ごうごうと燃え上がる火の手。 恐怖に歪んだ瞳。 命乞いの言葉と共に差し出された頑是無い命。 あまりの醜さに込みあがる吐き気を断ち切るように白銀の刃を振り下ろした―――――――。 |
沈滞の消光を呼び覚ませ〜漆拾伍〜 |
ぱりぃぃん! 硬質的なものが割れ落ちるような音が鼓膜を振るわせる。 その音と共に晴明達の眼前の景色が大きく歪む。 相対している煌(こう)と九尾の姿も大きく歪み、一瞬その形状を原型がわからないほどに崩した―――と思ったら何事もなかったかのように元の姿を取り戻した。 その様子をつぶさに見ていた晴明達は、正常を取り戻した景色に思わず息を呑んだ。 「なっ・・・・・・・んだ、と?」 歪みの消え去った視界。 眼前に煌と九尾がいることに変化はない。だが、そこには確かに大きな変化が存在していた。 それは―――――― 「彰子、姫・・・・・・・?」 呆然と紡がれる名前。 戸惑いと驚愕に見開かれた視線の先には、表情を曇らせながらも心配げな眼差しを向けてくる彰子の姿があった。 そう、心配げな眼差しを『向けてくる』彰子の姿。 ばっ!と慌てて視線を地面に向けてみると、そこには血濡れで横たわる少女の姿も、赤黒い水溜りも見られず、ただただ綺麗な地面が広がっていた。 地面と佇んでこちらを見ている彰子の間を何度か往復した後、混乱した頭でこの状況の説明を求めるように少女の隣に佇んでいる煌へと視線を向ける。 「煌、これは一体・・・・・・・・今まで見ていたのは幻覚、だったのか?」 「・・・・・・・・・・」 その場にいた全員の気持ちを代弁するかのように口を開いた紅蓮。 しかし煌はそんな紅蓮の言葉などその耳に届いていないのか、煌は琥珀色の眼を見開き、硬直したまま真っ直ぐ紅蓮を見つめ続けている。 余程衝撃を受けたのか、その顔から血の気は完全に引いており、微かに震えを帯びている唇は言の葉を紡ぐことなく呼気の通り道の役目しか果たしていなかった。 「煌・・・・・・?」 そんな煌の様子を見て、紅蓮は訝しげに煌の名前を呼ぶ。 「な・・・んで、何でそんなに、強く昌浩を求められるの・・・・・・・?」 「何で、か・・・。その答えは簡単だ。俺がお前を必要としているからだ。過去だとか現在(いま)だとか・・・そんなことは些細なことだ」 己を恐れることなく掴んでくれた小さな手、血塗れになっても尚欲してくれた子ども。 必要としてくれた。 その手に、言葉に、どれだけ救われたことだろうか。 相手が必要としてくれているのと同じように―――いや、それより何倍も強く自分の方が相手を必要と思っているのだ。 だから、ちょっとやそっとのことで諦めてやれるほど、やわな気持ちなど持ち合わせていない。 煌として対峙していた時だって、その眼には恐れ一つ浮かべることなく真っ直ぐにこちらを見つめてきていた。 そのような態度をとれる者がどれほどいようか?そういるわけがない。 故にこうして揺らぐことなく、求めの言葉を強く口にすることができる。 「お前が、必要なんだ」 ただひたすらに、真摯な眼差しを対峙する子どもへと注いで思いの丈を告げる。 揺らぎない金眼に射抜かれ、煌は無意識のうちに一歩後ろへと下がった。 心の奥底がざわりと蠢く。 そんな己の心の動きを認めたくなくて、煌はきっと紅蓮をきつく睨み返した。 晴明達は二人の様子を息を詰めて見守っている。 子どもの存在を誰よりも強く求めていたのが彼の神将であるということは、この場にいる誰もが知る事実。 神将の心からの言葉が子どもへと届きますようにと、皆が祈った。 きりきりと糸が張り詰めているような空気がその場を包み込む。 しかし、そんな空気長続きはしなかった。 九尾の低く、短い笑い声によって―――――――。 「ふっ・・・どうやら賭けはこちらの負けのようだな?煌よ」 「っ、久嶺!」 「・・・・・・・・賭け?」 九尾の言葉に険しい表情を浮かべる煌と怪訝そうな表情を浮かべる晴明達。 上げられた問いかけの言葉に、九尾はにぃっ!と口の端を持ち上げてさも面白げな表情で答えを返した。 「そう、賭け事を・・・・・・お前達が求めて止まない愛し子と、な」 『昌浩(様)っ!?』 「・・・・・・して、賭け事の内容とは?」 九尾の口より語られた意外な存在に、一同驚きの声を上げる。 そんな中、晴明は気を取り直して賭けの内容を九尾へと問う。 「ふむ・・・・我が親切に教えてやる義理はないのだが・・・・・・・よかろう、お前達に全く関係がなかったわけではないからな」 九尾は意地悪げな笑みをその口元へと乗せつつ、賭けの内容について話し始めた―――――。 * * * 「賭け事を我とせぬか?」 「・・・・・賭け事?」 精神世界の奥底で、九尾は昌浩へとそう問いかけた。 九尾の唐突な申し出に、昌浩は怪訝そうな顔をする。 九尾は昌浩の言葉に首肯し、更に言葉を紡いだ。 「そう。もしもお前が賭けに勝てたのなら、お前の精神をここへと縛り付ける我の力を緩めてやろう」 今現在、煌が主人格として意識の表層へと出ているが、それは偏に煌という人格が昌浩という人格を圧倒的に押さえ込んでいるだけというわけではない。 昌浩の体内に取り込まれている九尾の一尾が煌という人格を強固なものとし、昌浩という人格を深層心理の奥へと押し止めているからでもある。 どちらか一方ならまだしも、この二つの存在が昌浩の意識を表層へと出ないように足止めているのだ。 九尾はその片方――九尾の力である一尾の縛りを緩めてやろうと言っているのだ。 「力を緩める、か・・・・・・・。それで?賭けの内容は?」 「なに、賭けと言っても簡単なことだ。お前を取り替えそうとしている者達・・・・あやつらが真にお前を取り戻したいと思っているかどうか、少し試してみようと思ってな」 「試す?」 「そうだ。例えば、あやつらの目の前で今日連れて来た娘を煌が殺して見せる・・・・とか」 「なっ!?」 「人殺し――しかも極親しい人間を殺したお前を見て、それでも尚お前を取り戻したいと切に思う者がいるかどうか。どうだ?なかなか面白い余興であろう?」 いつの間にかその距離を詰めてきていた九尾は、くつりと喉の奥で哂いながら昌浩の顔―――厳密にはその瞳を覗き込む。 そんな九尾の行動に、驚愕で固まっていた昌浩ははっと意識を取り戻すと九尾から慌てて距離をとろうとする。しかし、九尾は昌浩の腕を掴むことによってそれを防いだ。 ぐっと更に顔を近づけ、九尾は己の口をその耳元へ近づけるとそっと吹き込むように囁いた。 「あの娘の返り血を浴びながら悠然と立つお前―――果たして、その姿を見てもあやつらはお前を求めるか?」 「っ!」 耳朶をくすぐる笑いを含んだ声。 その声と共に語られた内容に、昌浩は鋭く息を呑み身を強張らせた。 彰子を自分の手で殺す。 遠回しではあるがそうはっきりと語られた筋書きに、戦慄が背筋を駆け下りていく。 そこに自分の意思がなくとも、己が手で彼の少女の命を刈り取る。考えただけでもおぞましい。 完全に硬直してしまっている昌浩の耳に、くすりと九尾が小さく零した笑い声が届く。 思わずその笑い声の出所へと眼を向けると、一対の金眼とかち合った。 「ふっ、今更そのように情けない顔をして・・・・その手は既に他者の血で濡れているだろうに。まぁ、今回は戯れであるから、我が幻を作り出してあやつらに見せてやることにしよう」 九尾はすっと詰め寄っていた身を離す。それと共に圧迫感が薄れた昌浩は小さく息を吐いた。 「さて、賭け事の内容は把握できたか?」 「それは・・・・うん。でも、俺はまだその賭けに参加するとは―――」 「では、このまま何もせずに心の奥底に閉じ込められることを良しとするのか?」 「そんなことは・・・・・・・・・・・」 「決まりだな。さて、話も纏まったところでそろそろ引き上げるとするか」 思い通りにことが進み、にっと会心の笑みを浮かべた九尾は徐に踵を返した。 今にもこの場から姿を消してしまいそうな九尾の背に、昌浩はふと思いついた疑問を投げかけた。 「・・・・俺が賭けに負けた時は?どうするんだ?」 昌浩の疑問に、九尾はその場で足を止めて振り返って答えた。 「何も」 「何も?」 「そう、お前が賭けに負けた時は現状のままであるからな。特に何をと要求することはない」 「それは・・・・・この賭けをすること自体そちらに得がないじゃないか」 「そうだな。まぁ、戯れ故いくらか不利があった方が面白みが増すであろう?その程度のことだ」 そう言い置くと、今度こそ九尾はその空間から姿を消し去っていった。 後に残ったのは、困惑の表情を浮かべた昌浩のみであった――――――。 * * * 「―――といった賭けをしておったのでな、結果は我の負けということだ」 「縛りを、緩める・・・・・・・・」 「そういう約束であったからな。煌」 九尾は己の傍へと来るように煌の名を呼ぶ。 だが、煌は首を激しく横に振ることによって拒んだ。 「嫌だ!今あいつの抑えを弱めるなんて・・・・・・」 「不安か?」 「・・・・・・・・・・・」 沈黙は肯定。 九尾の言葉に、煌はきゅっと唇を噛み締めた。 九尾から賭けの内容を聞いた時、快諾とはいかなかったが確かに煌の意思で了承した。 万が一賭けに敗れることがあっても、煌自身の意思を強く持てば昌浩の人格を抑え込むことは容易いと判断したからだ。 だが、それを了承した後に予想外の出来事が起こった。そう、過去の記憶を取り戻すという予想外の出来事が・・・・・・・。 それによって煌自身の意思が揺らいだとか弱くなったとは思っていない。むしろ過去に呑まれるかと発奮しているくらいなのだ。 だが、それでも一抹の不安は残る。もし記憶を取り戻してしまったことで昌浩の人格が煌という人格を凌駕してしまうほどに強まってしまわないかと・・・・・・。 その不安から、了承していた賭けの褒賞を拒絶するに至ったのだ。 そんな煌の不安など九尾はお見通しなのだろう。 九尾は煌に向けて悠然とした態度で笑みを浮かべた。 「大丈夫だ。お前がお前であることを望むなら」 「久嶺・・・・・・」 九尾の笑みを見て勇気付けられたのか、煌はこくりと黙ったまま頷くと九尾の傍へと歩み寄った。 九尾は煌の動きを見て、妖の姿から人型へと姿を変える。 九尾は傍へとやって来た煌の頭を数度撫でると、すっとその指先を煌の額の上で止めた。 「では、一度我の一尾を返してもらうぞ」 九尾がそう呟くと同時に、その手が仄かに光り始める。 光は徐々に眩さを増していき、とうとう眼を開けていられないほどにまで強まる。 それに合わせて強大な妖気も渦巻くように大きく動いた。 光がその光度を段々と落としていき、ようやく眼を開けられるようになる。 晴明達がようやく開けた視界の先には、長大な尾を九本♀ョ全に揃えた九尾の姿と―――― 「まさ・・・ひろ・・・・・・・・」 銀の髪に琥珀の瞳・・・・ではなく、三年前まで見慣れていた漆黒に限りなく近い焦げ茶の髪に同色の瞳をした子ども―――昌浩その人が佇んでいた。 生来の色彩を取り戻した子どもは、ゆっくりとその視線を晴明達へと向けた―――――――。 ![]() ![]() ※言い訳 ほんっとうに!お久しぶりです。前回の更新から丸一年・・・・・・・本当にお待たせ致しました。 今回は煌と九尾と紅蓮、そして昌浩しか出番がなかった;;(あと、じい様も?)次回は他の十二神将や夜叉大将達も出したいです。 ちょっと展開を詰め込み過ぎたような気も・・・・?色々終わりに向けて裏設定(昌浩の精神縛りうんぬんとか)も公開していきます。 続きは明日・・・・頑張って更新します;; 感想などお聞かせください→掲示板 2010/12/31 |