頬に感じた暖かな温もり。









覗き込んでくる瞳は心配そうに揺れていた。









ざわりと、胸の奥底がざわめいた。









生を受けて以来初めての感覚。









その瞬間、世界が色を変えた―――――――――――。


















沈滞の消光を呼び覚ませ碌拾弐〜

















漆黒の空間。

阻む妖達を容赦なく屠りながら、晴明達は目当ての相手の許へと辿り着いた。
足を向けたその先に闇に浮かび上がるような銀色があった。


「久しぶり、と言っておこうか?安倍晴明と人に下りし神達よ」


妖達の頂に立つ妖――九尾は、金の瞳を鋭利に輝かせてそう言った。
対する晴明も、その表情を険しいものにしながら彼の妖を見返した。


「九尾・・・・・我が孫を帰してもらおうか」

「断る。あれは我のもの。我の唯一の眷族。何故貴様らに帰してやらなければならない?」

「あの子はお主のものではない」

「いいや、我のものだ。十と三年あまりも前からな・・・・・」


九尾はそう言って過去へとその意識を向けた。







                       *    *    *







『人の子よ、随分と稀有な魂を持っているのだな・・・・・・』

『?・・・・あなたはだれ?』


海に浮かぶ小さな島国。そんな中たまたま通りかかった邸の中より、ふいに感じ取れた気配に惹かれ九尾は気まぐれにもその気配の主に会った。
気配の主はいまだ年が片手にも満たないほどに頑是無い幼子。
幼子には妖を見る力があるのか、隠密行動のために力を最小に押さえ込んだ九尾の姿を真っ直ぐと見つめ返してきた。


『とても透明な魂・・・・この年になってまで何ものにも染まっておらぬとは珍しいな。ん?微かに妖の気が混じっているな・・・・・お前は混血か?』

『こんけつ?』

『いや、何でもない。お前に問うても理解に及ぶものではないだろうからな・・・・・・ところで、人の子よ。お主は何故そうも平然としていられる?』


目の前にいる子どもは九尾の言っていることの半分も理解していないのだろう。ぱちくりと目を瞬かせながら九尾を不思議そうに見上げてくる。
そしてそんな子どもを、九尾はさらに不可解なものを見るかのように困惑した目で見返した。
今、身に纏う気をかなり最小に抑えている九尾であるが、妖――しかも数多いる妖の頂点に立つ大妖と同じ妖達からも恐れられている存在である。気配に敏感な子どもであればそれを察することができるはずであり、それによって怯えるなり泣くなりなんなりするはずであるのだが・・・・・。
しかし今己を見上げてくる子どもは怯えて泣くどころか、じぃっと九尾の顔を凝視してくる始末である。これを不可解に思わずに何を不可解に思えというのだろうか?
なので、九尾は思わず子どもに問いかけたのだ、どうして自分を恐れぬのかと・・・・・・・。


『お前とて我が見えているのならわかるはずであろう?我が纏う気配を・・・・・』

『けはい?うん、わかるよ。あやかしでしょ?』

『そこまでわかっているのなら何故我を恐れぬ?』

『こわい?どうして??』

『どうして、とは・・・・・・』


寧ろ逆に問われても困る。

九尾が今まで長い時を生きてきた中で彼の妖を恐れぬものなど誰もいなかった。
人間ならば言わずもがな九尾のことを恐れたし、同じ妖達とて恐れを抱かないものはいなかった。彼の配下である妖達でさえ表面上はともかくとして、その心の奥底では畏怖と恐怖心を抱いていた。
それがわからない九尾ではない。
だというのに今目の前にいる子どもはその誰もが抱いてきた九尾に対する恐怖心というものを抱いていないのだ。これを稀有だと言わずにはいられまい。

僅かの間ながらに己の思考へと沈んでいた九尾は、ふと己の頬に寄せられた微かな温もりに意識を現へと引き戻した。


『だいじょうぶ?なんか・・・・・いたそうなかおしてるよ?』

『――っ!!』


心配そうな表情で己の顔を覗き込んでいる子どもの瞳とかち合う。
今まで一度も向けられたことない類の眼差しに、九尾は思わず息を呑んだ。
と、そこで漸く子どもの小さな手のひらが九尾の頬へと添えられていることに気づいた。
そしてそんな子どもの行動に尚更九尾は驚きを禁じえなかった。
妖達の頂点に立ち、孤高の存在としてあり続けてきたこの大妖・九尾に向かって心配し、あまつさえ手を伸ばして触れてくる存在など今までありはしたか?いや、いない。この目の前にいる幼子のみがそれを成し得た。

凍てついていた心の奥底に何とも言えぬ波紋が広がる。
生を受けてから幾星霜。いまだ感じたことのない心の震えを今日、たった今感じている。
そして理解した。

あぁ、これが歓喜という気持ちなのだと・・・・・。

それを理解すると共に、胸の奥のざわめきがより一層高まる。
全身をえも言えぬ不思議な戦慄が駆け抜けた。
そして自分でも気づかぬうちに言葉が口をついて出ていた。





『―――人の子よ、我の唯一の眷族になるつもりはないか?』





九尾の問いに初めは戸惑いを隠せない様子の子どもであったが、それでも最終的には「是」と応えてくれた。
眷族になるということがどういうことなのかきちんと理解などしてはいないのだろうが、それでも子どもが良いと応えてくれたことが何よりも九尾を喜ばせた。
そして子どもを己の眷族へとするために契りを交わした。が、その最中で思わぬ邪魔が入った。
そう、丁度その場を通りかかった薬師瑠璃光如来――瑠璃が二人の遣り取りを阻止するべく間に割って入ったのであった。
その時点で二人の魂を分かち合うという作業が終わっていたのだが、力の譲渡が途中で遮られてしまった。
すぐにでも子どもを連れてその場を去りたかった九尾であるが、しかしそれを薬師如来が尽く妨げた。
仕方なく子どもを連れ去ることを断念した九尾は、しかし時を置いて必ず子どもを己が手元へと連れてくることを胸に誓い、その場は一旦退いたのであった。


『ルイよ。今までの遣り取りは見ていたか?』

『はい、しかと・・・・・』


気配を潜めて一部始終を見ていたルイは、主の問いに答えた。


『今は時期尚早と思っておくことにする。が、あれは最早我のもの。何れこの手元へと引き寄せよう』

『・・・・・・主の御心のままに』





その後十年の時を経て、九尾は己の宣言どおりにその子どもを手に入れた――――――。







                        *    *    *







「貴様らが何と言おうとも、あれは我のもの。あれも今はそう思っている・・・・・・」

「それはお主が昌浩の記憶を失わせたからではないのか?」

「なに、過去の記憶は不要と判断したまでだ。過去の記憶が・・・・お前達という存在があれを縛る鎖となっていた。我はそれを失くし、こちらへと来やすいようにした。それだけだ」

「ちょっと、ちょっとぉ!それって結局は自分の都合のいい動きを昌浩にさせるために記憶を失くさせたってことでしょ?!」

「お前のその主張は身勝手からくるものだ。それは昌浩のことなど一つも考えた行いではない」


あまりにも自分勝手な九尾の物言いに、太陰と玄武が反論する。
他の者達も、それぞれ険しい表情で九尾を見据えていた。
それに対し、九尾は何てことはないように嘲りにも似た笑みをその口元に浮かべた。


「己が本位で何が悪い。本来、妖というものは己の利を追うもの。己の欲に忠実なもの。欲しいと思えば何が何でも手に入れる・・・・・そう性のものだ。我もまた妖。我はあれを手元に置くために、その手段を選ばなかった。そう、記憶を失わせてまでもな・・・・・・・」

「そうか・・・・・ならばもう何も言わん。あれを必要としているのはわしらも同じじゃ。どの道お主を倒すしかあれを取り戻す方法がないじゃろう」

「ほぅ・・・・。ならばかかってくるがいい!大妖・九尾と恐れられるこの我に向かって!!」

「もとよりそのつもりじゃよ・・・・・。お前達、援護は頼んだぞ」

「「「「「「承知」」」」」」


晴明は己の背後に控える神将達にそう声を掛けると、呪文を唱えだした。
神将達は主の意を汲み、主が無事に術を完成させるまでの間九尾の相手を務める。

強大な妖気と、凄烈な神気が漆黒の空間で激しくぶつかり合う。










こうしてそれぞれの場所で、終幕に向けての戦いが始まったのであった――――――。











                        

※言い訳
はい、久々の更新です!今回はじい様達vs九尾の一歩手前あたりまでのお話です。
書いていて思ったこと。長いお話を書いていると、以前書いた内容を忘れがちになってしまう・・・・・。前に昌浩失踪以後編の終わりあたりでちょこっとさわりだけ書いた内容を、九尾視点で今回書いてみました。
内容的に違和感があったとしてもそこは目を瞑ってください。以前のお話を書いてから間も空いていますから・・・・。

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2007/8/28