾の目的について、十二神将の方に話されたらしいとのことでしたね?今、丁度因達羅(いんだら)と安底羅(あんてら)が安倍邸に行っています。上手くすればその目的についても聞いているかもしれません。二人が帰ってくるのを待ちましょう」

「はい、それが賢明ですね・・・・・」


そうして二人は今はこの場にいない二名の大将の帰りを待つことにした。









後々彼らの本来の目的に通ずることは知らぬままに―――――――。

















                        

※言い訳
久々に九尾が出てきましたぁ〜。何か・・・・・・・・もう親子でいいや、親子!あぁ、最近煌が精神的に弱々しい気がする・・・・・・え?気のせいですか??それと、九尾は昌浩の記憶を奪っておいてなんですが記憶が戻ってもいいと思っています。まぁ、自分の所にいてくれれさえすればいいという考えです。あ〜、段々説明文が短くなってきてるなぁ・・・・・・。何かご質問がありましたら、何時もの如く掲示板にカキコしてください。

感想などお聞かせください→掲示板

2006/10/14