帰りたい。







その想いは限りなく強く。







けれども進むべき足は動かず。







惑う心に苛立ちしか感じられずにいた―――――――。















沈滞の消光を呼び覚ませ拾碌〜











「・・・・・本当に、縛りを緩めたんだ」


己が身を包んでいた圧迫感が段々と薄れていくのを感じ、ぽつりと呟いた。

別に九尾が自ら提案した賭け事の約束を破るとは思っていない。第一、破るくらいなら初めから言い出すこともなかったはずだ。
だから、そのことに対しての驚きはない。けれども釈然としない。
己の縛りを緩めることに一体何の意味がある?
己の意識が表へ出る可能性が高くなるだけで、九尾にとっては少しの利もない。九尾は少しは不利があった方が面白いと言っていたが、本当にそれだけの理由なのであろうか。
わからない。九尾の考えていることが・・・・・。


「紅蓮・・・じい様・・・彰子・・・みんな・・・・・・・」


縛りが緩んだ今、煌から体の主導権を奪い返す絶好の機会だ。
この精神の奥底から抜け出て、意識の表層へと出る。
九尾が縛りを緩めたことによって煌の我が強まり、拒絶の意識がより一層強くなっているが、体の主導権争いを行うことが不可能ではない位には同等の位置に来ている。

紅蓮達の下へ帰りたい。
その気持ちに変わりはない。今現在もずっと持ち続けている思いだ。
だというのに、この体――意識はこの場から動こうとしない。

煌の悲鳴にも似た悲痛な叫びが、まるで鋭い杭のようにこの場へと貫き留める。
唯一無二の存在――九尾という在り処を求める心。それは自分が紅蓮達を求める心と何ら変わりない。
大好きな者の傍にいたい。
それは誰しもが抱く当たり前の想い。その想い自体に善も悪もない。
問題はその向かう先が異なる二つの想いを宿す器が一つしかないこと。
片方の想いが満たされるということは、もう片方の想いが潰えることと同義。

紅蓮達の下へ帰りたい。だからといって煌という存在を疎ましく思ったり、ましてや消し去ってしまいたいなどと思っているわけではない。
と、そこまで考えて思わず笑いが零れた。自らを嘲るという意味合いの、それ。
皆が己を必死に取り返そうとしてくれている中で、自分は一体何を考えているのかと思う。
体の主導権を取り返すために足掻いて足掻いて、足掻き抜かなければならないこの局面で、自分はどうして戸惑いを感じているのだろうか。
同情などおこがましい。それは背中合わせで自分に降りかかる可能性が十分にあることだというのに・・・。


『良いことを教えてやろう。敵対する者に同調するような考えは一切持たないほうがいい。でなくば絡め取られるぞ・・・・・・・・』


以前、宮毘羅(くびら)に言われた言葉が蘇る。全くその通りだ。

意思を強く持たなければならない。
己の我を貫き通すくらいに強い意志を―――――。


「皆の、ところへ帰る・・・・・・・・」


もう、一刻の猶予も無い。
決断の時がすぐ目の前にまで迫ってきていた―――――。







                        *    *    *







するりと、己の中から九尾へと『何か』が移っていくのがはっきりと感じられた。
流れ行く水のように、吹き抜ける風のようにそれはひどくあっさりと煌の内からいなくなっていた。
大きな喪失感を感じながら、内心訝しげに眉を顰めた。
己の内にある昌浩の精神に動きが見られない。九尾の力がなくなったこの瞬間は自分から体の主導権を奪い返す絶好の機会だというのに?
腑に落ちないが、今の状態が脅かされないことはありがたかった。

動いた拍子にさらりと視界を掠める髪の色はここ三年で見慣れた銀色ではなく、漆黒に近い焦げ茶色。眼の色も元の色へと戻っているのだろう。
九尾へと力を返したことには不満はないが、お揃いの色合いではなくなってしまったことはとても残念に思えた。


「まさ・・・ひろ・・・・・・・・」


ふいに耳に届いた呟き。
煌はその呟きが聞こえてきた方へとゆっくり顔を向けた。
どこか呆然としたような表情でこちらを見ている彼らに、もう何度目になるのかは覚えていない決まり文句にも似たその言葉を返した。


「俺は昌浩じゃない・・・煌だ」


今までの疎ましさを孕んだ言い方とは趣が異なり、そう言いきれることに自信や誇りを感じているような・・・・そんな一種の清々しさがそこにはあった。
煌は緩く口の端を持ち上げると、己が武器である不知火の妖剣を正眼の位置で構えた。それと同時にすぅっとその刃の輪郭が溶けていき、不可視の状態へと変化する。

と、そこで煌は隣に所在無げに佇んでいた彰子の背を押すと、晴明達の方へと送り出す。


「え・・・?」

「行きなよ。あんたを連れて来た目的もこれで全部果たしたからね」

「で、でも昌浩は・・・・」

「俺は昌浩じゃないって・・・・。いいの?こっちにいて戦闘に巻き込まれて怪我したって知らないから」

「彰子様っ!どうかこちらへ――――」


なかなか動こうとしない彰子に、心配げな表情をした天一が声をかける。
そんな天一を見て、煌のことを気にしつつも彰子は晴明達の下へと歩み出した。
彰子が向こうへと辿り着くのを見届けた煌は、改めて不可視の剣を構えた。


「さぁ、仕切り直しといこうか神将」

「煌・・・・・・」

「あいつにこの体の主導権は渡さない。渡すような隙も作らない。俺はお前達の言葉でなんか揺らいだりしない!」


例えどんなに思いの丈を込めた言葉を向けられても、自分が顧みる存在はたった一つ。
銀の毛並みの優美なる妖――九尾のみなのだ。


「煌よ・・・・・・・」

「久嶺・・・こいつらを倒そう。そうすればあいつを求める声がなくなる。そしてこいつらを求めるあいつの声もなくなるはずだ」

「ふふっ!元よりそのつもりだ。お前という存在を我の傍に置くためには、奴らをどうしても排しておかねばならぬ」


九尾はそう言うと、再び人型から本来の妖の姿へと戻った。
長大に揺れる尾の本数がその名の通り正しく九つ揃えたことにより、先ほどよりもその身から放たれる妖気は強大さを増していた。
ずぅんと、押し潰さんばかりの重厚な妖気が辺り一帯を覆い尽くす。
妖気と共に渦巻く風が、その場にいる全員の髪や衣服を強かにはためかせる。


「くっ・・・・奴め、煌に与えていた妖気を取り戻したことでより一層強さを増したな」

「ん?ちゅーことは、今の坊主は弱ぁなっとるってことか?」


風に巻き上げられた土埃から腕を掲げて目を庇いつつ、勾陳は冷静に言葉を紡いだ。
そんな勾陳の言葉を耳にした迷企羅(めきら)は、ふと思いついたことを口にした。


「いや、そう一概には言えないだろう」

「あぁ、妖としての力を扱えずとも霊力であれば問題なく扱えるだろうからな」


迷企羅の疑問に六合は緩く首を振って否定し、紅蓮がその言葉を引き継ぐ。
紅蓮達の言葉を聞いて、迷企羅はあぁ・・・と納得したように頷いた。


「そうやった。坊主は人間なんやから、そら霊力使うてくるんが当たり前やな」

「迷企羅・・・・・あんた、それ今更に言うことぉ?!」

「・・・・・・・・馬鹿」

「ふ、二人して容赦ないなぁ・・・・ちぃ〜とばかし忘れとっただけやないか」


坊主が闘う時は妖力を使うてることの方が多かったんやから・・・と言い訳じみた言葉を吐く迷企羅に、安底羅(あんてら)と波夷羅(はいら)は呆れた風情の白じんだ視線を送る。
そんな仲間の視線に気がつき、迷企羅は誤魔化すように咳払いをした。


「まぁ・・・とにかく、や。坊主は霊力が尽きてしまえば、あの剣の厄介さも少しはましになるはず」

「そうだな。後は隙をついてあいつを取り押さえる」


迷企羅の言葉に、紅蓮も首肯して返す。
煌が剣を使って技を放つ際、毎回剣に力を注いでいたことは対峙していて確認済みである。
九尾から与えられていた妖力が無くなった今、煌は霊力を注ぐしか術はなく、そして霊力が尽きてしまえば剣を使っての中間から遠距離にかけての攻撃もできなくなるだろう。
剣が不可視の状態になっていることと、刃の長さが変わることについては剣が元々持ち合わせている特性なのか、力を注ぐことによって維持できている状態なのか判断がつかないのでこれは様子見となるだろう。
まぁ、それでも遠距離攻撃が無くなることは確かであろうから、随分と楽になるはずである。
その状態へと持ち込むためには消耗戦となるだろうが、この人数であればそれも問題ないはずだ。


「では、各々やることはわかっているな?」

「えぇ。煌に霊力を消費させればいいんでしょう?」

「そういうことだな」

「承知・・・・・」

「ほなら・・・・」

「始めるぞっ!」


紅蓮達はそれぞれ武器を構えると、煌に向かって動き始めた。
それを見て、様子を伺っていた煌も剣を手に走り出した――――。







そんな紅蓮達の様子を見ていた晴明は、すぐ傍に控えていた残りの神将達へと声を掛ける。


「さて、煌のことは紅蓮達に任せるとしよう。我々は九尾を仕留める」

「「「「「「応っ!」」」」」」


晴明の言葉に、神将達はそれぞれ頷いて返した。
晴明もまたそれに頷き返すと手に握り締めていた綾絶の剣を持ち直した。
この手の中にある剣で九尾へと致命傷を負わせるのは晴明の役目だ。神将達の役割はその致命傷を与える為の隙を作り出すこと・・・・。


「晴明殿、私達も助勢致します。貴方達、頼みましたよ」

「「「「「「「御意っ!」」」」」」」


瑠璃もまた夜叉大将達に指示を出す。
夜叉大将達も己が武器を改めて持ち直すことでそれに返事を返した。
それぞれの主達の指示の下、神将・夜叉大将達は素早く動き出した。


この戦いに終結を迎えさせる為に―――――。









                        

※言い訳
どうも、半年以上ぶりになります。
もう・・・ほんっとに!お待たせしてすみません;;夏コミにて最終巻を発行する予定なので、一気に最終話まで書き溜めた後のUPとなりました。
ほんの数話書き上げるのにどんだけ時間を取ってるんだよって話ですよね・・・本当にすみません!
今回久々に夜叉大将や瑠璃様を出すことができました♪(と言ってもほんのちょびっとだけ・・・)なんかもう空気になってるキャラが何人かおりますが、それは作者の力及ばずです。申し訳ない;;
いやぁ、十人以上もその場にキャラがいると全く動かせないですねぇ・・・(泣)
次回が最後の戦闘になるのでなんとか全員だせたらなぁと・・・・(一言だけでもいいから!)いえ、無理なのは承知の上です。でも、できる限りは出番を回してあげたい!
頑張ります。

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2011/7/28