いつも傍にあった温もり。









ずっと傍に在り続けると疑いもしなかった。









離れていくはずがないと、そう思い込んでいた。









変えられようのない現実。









温もりは手のひらを滑り落ちていった――――――――――。



















沈滞の消光を呼び覚ませ碌拾壱〜




















フォンッ!という唸り声と共に袈裟懸けに振られてくる槍を、吉量(きちりょう)は背後に大きく跳躍することによって避ける。

紅蓮達と大きく間合いをとった後、ちらりと己の背へと視線を遣る。
煌(こう)はいまだに気を失ったままである。

はっきり言って吉量にそれほどの攻撃力はない。精々相手を牽制するくらいだ。
気持ちとしては早々にここから離脱したいのだが、相手はそれを許してはくれないだろう。
何せ、煌とあってから何度も取り返そうと躍起になっている相手だ。いくら自分の足が九尾の配下の中で最も早かろうとも、怪我を追っている状態では不可能というものだ。
ここは煌が目を覚ましてくれるのを待つしかないだろうと判断した吉量は、その間相手の手が煌に届かないように避け続けることに意を決した。

風を切り、飛来してくる無数の矢を駆ける四肢に力を入れて回避する。
次いで二本の槍が突き出されてくるのを跳躍してかわし、着地した瞬間に懐に潜り込んで斬っ裂こうとする筆架叉と独鈷をその背を飛び越えることで何とか避ける。
その途端、横合いから破壊力抜群の斧が振り下ろさるも、それを辛くも紙一重で逃れる。

多数対少数での回避行動は冷や汗が流れてしかたない。
相手の攻撃をかわしたと思った途端に、別方向から他の者の攻撃が迫り来るのだ、気を緩める間もない。

しかし、この遣り取りで吉量はとあることに気がつく。
相手の攻撃は全部己の足元に集中しているのだ。
最初はそのことを訝しく思っていたのだが、己の背に煌を乗せていることを思い出し、それ故に彼らが煌が傷ついてしまう可能性のある背と胴体に攻撃してこないのだと悟った。

相手からして見れば、煌の存在を盾にとっているようで卑怯に感じるであろうが、吉量からして見れば煌と距離を置いた状態で彼の身を守ることなど到底無理なのである。
煌を守り通すためには、己の傍に置くことが何よりも安全だということだ。


「ちっ!なかなかにしぶといな・・・・・・」


紅蓮は自分達の攻撃を紙一重で避け続ける妖異を、苛立たしげに睨み付ける。

実際、目の前の妖はよくやっていると思う。
足に怪我を負った状態で、この人数を相手にしているのだ。その機動力と咄嗟の判断力、瞬発力は大したものである。
しかし、怪我を負った身でそう長くは持つまい。それが背に人一人乗せているのであれば尚更である。

案の定、そのすぐ後に波夷羅(はいら)の放った矢の一つが、吉量の後ろ足に突き刺さった。


「――――ッ!!」


元々足に怪我を負っていた吉量である。新たに生じた怪我の衝撃に耐え切ることができずに、その身をくず折らせる。
その際に、煌の身体が吉量の背からずり落ちる。


「!!」


そのことにいち早く気がついた吉量は、煌が己の背から落ちるよりも先に、地面との距離を少なくする。
有体に言えばなるべく横倒しにならないように(横倒しになれば真っ先に煌が落ちる)しながら倒れるという、やろうと思ってもなかなかできるようなことではないことをやってのけたのだ。

ドゥッ!と吉量が地へと倒れこむのと、煌が地へと転がり落ちるのはほぼ同時。しかし、その時点で煌の落下高さは三尺(約90cm)にも届かない程度であったので、それで煌が大きな怪我を負うことはなかった。

吉量はすぐさま立ち上がり、煌を連れてその場を逃れようとしたが、新たに負った怪我の所為でその動きはかなりぎこちなかった。

そしてその隙を神将・大将達が見逃すはずもない。
彼らは容赦なく吉量へと攻撃を加えた―――――――。










激しい衝撃と共に、煌の意識は覚醒した。

いや、覚醒というのは正しくないだろう。
その時点ではまだ煌の意識は夢と現実の狭間にあった。

(俺、一体どうしたんだっけ―――・・・・・・?)

どうやら自分が意識を失っていたことを薄々と察し、急いで意識を覚醒させようとする。
が、依然として意識は霧の中。何もかもが朧げに感じ、鮮明さの欠片もなかった。
何も掴み取ることができない意識に苛立ちを感じながら、煌は必死に意識を現実へと戻そうとする。
そうこうしているうちに、始めは靄がかっていた意識も段々とはっきりとしてきた。

と、ふいに温かい何かが、己の頬へと落ちてきたことに気づいた。

(温かい・・・・・何?)

それが何なのか、察することができなかった煌ではあるが、そのお陰で意識の覚醒も大分早まった。
やっと見えてきた景色に、己の目の前が翳っていることに漸く気づく。
何だろう?と徐に視線を上げてみた煌は、眼に飛び込んできた光景に、今度こそ完全に意識を取り戻した。

最初に目に映った色は赤。
その色の出所はというと――――己の目の前を翳らせているそれであった。
では、それは何か?
それが何かを悟った時、煌はそれこそ衝撃に目を大きく瞠った。



それは・・・・・・己がよく見慣れた妖―――――吉量であった。



「――ぇ、きち・・・・りょ、う?」


呆然と、ただ呆然と。煌は目の前にある光景を見つめていた。







目の前にある光景。
それは全体的に白かった毛並みを、真紅に染め上げた吉量の姿であった――――――。







煌が意識を取り戻したことに気がついたのだろう。
吉量はぎこちない動きながらも、その首を煌の方へと巡らせ、その瞳に煌の姿を映した。
ふっと、その黄金色の眼を軽く細めると・・・・・・・・その身を完全に地へと沈めた。


「―――え?・・・・え?きち・・・吉、量?」


煌はいまだに目の前で起こった光景に思考が追いつけず、困惑した表情で地に伏せる吉量を見遣った。

だくだくと広がっていく赤の泉に、彼の妖が怪我を・・・・それもかなりの深手を負ったことに漸く気がついた。


「――っ、吉量!!?」


その瞬間。煌は自分がどんな状況にあるのかを全部忘れ去って、ただ目の前の血溜りに身を浸している妖へと駆け寄った。

吉量を斬り伏せた当の神将・大将達は、その光景を複雑そうに見ていた。

慌てて吉量へと駆け寄った煌は、己の着るものが血に濡れることも厭わずに、その血溜りへと膝をついた。
そして、いまだに開かれている黄金色の瞳を恐々と覗き込んだ。
琥珀色の瞳と黄金色の瞳がぴたりと一直線上に並んだ。


「吉量・・・・?ねぇ、どうしてっ!どうしてこんなことっ・・・・・・・!!」


一体自分が意識を失っている間に何があったのだろう?

煌は冷静に状況判断する力を放棄し、ただ目の前にある現実のみを見つめた。
己のすぐ傍に敵対する者達が立っているのだが、そんなことなど動転している煌が視界に入れることなどできるはずもなかった。


「きちっ・・・・・吉量っ!」


名前を呼ぶと、それに応じるように黄金色の眼が瞬いた。

吉量は視界に煌の姿を納めながら、ゆっくりと視線を上から下へと動かした。
その行為を何度か繰り返した後、吉量は目の力を緩めて安心したように瞬きをした。
煌はそこで漸く吉量が己の無事を確かめていたことに気がつく。

煌が見た目にもひどい怪我を負っているはずもない。それこそつい今まで煌が怪我を負ったりしないように吉量が気を砕いていたのだから・・・・・・・・・・。
わかってはいても、吉量は煌の無事を確認したかったのだ。これで彼の子どもに怪我があるようでは、きっと己を許せなくなるだろう。


「ばかっ!俺が、怪我してるなんてこと・・・・お前がいてあるはずがないだろっ!それより、自分の怪我のこと、気にしろっ!!!」


吉量の思考を何となく察した煌は、目の端に熱が集中することを抑えることはできなかった。


「俺が攻撃する術は持っていても、癒す術をもっていなことくらい、お前、ちゃんと知ってるだろっ!!」


今吉量の身体を染め上げている紅にも似た朱の鬣をぎゅっと握り締めつつ、煌は歪む視界を無視して吉量を睨み付けた。

そう、この妖が知っていないはずがない。
何せ煌が煌として生き始めた・・・・割と最初の頃から、この妖はずっと自分の傍にいた。
煌にとって、久嶺とはまた別の意味で変え難い存在であった。
その吉量が、煌のできること、できないことくらい知っていて当たり前なのだ。だというのにっ!


「お前、なんでそんな大きな怪我っ!負ってるんだよっ!!!」


ばかじゃないのっ!?

煌は苦しげに、言葉を吐き出す。
孕む熱が目から零れ落ちたりしないように、きつく瞼を閉じる。
と、ふいに間近に温もりを感じた。

さわり・・・・と、煌の月影色の髪が揺れ動く。
いつの間にか吉量がその鼻面を寄せてきて、その口先だけで己の髪を甘噛みしていた。


「・・・・ぁ・・・・・・・」


その光景が、在りし日と重なって見えた――――――。











それはまだ煌が九尾の配下になって間もない頃であった。

いくら九尾の力を継ぎ、半妖化が可能になったとしても所詮は元人間。
九尾の配下の者達の視線は冷たく、反感を強く抱いている妖達など、それこそ数多にいた。
今でこそ九尾の片腕と認められている煌ではあるが、当初の彼への風当たりは冷たいものであった。
そんな中、煌に冷たい態度をとらなかったのは、主である九尾とその周りを取り囲む側近の妖、そして九尾の命令で昌浩につくことになった吉量だけであった。

その日は、九尾は外せぬ用があって側近の妖達を引き連れて住処を空けていた。
常々九尾の傍にいて彼の主に守られていた煌へと、不満を抱いていた妖達はいい機会だと思い、面と向かって悪意の言葉を叩きつけた。
もちろん、そんなことは表立ってなかったものの日常茶飯事のことであったので気にしないように努めていた煌であったが、精神安定の役割を担う九尾がいない所為もあって、その日はひどく落ち込んでしまった。
そんな中煌の傍に常についていた吉量は、突然煌を自分の背へと引きずり上げ、森の中を疾駆し出した。

一体何事かと驚いていた煌であったが、驚きが覚めやらぬうちに吉量の目的の場所へとついたようであった。


「うわぁ・・・・・!」


そこは小さな湖であった。
その場所は九尾達の住処から随分と離れた場所にあったためか、陰鬱とした空気とはかけ離れた、とても穏やかで綺麗であった。

しばしの間自然の美しさに魅入っていた煌は、ふと己の髪をくすぐる感触に気がつき、そちらへと視線を動かした。
すると、吉量がその鼻面を寄せてきていて、その口先だけで己の髪を甘噛みしていたのであった。
何か声を発するわけでもなく、ただ静かな仕草でさわりさわりと己の髪を揺らす吉量。

穏やかに己を見つめてくる黄金色の瞳に気がついた瞬間、煌は己が慰められていたことを唐突に理解した。

そう、慰められていたのだ。
妖である吉量に・・・・・・己に悪意をぶつけて来た妖と同じ妖に、だ。
唖然と、目を丸くして見つめてくる煌を、吉量はとても穏やかな眼で見つめ返した。


それが煌と吉量との距離を近づけた、大きな出来事で大切な思い出であった―――――――。











そう、自分は知っている。

吉量が己の髪をくすぐる意味を。



それは、己を慰める行為―――――――。

そう、慰める・・・・・・。
何故、慰めるのだ?慰められるほどに悲しいことなんて、ないのに・・・・・・。
確かに、吉量が怪我を負ったことは悲しい。悲しいけれども、それよりも先に悔しさを感じる。己がついていながら・・・・・と。だから、慰められるほどに悲しいわけじゃないはずなのに。はずなのに・・・・・・・。

では、何故・・・・・・?


「・・・・・ぁ、だめ・・・・だめだからね!俺をおいて勝手にいなくなるなんてさっ!そんなことしたら俺、怒るからね!!」


慰めの真意を悟った煌は、焦ったように早口で言葉を連ねる。

許さない。許せるものか。己をおいて、手の届かぬところへ行ってしまうなど・・・・・。絶対に、許せない!!!


「きち!・・・きち、りょうっ!吉量!ねぇ、何とか言ったらどうなのっ!?」


お願いだから、いつものように何でもないよって、黄金色の瞳で返事をしてよ!

今、正に失われようとしている命に、縋りつく子どもは懸命に言葉を紡ぐ。
少しでも、失くなっていく意識を繋ぎとめようかというように・・・・・・・。


「吉量・・・・・吉量っ・・・・吉量ってば!」


煌は妖の名しか紡ぐことができない己の口を、ひどくもどかしく思った。
もっと言葉を紡ぎたいのに、口から零れる音は、妖の名前しか音として形を取らない。

己の首を抱きしめる子どもを、吉量は愛しく思った。
もう少し、子どもと一緒にいられたら・・・・・・・。そう、思考の片隅で思う。
しかし現実は無情だ。
命の刻限は、もうすぐ目の前にまでやって来ていた。

焦りの表情を浮かべる煌の髪をもう一度だけ甘噛みし、吉量はすっとその顔を離した。
いってしまわないで!と、必死に訴えかけてくる琥珀色の眼が視界に映った。

ほんの刹那の間、琥珀と黄金が重なった。

そして、吉量はふっと一度瞬きをした後、首をもたげる力を抜いた。
ぱしゃりと、紅の飛沫が飛び散った。


「え・・・・?きち、りょう?」


煌は紅の泉に沈んだ吉量を、信じられない面持ちで呆然と見遣った。
吉量はぴくりとも身動きを取らなかった。


「あ・・・・・・あ、
ああぁぁぁあぁぁぁぁぁっ!!!!!


身動きを取らない理由。それを悟った時、煌は絶望という名の悲鳴を上げた。
煌の上げる悲鳴が、漆黒の闇を切り裂いていく。

そんな煌の悲鳴を、神将・大将達はそっと目を伏せながら聞いていた。

目を大きく見開き、熱い透明な雫を零しながら、煌は慟哭の声を上げ続けた。


「あぁぁ、ぁぁ・・・・・」


初めは大きく上げられていた声もやがて小さくなり、そしてすすり泣く声に変わった頃、神将達は声をかける決心をした。


「・・・・・・煌・・・・・・・」


紅蓮が代表して、煌に声をかけた。

煌はその声にぴくりと反応し、俯けていた顔をゆるゆると上げた。
そして、漸く神将・大将達の姿をその目にへと映した。

途端、悲しみに暮れていた瞳の色を怒りへと染め上げた。


「十二、神将・・・・・・十二夜叉大将・・・・・・・・・・・お前達が・・・・・・?」


言葉の形式は疑問をとっていたが、その瞳は憎い仇を見るものであった。

暗い光を目に浮かべてこちらへと真っ直ぐに視線を向けてくる煌に、彼らは息を詰まらせる。
こうなることは十分予想できた・・・・・・。
けれどいざそれを向けられると、胸が激しく痛みを訴えた。


・・・・・・ろ・・・・・やる・・・・・・・

「・・・・・煌?」

「・・・・・・して、やる。
お前達全員!殺してやるっ!!!


瞬間、今までに感じたことがないくらい苛烈に、妖気が爆発した。
ゴアッ!!と、闇色の空間をピリピリと肌を刺すような殺気が覆い尽くしていく。


「煌・・・・・・・・」

「気安く呼ぶな」


紅蓮の呟きにも似た声を、煌は冷徹な声で叩き落す。











目を開けた彼らの前には、琥珀色の瞳を冷然と輝かせた煌が立っていた―――――――。
















                        

※言い訳
はい、漸く続きを更新できました!気づいたらもう六十話越えしてたんですねぇ・・・・・・・・。
今回は切ないお話に仕上がった気がします。吉量、ごめん。
少し過去編を交えながら、煌と吉量の仲の良さを書けたのではないかと思います。
感想、質問、並びに誤字脱字がありましたら、いつものように掲示板にてお知らせ下さい。

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2007/7/15