眼前を阻む分厚い見えない壁。









手を伸ばしたくても伸ばせない。









声を届けたくても届かない。









強制的に空けられた距離。









これが今の自分とお前の距離なのだろうか―――――――――?

















沈滞の消光を呼び覚ませ拾捌〜


















上も下も、右も左も全て黒に塗りつぶされた空間。


そんな空間に、紅蓮は一人佇んでいた。

くるりと周囲を見渡す。が、目に映るのは黒のみ。
何もない空間に溜息を落とし、取り敢えず歩き出してみる。

何となくこちらの方が良いのではないかという勘が働いた方向へ向かう。
こんな変わり映えのしない場所に突っ立っているよりも、少しでも何かが変わればと期待して足を動かす。
そうしてしばらくの間只管に足を動かしていると、ふいに前方にぼんやりと人影が見えてきた。

紅蓮はそれを訝しげに思いつつも、その人影に近づいて見ることにした。
近づく毎に段々と姿をはっきりとしたものにしていく人影。
その人影の容貌がはっきりと見て取ることができた紅蓮は、思わず息を呑んだ。


「昌浩っ!」


無音の空間に紅蓮の鋭い叫び声が響く。

しかし、紅蓮の叫び声に人影―――昌浩は気づかない。
昌浩は紅蓮に背を向けていた。だが、紅蓮にはそれで十分に昌浩だと知ることができた。
どうして自分の声に気づかないのかなどと考えるよりも先に、紅蓮は昌浩のもとへと駆け出していた。が―――。


「―――っ?!」


ばんっ!とその身体は見えない透明な壁によって行く手を阻まれた。
訝しげに眉を寄せつつ、紅蓮は自分の掌を前へと突き出す。
すると、目に映ることはないが確かに壁のようなものがあるということを触覚で知ることができた。
しかしそれを知ることができたということで何が変わるというのか。
これでは昌浩の近くに行けないと、苛立たしげに舌打ちをする。

昌浩に何とか気づいて欲しくて、紅蓮は己が手を傷めることも省みずに力強く透明な壁を叩いた。


「昌浩っ、昌浩!聞こえないのか?昌浩っ!!」


ダンダンッ!っと、紅蓮は何度も壁を叩いた。が、昌浩は気がつかない。


「こんのっ!昌浩っっ!!!」


ダンッ!!!

紅蓮はありったけの想いを込めて、目の前にいる子どもの名を呼んだ。
すると、ふいに昌浩はピクリと肩を揺らし、背後を―――つまりは紅蓮の方を振り返った。

二人の瞳が交差する。

紅蓮の姿を見た昌浩は、驚きにその目を大きく見開いた。


『ぐれん』


声こそ聞こえることはなかったが、その唇がそう動いたことがはっきりと紅蓮にはわかった。

慌てて紅蓮に近寄ろうとする昌浩であったが、やはりと言うべきか紅蓮と同じように見えない壁に阻まれて易々と近寄ることができなかった。
二人の間に分厚い透明な壁が横たわる。

紅蓮同様に壁を叩いていた昌浩であったが、やがて諦めたように叩くその手を静かに下ろした。
それを見た紅蓮も、仕方なしに叩く手を止めた。

ぐれん。と、昌浩の口が言葉を象る。
真っ直ぐに向けられる瞳は、何故かとても悲しげに見えた。
どうしてそんな悲しげな目をするのか。それを問いたくても声が届かない。尋ねることができない。

昌浩が徐に手を上げて、そっと見えない壁に添える。
手を伸ばしたくても伸ばせない。
その状況に紅蓮は悔しげに歯を噛み締めた。

これが現実でないことは理解できる。きっとこれは夢なのだろう。
以前の昌浩を求めて、自分の都合の良いように見ている夢。紅蓮はそう思っていた。
でなくてどうしてこんな漆黒の世界で求める者と会うことができようか。
これは夢に違いないと自分に言い聞かせつも、目の前で悲しげな顔を作る子どもを放って置くことなどできなかった。

夢でもいい。夢でもいいから会いたい。

そう思ったのは事実。でも、夢の中でまでこんな辛そうな子どもの顔は見たくはなかった。
どうか笑って欲しい。
笑っている子どもの顔が、紅蓮にとっては一番好きなものであった。
だから笑ってくれ。
そう思いを込めて子どもの掌に合わせるように、自分も見えない壁に手を添えた。

触れることはない掌。
でも、幻であろうと確かに伝わる温もり。


「待っていろ、必ず助け出してやるから」


声は届かない。
だが、その思いは確かに伝わったのだろう、子どもは悲しげな顔のままであったが微かに笑った。
それは泣き笑いにも似た笑みであったが・・・・・・・。

何故、そんな風に・・・・悲しげに笑う?
もっと嬉しそうに笑って欲しい。


「ま・・・・・・」


昌浩。ともう一度名を呼ぼうとした時、ふいに子どもの背後にゆらりと人影が現れた。
それに気がついた紅蓮は警告の意を込めて子どもの名を呼んだ。


「昌浩っ!」


紅蓮の焦ったような表情に気がついたのか、昌浩は怪訝そうな顔をして背後を振り返った。
そこには昌浩がいくらか成長したような姿の人物―――煌が立っていた。

無表情な煌は、黙って昌浩の腕を掴んだ。
そしてそのままぐいっと自分の方へと引き寄せる。
必然、昌浩は透明な壁―――つまりは紅蓮の傍から引き離された。


「昌浩っ!」


手を伸ばすこともできない紅蓮は、ただ子どもの名を呼ぶことしかできなかった。

腕を取り押さえられ身動きを封じられた昌浩は、それでも何とか煌の腕から逃げ出そうと足掻く。
そんな昌浩の抵抗を煩わしく思ったのか、ギリッ!と取り押さえる昌浩の腕に力を込めるのが離れた場所にいる紅蓮の目にもわかった。
昌浩の顔も痛みに僅かながらも顰められる。


「やめろっ!昌浩を放せ!!」


言っても無駄だとわかるが、それでも言わずにはいられなかった。
もう、夢だろうが現実だろうがそんなことはどうでもいい。
ただ、目の前にいる子どもが今、痛い目に遭っていることに我慢ならなかった。

ふと、煌が視線を捕らえた昌浩から紅蓮へと移す。
紅蓮の金眼と交差した瞬間、琥珀色の瞳が憎悪を宿しながらもひどく愉しげに歪められた。
眼同様、歪に弧を描いていた口がとてもゆっくりと動いた。


『お前達に返してなんかやらないよ』


もちろん声など聞こえるはずもない。
だが、紅蓮には煌が紡いだ言葉がはっきりと理解することができた。

煌は嗤笑を浮かべたまま、昌浩を引きずって踵を返した。
視線を外す瞬間、その琥珀の瞳が告げていた。

お前達に助けられるはずがない。と。

嘲笑うような視線で、何をしたって無駄だとそう言われた。


「ふっ!」


ふざけるな!と叫ぼうとした瞬間、グンッと力強く後ろに引っ張られるような感覚に襲われた。

離れてしまうと、直感的に悟った。


「昌浩!」


必死の思いで紡いだ言葉は、しかし遠ざかる背に届くことはなかった。













「―――っ!」


声なき悲鳴を上げて物の怪は飛び起きた。
生理的に閉じていた眼をカッ!と勢いよく開く。

素早く周囲へと視線を巡らせる。
眼に映りこんだのはここ数年で見慣れた―――昌浩の部屋であった。
周囲に気配はない。どうやら全員がたまたま部屋にいないらしい。
数度呼吸を繰り返した後、物の怪は大きく息を吸い、そして大きく息を吐いた。


「夢・・・・・・・か」


昌浩がいなくなってから三年。
どんなに焦がれようとも求める子どもの夢を見ることはなかった。
なのに今日に限って何故夢を見た?夢を見ることができた?
あれは本当にただの夢だったのだろうか・・・・・・・。

悲しげに笑った昌浩の顔が今でも鮮明に蘇らせることができる。
夢なら忘れてしまいそうなのに、霞むどころかしっかりと焼きついて消えることがないそれ。


「必ず・・・・・・・・・」


助けるから。








心に刻み付けるかのように、とても重みを含んだ声で物の怪は誰にも聞かれることのない声で呟いた。














ギリギリと締め付けてくる掌。

これでは掴まれている手首の部分はくっきりと痣ができてしまうだろうなと、ひどくどうでもいいことを心の内で呟いた。


手の感覚が無くなってしまうほどに強く握り締めている相手を見上げる。
己とは随分差のついた背丈に、三年という時の差を改めて感じた。

銀髪の―――成長した自分はただ無言のまませかせかと歩みを進める。
昌浩はそんな半歩先を歩く背中を、困惑気味に見つめた。

かなり歩いたというところで、己の手を掴んでいた相手は乱暴気味な動作で漸く開放してくれた。

漸く手を離してくれたと安堵の息を吐きつつ、掴まれていた手首へともう片方の手をそっと持っていく。
ふいにくるりと己に背を向けていた相手がこちらへと振り返った。

焦げ茶色の瞳と琥珀色の瞳がカチリと合わさる。


「随分、太い神経をしてるね?俺の支配下にあるのに、夢といえどあいつ等と会おうとするなんて・・・・・・」


すっと冷たい眼差しを宿した目が細められる。


「目、覚めたんだね」


昌浩は煌の言葉に答えずに、そう言葉を紡いだ。
煌はそんな昌浩の言葉に嘲笑を浮かべた。


「起きて欲しくなかった?夢といえど久々にあいつに会うことができたから?」

「・・・・・・・・・」

「俺がそんなこと、許すはずがないでしょ?何であいつらが喜ぶようなことをしてやらないといけないのさ。わかってる?あいつらが望むままの姿なお前を見たら、益々『俺』っていう存在が拒絶されるんだよ?『昌浩は別にいるんだ、あいつは所詮紛い物だ』ってね・・・・・・・自分で自分の首絞めてどうするの?」

「紅蓮達はそんなこと、言わないよ」


己が思っていることと、とてもかけ離れたことを言うもう一人の自分に、昌浩は憮然とした調子で否定の言葉を紡いだ。
しかしもう一人の昌浩―――煌は、酷く馬鹿にしたような視線を昌浩に向ける。


「どうだかっ!何でそんなことが言い切れるの?所詮は他人なんだよ?自分じゃない。わかりもしない他人の考えを、どうしてそう決め付けることができるの?それって酷く傲慢・・・・・。一方的は信頼って虫唾が走るね」

「どうとでも言えばいい。それで俺の意思が揺らぐなんてこと、絶対にないから」

「・・・・・・・・本当にこれが俺?一体どんな育ち方したらこんなのに育つんだろ?ちょっと過去の記憶に興味持っちゃった」

「茶化すな。俺は真面目に言ってる」


珍妙なものを見るかのような視線を送ってくる煌に、昌浩は不機嫌そのもので睨み返す。
それに煌は肩を竦めてやれやれと首を振った。


「お前が真面目に言ってることくらいわかるって。だからこそ茶化してるんじゃないか。俺とお前じゃ白と黒位に違いすぎて話にならないんだって。本は同じなのにね、どうしてこんなに違うんだろ?」

「育った環境、でしょ?それ以外に違いらしい違いなんてないだろ?」

「確かにそうだけどさぁ〜。この差はないよね。俺は一般基準ってものはよく知らないけどさ、それでも標準からしてもお前って人疑わなさ過ぎ。絶対おかしいって、異常だよ異常!どこか欠落してるんじゃないの?」

「異常って・・・・・・俺だって全く人を疑わないわけじゃないよ?第一、俺自身が信じなくって相手が信じてくれるって程、虫のいい話はないでしょ?」

「また偽善発言を・・・・・・。まぁ、いいや。こんなこと今更ぐだぐだ言ってもどうしようもないしね?それよりさ・・・・・・・なんで久嶺は駄目なの?」

「え?」


問われた内容があまりにも唐突だったので、昌浩は思わずきょとんと瞬きをした。
不思議そうな顔をする昌浩に、煌は若干苛立った様子で言葉を紡いだ。


「だぁーかぁーらぁー。何であいつらにはそんなに信頼を寄せて、久嶺には信頼を寄せられないの?俺は久嶺を信頼してるのに、さ・・・・・・・・」

「それを言ったらお互い様だろ?言ってること無茶苦茶だよ・・・・・」

「だって、俺は過去の記憶を・・・・・あいつらに関する記憶なんて何一つ持ってないしね。信じる信じないの基盤がそもそもない。けどお前は?『俺』の記憶、あるんだよね?ってことは久嶺に関する判断材料はあるってわけだ。その上で何が信じられないのさ」

「それを俺が言ったところで無駄だろ?お前は俺の言葉よりも九尾の言葉を信じる。違うか?」

「そうだね。俺はお前よりも久嶺の言葉を信じるだろうね。仮にお前が俺にとって面白くない久嶺の話を聞かせたとして、それを久嶺が否定すればそれは嘘になるんだから」


鋭く問い詰める昌浩に、煌は鷹揚に頷いてその言葉を肯定する。
それを聞いた昌浩は、思わず目を半眼にした。


「お前だって人のこと言えないじゃないか」


お前の絶対は九尾なんだろ?


「!確かに、ね・・・・。ふふっ、俺も異常か。根本は一緒・・・・なるほどね。俺もお前も一度信じたものは盲目的に信じるわけだ?うわぁ〜、そうわかったら自分にまで不快感が込み上げてきたよ。ほんと、もう最悪」


でも、それで久嶺を信じていられるんだったら、それでいいかもね。

煌は自分にさえも嘲笑を浮かべつつ、それでも晴れやかに笑った。


「うん。お前の考え、少しは認めてあげる。わからなくはないもんね、その気持ち。お前の絶対があいつらで、俺の絶対が久嶺なだけか・・・・・・・本当に平行線」


仕方ないね。と、銀髪の子どもは笑った。
それを黒髪の子どもは遣る瀬無く見つめた。















二つの星の輝きは、相容れることはないのだろうか―――――――?



















                        

※言い訳
はい、更新をとろとろと進めております。
今回は紅蓮と昌浩が再開!といっても夢の中ですけど・・・・・。え?昌浩は寝てるわけじゃないじゃんって?まぁ、そこは精神体だからって軽く流して置いてください。
そして煌が乱入。寝てたはずなのに、何かを感じて目を覚ました模様。すると昌浩と紅蓮が密会(なんか違うってそれ;;)してるし!はぁ?俺を差し置いて何してんの?的な気分で乱入したという裏事情。(や、どうでもいいだろ、それ)
はぁ・・・もう、何書きたいんだろ?自分でもわかんなくなってきた・・・・・。

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2006/12/26